わたしはついさっき藤隆さんから聞いた話を少しだけ説明した。
さくらちゃんがわたしに向ける表情が幸せそうで、それが撫子さんに向けていたものと似ている。
それをきっと撫子さんも喜んでくれているだろうと。
「それが嬉しくて、わたし藤隆さんの前で少しだけ泣いちゃって」
話を聞いた桃矢君は優しそうな、楽しそうな表情をしてわたしの髪をさらりと撫でた。
「おれの前でだけ泣き虫になるんじゃなかったか」
「木之本家の得意技…みたいな?」
「んなもんねぇよ」
くすりと笑ってまた髪を撫でる桃矢君は、さくらちゃんに向けるような意地悪お兄ちゃんの姿を今は忘れているみたいで、とても穏やかだった。
そして目が合って、わたしがまぶたをふせるとそこにくちびるをよせる桃矢君はまだちょっとだけなれないらしい、くちびるが少しだけ震えている。
そのまま桃矢君がつぶやきはじめたのでくすぐったかった。
「なんか久しぶりに会った気がする」
「うーん…さくらちゃんや藤隆さんといっしょにいたからかな」
「そうかもな」
くちびるをはなすとまたお互い向き合って笑いあう。
「そういや雑誌の発売日親には言ってあんのか?ちゃんとやりとりしてるんだろ」
「郵送でおくるよって言ったんだけど、ちょうど数日後に日本に帰ってくるって言っててね」
「両親とも?」
「そうなの!そろって会うのは久しぶりなんだ」
ちょうど南さんから連絡があったとき、両親にも雑誌を送るからと電話をした。そうしたら2人とも日本に来る用事があってそれが雑誌の発売日の数日後だという。
だから久しぶりに実家に集まろうということになって、実はこのお泊まりが終わって明日、夜から両親に会う予定になっていた。
「今日出かける前にお電話したら2人とも明日の朝には日本に着くって」
「久しぶりの家族団らんってわけだ」
「おじいさんとおばあさんも折角だからってフランスからわざわざ来てくれるの」
「フランス?じいさん達フランスにいるのか?」
「……あれ、言ってなかったっけ…」
「はじめて聞いたぞ」
ハア、と大きくため息をつく桃矢君に申し訳なくて、ごめんなさいと反射的に謝った。
別にいいけどただすごく驚いたのだと言ってくれたけれど、まだ何か言いたげだった。
「まなみはたまーに肝心な事とか秘密のままだよな……実はおっちょこちょいか、お前」
「はじめて言われた……そう、なのかも」
「……まさかとは思うけど、じいさんばあさんどっちかフランス人とか言わねぇよな」
「お…おばあさんがフランス人で…す」
クオーターかよ、とうなだれた桃矢君はじとっとした瞳でわたしを見つめる。
確かにこれは言っていなかったわたしが悪いと思った。
桃矢君には親のことを話すとき母方の家族構成をよく話していたせいか、父方のことはあまり話していなかったような気がする。それが今回のことだ。
「お父さんが日本とフランスのハーフなの。おじいさんは20年前からずっとフランスに住んでるわ」
「だからおまえもフランスにながくいたわけだ」
「うん、そう」
ウィリアムとの出会いや日常生活を月城君に根掘り葉掘り聞かれたときに、わたしが海外にいたときイギリスやフランスに滞在していた期間が長かったと話したことがあった。
色々な国を飛びまわっていた両親になるべく近いところへ数年ごとに引っ越していたのだ。それでたまたまイギリスやフランスが多くて。
「フランスにいた頃はおばあさんにずっとフランス語を教わってたの」
「なるほどな」
実はフランス語が話せるウィリアムにも沢山勉強を助けてもらったことがあるけれど、それは今言わないようにしようと心の中にとどめた。
「それでウィリアムもフランス語をよく使うのか」
「え、?」
「ヤツとたまに文通してると横文字がよく書いてあるからな」
「!」
「文通つってもまだ2通目だけど」
言わないでおこうと思った瞬間にこれだ。
ウィルは確かに誰とでも仲よくなれる社交的な人だけれど、まさか桃矢君と文通しているなんて思ってもみなかった。
「ウィルは元々しゃべれるの…よく教えてもらってたんだ」
「mon ange、ma chérie、ってか?」
「それウィルが言ってたの?」
「mon angeによろしく、って文末に……ほれ」
「本当だ……」
桃矢君は机の上に置いてあったらしい2枚の手紙をわたしの後ろの机から取ってきて、そのまま手をまわして見せてくれた。
その文末をみると確かに2枚とも桃矢君の言っていたその通りの文章になっていた。
「向こうの人間はよく使うのか?
「イギリスではあんまり…だけどフランス語はやっぱり愛の言葉が多いから。皆よくつかってたと思う」
「まなみは、」
途切れた桃矢君の呼びかけは無言でもその先をわからせるものだった。
後ろから手紙を見せる手を伸ばしたまま、抱きつくように包みこまれる。まだお風呂上がりの桃矢君のあつい身体が背中に触れていた。
「わ、わたしは恥ずかしくてつかってなかった」
「手紙でも?」
学校の教科書でも習うものだから仕方ない。誰だって手紙の最後には定型文のようなものがある。
また会おうねだとか、外国ならlove,だとかXXXだとか。
桃矢君はウィリアムとの手紙で、そういうことを恥ずかしがるわたしでも文末にそんなやり取りをしていたのかと聞きたいのだ。
確実に追い詰められているわたしにはもう逃げ場が無かった。
「ら、Love,はつかってました……」
ふーんと納得してくれたような桃矢君は後ろから気配を消すと、前にでて向き直ってくれた。
「悪い、からかいすぎた」
「……ちょっとだけね」
わたしが少し赤くなってしまっていたように、桃矢君も少し赤くなっていた。聞いておきながら自分で恥ずかしくなってしまったんだろう。よくわかる。
わたしもフランス人の愛の言葉攻撃には何度も赤面してきたから。それと同じようなものだった。
「おれに手紙書くならなんて書いてくれる」
「え、」
突然、唐突だった。
元が消極的なわけではないけれど、今日はちょっとだけ積極的な感じがすると思っていたらこれだった。
桃矢君のこの質問は文末につける結びの言葉のことを言っているんじゃない。
ウィリアムがわたしのことを
「えっと、」
「フランス語でなんて言うんだ」
こたえを渋るわたしに、例えばお前のおばあさんにならなんて紹介する、なんてさらに難しくなることを言う桃矢君はなんだか別人みたいで。
お風呂上がりなのもあるかもしれない、けれどいつもよりこう、色気のある姿で追い詰められると、ちょっとだけ緊張してしまう。
けれど真面目に考えていた。
例えばおじいさんおばあさんに偶然桃矢君といるときに会ったら?それが月城君だったら?
月城君ならなんの迷いもなく大切な友だちだとこたえると思う。
桃矢君も大切な友だちであることには変わりないけれど。
そう、恥ずかしいけれど桃矢君のことはきちんと説明したい。そう思った。
「……………… Mon ami」
「なんて意味だ」
「わたしの友だち」
何かを言おうと息を吸う桃矢君に少しだけ待ってと手を触れて、ゆっくりと、きちんと、わたしは説明した。
「amiには友だちと恋人と両方の意味があるの。だからMonをつける」
「友だちには変わりねえけど」
「大勢の人がいたら友だちの意味でとらえることもあるけど、…でもここにはわたし達2人しかいないから……そういうときに使えば、"わたしの""恋人"」
きちんと目を見て説明した。
「Monは、"わたしの"って意味なの」
微妙だけれど、このニュアンスが伝わるように。
「もしおばあさんと会うことがあれば、Mon amiって伝えるわ。おばあさんにはきちんと恋人って意味が伝わるの」
学校や会社でもMon amiはつかうし、意味は友だちや同僚という意味できちんと伝わる。
けれど男女が2人いて、それを家族や周りの人に伝えるのにMon amiだと言えば、それだけで2人が親しい仲の恋人なのだということは一目瞭然、わかる話なのだ。
わたしの両親にMon amiって紹介しても恋人って意味できちんと伝わると説明して、そこで急に恥ずかしくなってきて、言葉がしりすぼみになる。
だって家族に紹介だとか、自分で言っていてとっても恥ずかしいことだったし、すこし饒舌にしゃべり過ぎたと後悔した。
「ならおれはどうまなみを呼べばいい」
「それは…いつ、どう、」
「手紙とか……例えばの話だろ?」
「………Mon amieって男の人は女の人を呼ぶにはeをつけるの。発音は変わらない」
すると桃矢君はゆっくりとロマンチックに互いの額をくっつける。
そのまま頬に手を添えて、するりと撫でて首をくすぐる。
「……
くちびるが触れるまであと数センチ。
「お兄ちゃんもう時間過ぎてるよ!いい加減まなみさんかえして!」
扉をドンドン叩く音と元気なさくらちゃんの声にまたいつかみたいに大きなため息をする桃矢君。
思わずくすりと笑ってしまった。桃矢君はムードを気にするタイプだ。
「……前にもこんなことあった気がする」
「はーい!今いくね、じゃあ桃矢君、おやすみなさい!」
夜はさくらちゃんとガールズトークをするとお泊まりが決まったときから決まっている。
わたしは急いで立ち上がってドアの前へと移動した。
「おやすみ」
そしていたずらが失敗してしまった表情のままの桃矢君は、それでも優しくそう言ってくれた。
わたしはそんな桃矢君のことがああ好きなんだな、と恥ずかしくも思った。
「続きはできればまた、」
今度はわたしがいたずらを仕掛けようと柄にも無い言葉を口にする。
そうしたら見事桃矢君は少しだけ赤くなって、無言でぷいと彼方の方向をむいてしまった。
そのまま桃矢君の部屋を後にすれば笑顔いっぱいのさくらちゃんがいて、わたしはまた幸せな気持ちになった。
この兄妹はわたしのことを本当に幸せにしてくれる。
もちろん藤隆さんや撫子さんも。
また今日のことを月城君に話すのが楽しみになった。
もちろん桃矢君とのやりとりは秘密だけれど、きっと月城君は頬笑みながら今度はぼくもいっしょにとーやの家にお泊まりしたいなあ、って言うだろうから。少しだけ自慢しよう。
「ここにお布団敷いていい?」
「はい!」
さくらちゃんの部屋はぬいぐるみが沢山あって可愛らしい女の子の部屋そのものだ。
そうして夜長、ガールズトークで盛り上がるのが楽しみだった。
「本当にさくらちゃんが妹だったらいいのにな」
わたしはそう小さくつぶやいた。
ex. boyfriend?
(xoxo)