幕間 再び、嘘つきなあなたの夢の話

 溢れる涙を止められず、どんどん目の前の真一郎が歪んでいく。慌てて伸ばされた手を思いっきり払い除けて、「なんでそんなこと言えるの」と怒鳴る私。呆気に取られたような顔をする真一郎。私は朧気な視界の中でそれを見てまた泣いた。

「イザナくんがあの日からずっとどんな思いでいるか分かる? どれだけ傷付いてるか考えたことある?」

 真一郎は何も言わない。何も答えてくれない。そんなこと考えたこともないとも、ずっと考え続けたとも言ってはくれない。あの日の私はそれが辛くて堪らなかった。あの日の私にとっては、何も答えてくれないことこそが答えだった。


 夢の中で繰り返されるあの夏の日。その数ヶ月前、真一郎の店の前で揉める二人を、私は店の中で息を潜めて見つめることしか出来なかった。雨が降っていたって分かるぐらいに泣きながら走って行ってしまったイザナくんを、傘も持たずに追い掛けることしか出来なかったのだ。

 あの後イザナくんを追い掛けてこなかった真一郎は知らないだろう。イザナくんがどれだけ泣いて、どれだけ苦しんで、どれだけ傷付いたか。最初は追い掛けてきた私を突き飛ばして「お前は血が繋がってるくせに」と怒鳴り散らすことすらしたのに、本当は憎いであろう私に縋り着いてただただイザナくんが泣いたことを、真一郎は知らないのだ。聞いているこっちまで涙が止まらなくなってしまうような悲痛な叫びを、真一郎は知らないままだったのだ。


 私はその日から何度も何度も真一郎に「イザナくんに会いに行って」と頼んで、だけどその度に真一郎は言葉を濁して逃げた。「今は時間が必要なんだ」だなんて言って、アイツは逃げたのだ。

 そうして結局あの日、私に「よく覚えていないから何があったのか教えてくれ」と言って、「お前がアイツのそばに居てくれて良かった」なんて他人事みたいに笑って、私にイザナくんを任せようとした。イザナくんの苦しみを本当の意味で理解しようとしなかった。


 怒鳴る私と困ったような顔をする真一郎。俯瞰しているのか体験しているのか曖昧な視点からそれを眺めながら、ふつふつと湧き上がる怒りとも恨みとも言えない気持ちを抑え込む。ずっと怒っている。この二年間、ずっとずっと真一郎を恨み続けている。

 怒鳴ることもやめて「お願いだから会いに行ってあげて」と懇願し始めた私を見て、真一郎は目を細めてゆっくり瞬きをした。言い訳を考える時の癖。実際にこの話をした二年前のあの夏の日の真一郎がどんな顔をしていたかは分からないけれど、今、私の夢の中の真一郎は言い訳を考えている。
 この光景は全部私の見る夢だ。だからきっとあの時号泣して前も見えなかった私の記憶で補い切れない真一郎の表情なんかは、私が真一郎を憎みやすいように都合よくなっているのだろう。そんな風に都合のいい夢を見るほどに、私はもう真一郎にどうにもならない大きさの憎しみを抱いてしまっているのだ。


 どうしてこうなってしまったんだろう。私はただ、真一郎にイザナくんを迎えに行って欲しかった。イザナくんが名実ともに真一郎の弟になれる日を待っていた。もし一緒に暮らせないのだとしても、迎えに行ってあげて欲しかった。イザナくんが真一郎の家族を乗れるようになる日が早く来ないかと願っていた。イザナくんの「お兄ちゃん」として生きて欲しかった。

 万次郎を大切に思うのと同じぐらい、イザナくんのことを大切に思っていると行動で示して欲しかった。

 その願いは、それほど難しいものだったのだろうか。「お兄ちゃん」を求めるイザナくんは、それほどに欲深かったのだろうか。一人の男の子が家族を求めることすら神様は許してくれないのだろうか。


 ぼやけた視界の中で、真一郎が頷いて「分かった」と言った。

「いつか必ずイザナに会いに行く」

 嘘つき。


 二年前、七月のとある日。真一郎が死ぬ一ヶ月前。私たちの最後の会話。最期の呪い。真一郎のついた、一番酷い嘘。
 真一郎は結局、イザナくんに会いに行かなかった。

ふたつおりのひとひら