花を捨てる私と


 墓地の外、自販機のすぐそばで膝を抱えてしゃがみこむ私の隣に座って、たけみっちは困っているようだった。万次郎に私を連れて離れろと言われた以上は私の傍から離れられないからだろう。帰ってもいいよとさっきから何度も言っているけど、頑なにここに残り続けている。

 そうして二人で何も話さずに座り込み続けているうちに、荒ぶっていた感情の波が落ち着いていく。イザナくんに拒絶されてから体感時間ではまだ十数分程度しか経っていないけれど、さっきよりかはまともにものを考えられるようになってきた。

 でも情けないことにさっきの数分で心は折れた。許されるならここで泣き喚いて、真一郎に八つ当たりをしたい。そんなことをしても意味が無いし、私に八つ当たりをする権利なんてないことは分かった上で、それでも一言ぐらい文句を言いたかった。


 そんな意味の無いことを考えながら膝に埋めていた顔を上げて、墓地の方を見る。イザナくんと万次郎はまだ何かを話していて、さっきイザナくんの胸ぐらを掴んでいた人もそこにいる。勘違いでなければ顔見知りだと思うのだが、着ている特服からして万次郎のチームに入ったらしい。特に興味もないけれど、こんな所でしゃがみこむことに付き合わせてしまっている申し訳なさはあるのでたけみっちに話を振ってみる。

「今あそこにいる金髪の子、乾?」
「そうですけど……知り合いなんスか?」
「イザナくんが総長やってた頃の黒龍にいたから会ったことある。真一郎の店にもよく顔出してたし」

 やっぱりそうなんだと呟いて、乾との記憶を思い返してみる。最近は会ってなかったけれど昔から乾だけに犬みたいな奴だった。ずっと仲良くしてる幼馴染みがいると聞いたことがある。私には同い年の幼馴染みは居ないから、少しだけ羨ましかった。……ああ、そうか。

「九井一って乾の幼馴染みか……道理で聞いたことある名前だと思った」

 ムーチョくんがボコボコにして連れて来た時はなんとなく流したけれど、言われてみれば確かに乾の幼馴染みじゃないか。たけみっちの部下だったとは聞いていたけど、こんな所でも繋がりがあったとは。

 九井がムーチョくんに連れて行かれてしまったことを自分の責任だと後悔しているのか、酷い目にあってないかと聞かれたので「多分」と頷いておく。私は一度しか会ったことはないけど、昨日の今日で酷い目にあうもクソもないだろう。

 私の言葉の不確定さにたけみっちが慄くのは感じたが、何も返さずにイザナくんを見つめたまま押し黙る。どうして怒ってくれなかったんだろう。その理由が分からないから動き出す勇気が出ない。真一郎なら分かったのだろうかとぼんやり考えて、なんだか虚しくなった。真一郎と違って向き合うことをやめないと誓ったのに結局このザマか。
 そんな風に鬱々とした感情に身を浸らせていたのだが、たけみっちが「あの」と妙に硬い声を掛けてきた。そちらに視線を向けて「なあに」と返す。

「オレなりにあの日の答えを考えてみたんですけど、聞いてくれますか」
「……ああ、あの時の……」

 一瞬何の話か分からなくて混乱したけれど、圭介の葬儀の日、初めて会った時の話だろう。ここ最近色々と考えることが多すぎてすっかり忘れていたけれど、そういえば「答えを当ててみて」なんて言ったんだっけか。

 ここまで何ヶ月も真剣に考えてくれていたのかと思うとむず痒くなるけど、まあ考えてくれたなら聞こうかなと先を促した。当ててもらってももらわなくても、勝敗はもう決まってしまっている。私の心をへし折ったイザナくんの勝ち。

「本当はずっと分からなかったんです。でもさっきの会話を聞いてもしかしたらって思って」
「うん」
「……死に場所を探してるんですか?」
「……うん?」

 さあ一体どんな答えを聞かせてくれるのかと思っていれば、突拍子もないことを言われて思わず首を傾げてしまう。たけみっちも私の反応に「えっ?」と言いながら驚いた顔をしているけど、それはこっちのセリフだ。どうして突然そんな話になるのか。

 さっきの会話を聞いてもしかしたらと思ったと言っていたから、先程の私とイザナくんの会話とも言えないような会話からヒントを得たのだろうとは思う。でも、さっきの会話でそんな受け取り方をされるようなことを言った覚えはない。

「は、はずれですか……?」
「大はずれだよ……」

 恐る恐る聞いてきたたけみっちに答える声が我ながら重い。そんなとんでもないことを言われると思っていなかったから上手い反応も思い付かないし、そう思われるような何かが私から滲み出ていたのかと思うとなんだか悲しくなってくる。

 しかし答えを出せなかったとは言え、真一郎なら絶対辿り着かないような頓珍漢な推理をしてきたこともまた確かだ。これはたけみっちと真一郎は似ていないということで良いのではないか、と圭介の葬儀の日に話したことを思い出しながら考える。


 そう言ってあげようかなと視線を向けた横顔は分かりやすく自分の推理が外れたことを悲しんでいて、なんだか笑えた。笑えるような状況でもないんだけどなと思いながら、仕方がないので追加でヒントをあげることにする。

「ヒントその一、全部私のエゴ。その二、私がこうするって決めたせいで万次郎は傷付いた。あとは、そうだな……」
「待っ、待ってください! マイキーくんも関係してるんですか⁉︎」
「え? うん。万次郎が関係してるって言うか、真一郎に対する意趣返しみたいな感じで……だから真一郎が大事にしてた万次郎も自然と関係しちゃう、みたいな」

 それに私にとっても万次郎は大切な従弟だしと付け足せば、たけみっちは顎に手を当てて唸りながら考え込み始めた。ほとんど答えに近いことを言ってしまったんだけど、それにはまだ気付いてないらしい。本当に面白い子だな。

 きっとそのうち考えがまとまればまた推論を聞かせてくれるであろうたけみっちはひとまず放置して、再びイザナくんたちの方を見る。私たちに関して何か言っているのか、イザナくんは万次郎と向かい合いながらこちらを指差していた。ぼーっとそれ見つめているうちに、口から言葉がこぼれ落ちる。

「たけみっちはなんでさっきイザナくんが怒ってくれなかったのか分かる?」
「え?」
「稀咲が建てた計画とはいえイザナくんも一応認めてたから、それをぶち壊したら怒られるんだと思ってた。怒って『もうどうでもいいから消えろ』って言われるんだと思ってたの。でも全然怒ってくれなかった」

 怒るんじゃなくて悲しんでた。それがどうしてなのかが本気で分からない。イザナくんのことはなんでも知りたいと思っていたし、その人生のヒロインレースを独走しているのは私だと思っていたのに、私はイザナくんのことをなんにもわかってなんて居なかった。

 怒ってくれたらあんな風に動揺しないで済んだのにと言い訳みたいなことを言えば、たけみっちは少しだけ考え込んでから私の名前を呼んだ。そちらを見る。

「黒川イザナとは昔からの付き合いなんですよね」
「うん。もう七年ぐらい一緒にいる。……そんなことたけみっちに話したっけ?」
「カクちゃんから聞きました」
「へえ、鶴蝶と知り合いなんだ」

 どこで会ったんだろうなと思いながら、それは今聞くことでもなさそうなのでたけみっちの話に耳を傾ける。

「それだけ一緒にいた大事な人が死のうとしたら悲しいに決まってます」
「……大事な人」

 私がイザナくんの大事な人。

 思ってもみなかった言葉を何度か反芻する。言うまでもなくイザナくんは私の大事な人だけど、その逆は成立するのだろうか。


 この何年間かイザナくんのために生きてきたし、いつかイザナくんのお嫁さんになれればと思って頑張ってきた。そんな私をイザナくんは何も言わずにそばに置いてくれたけど、それは「大事かどうか」なんてことには基づいてなくて、ただの刷り込みみたいなものじゃないのか。

「イザナくんの大事な人は真一郎だと思うんだけど……だから真一郎の大事な人だった万次郎からエマを奪うっていう稀咲の計画にも頷いちゃったんだし」
「……え?」
「いや、確かに私も丁寧に扱ってもらってはいたよ? でもそんな、イザナくんの大事な人になんてなれるわけないじゃん。だって私が今やってる事は最低で……私だってイザナくんを利用してるようなもので……」

 思わず立ち上がって声を張れば、これまで考えないようにしていたことまで言葉にしてしまって一瞬で頭が冷めた。


 そうだ。そうじゃないか。私がやっていることは真一郎への復讐と何が違う? 選んでもらえなかったことを恨み続けた私が、同じく真一郎に選ばれなかったイザナくんに拘ってるだけじゃないと言えるのか。イザナくんを利用する気持ちは欠片もないと胸を張ることは出来るのか。


 イザナくんのことが好きだ。一目見た瞬間に恋に落ちた。七年前の冬のあの日からずっとイザナくんのことが好き。

 だけどその恋心と真一郎への復讐心は両立する。イザナくんに掛けられた真一郎の呪いを解きたいと思う気持ちと私の呪いを解いて欲しいと思う気持ちも両立してしまう。
 イザナくんのやりたいことをやって欲しいと言いながら、こうして「それはやりたいことじゃないだろう」と決め付けるのも全部、イザナくんを利用していることに変わりないんじゃないのか。


 私は一体、イザナくんに何を求めているのか。


 突然立ち上がって喚いて今度は押し黙った私を見上げながら、たけみっちは困惑している。

「エマちゃんをマイキーくんから奪う……?」
「……そう。本当は今日ここでエマが殺されちゃうはずだったけど、代わりに私が来たの」

 だってそんなことしたらイザナくんが余計に傷付くと思ったから。


 でもそれすらも私の勝手な判断だった気がしてきて、何が正解だったのか分からなくなる。最初から全部私のエゴだったともうとっくに分かっていたはずなのに、イザナくんを利用していたのではないかと突き付けられればこんな風に混乱する。

 浅ましくて悍ましい。あんなに憎んでいた真一郎がしたことと今の私がしていること、その何が違うのか。一緒じゃないか。いいや、私の方が最低だ。だって、だって私。

「ここに居ちゃダメだ! 逃げましょう」
「どうしよう」

 一体何を思い付いたのか勢い良く立ち上がって私の手を引いたたけみっちに、涙も出ないのに泣きそうになりながら半狂乱になって声を掛ける。

「私、ほんとに最低だ」
「後で聞きますから、とにかく今は……!」
「イザナくんにずっと酷いことしてきたのに、私やっぱり、」
「稀咲の狙いはエマちゃんだけじゃない!」

 たけみっちに腕を引かれながらもイザナくんの方を振り返れば、揉めている私たちに気付いたのかそちらにいた三人も私を見ている。万次郎と乾は怪訝そうに眉を寄せていて、イザナくんはなんだか焦ってるみたいに見えた。


 一度その紫色と目が合ったと思ったのにサッと逸らされて、それがどうにも悲しくて鼻の奥がツンとしたけれど、咄嗟に唇を噛み締めて堪える。「笑ってる方が可愛い」と頭の中で声がする。自分が泣かせたくせにと言ってやれば良かった。誰のせいで泣いてると思っているんだと怒ることが出来れば良かった。

 そんな呪い掛けないでと言いたかった。

 でもそんなこと言えなかったから、呪いを解いてくれないまま置いて行かれたから、だからせめてイザナくんの呪いを私が解いてあげたかったのだ。


 これも全部、エゴなんだろうか。イザナくんを利用しているだけなんだろうか。


 だけど、それでも、やっぱり。

「わたし、イザナくんのそばにいたい」

 私が情けないぐらいに震えた声でそう言ったのと、どこかを見ていたはずのイザナくんが焦ったように私の名前を叫んだのはほとんど同時で、その直後にたけみっちに思いっきり腕を引かれてその胸に飛び込むのと、斜め後ろから勢い良く頭を殴られて意識が飛ぶのもほとんど同時だった。

ふたつおりのひとひら