誰もいない処刑場

 目が覚めて真っ先に見えたのは白い天井で、その次に見えたのは泣いているエマとそんなエマを慰めている母だった。どうやら私は性悪クソ眼鏡にぶん殴られた後に気を失い、その後意識を取り戻したもののイザナくんとお話してまた気絶し、そして救急車に乗せられて病院に運ばれたらしい。イザナくんと話した時のことは何となく覚えている。

 母は万次郎から連絡を受けてエマを連れて病院に駆け付け、こうして私が目覚めるまでそばに居てくれたそうだ。少し前までは万次郎とドラケンも居たそうだけど横浜に向かったんだとか。


 私が起きたことに気付いた母がナースコールを押してからお医者さんたちが来るまでの短い時間で二人から聞いた話を統合すれば、つまり「ドラケンの名前を騙ってエマを誘い出した春千夜はエマに稀咲の計画を全て話し、私の命令で誘い出したのだとも暴露し、二人が話しているところに遭遇したたけみっちの彼女ごとエマを拉致して佐野家の一室に閉じ込めた」ということになる。万次郎から「話し終わったらエマのこと送ってきてやって」と連絡を受けたドラケンが「いやオレはエマと一緒じゃないが」となったタイミングで春千夜から佐野家にエマを閉じ込めていると連絡が来て、慌てて救出しに来てくれたんだとか。何やってんだよアイツ。

 やることがえげつなくて流石に引くし、拉致監禁までしろとは一言も言ってないのに、そこまで含めて私の計画ということになっている。そこまでは頼んでないと弁解したが、エマからすればそもそも春千夜に協力をもちかけたのが私だという時点で自分の身代わりになって死のうとしたということになるらしく、一切聞き入れてもらえなかった。その覚悟は決めていたけど、私だって別に死ぬつもりで行ったわけじゃないんだけど。


 だいたい春千夜も春千夜だ。エマだけならまだ理解出来る。ドラケンをすぐに呼んだあたり、本気で監禁するつもりでもなかったんだろう。だけどたけみっちの彼女まで巻き込むって何? なんで? そこだけは本当に意味が分からない。その子かたけみっちのこと嫌いなの? じゃなきゃ私のことが嫌いなのか?
 しかも二人が救出されるところをきちんと見守り、「お前は何がしたいんだ」とブチギレるドラケンを無視してエマに「貸し一だってアイツに言っとけ」とか言ったらしい。アイツと言うのは間違いなく私のことで、いつか貸しを返せってことかと思うと震える。私にも誰かを拉致監禁しろってことだろうか。助かったのは事実だから貸しはもちろん返すけど、拉致監禁はちょっと。


 春千夜の暴走っぷりに怯えつつ、触診の際にお医者さんから何針か縫ったと言われたこめかみに手を当てて、痛みがないことに少しだけ安堵する。そんなに大きな怪我にならなかったのも良かった。私にはまだまだやらなければならないことがあるし、したいこともある。それを性悪クソ眼鏡の卑怯な襲撃のせいで諦めるのは癪だ。

 今夜会うことになるであろう性悪クソ眼鏡をどうやってぶちのめしてやろうかと計画しながら、サッと病室から顔を出して廊下を見渡した。何人か歩いている人はいるが、エマと母の姿は見えない。一旦下に降りて祖父に連絡してくると言っていたから、それに時間がかかっているのかも。精密検査の準備があると言って離席したお医者さんの姿も見えなかった。

 ならさっさと抜け出そう。入院着を脱いで、ベッドの脇に畳んで置かれていた自分の服を着た。見た感じ全然汚れてもいないしこれでいいでしょ。財布も携帯もコートもあるし、靴もある。ついでに窓を開けて下を見た感じ、ここは二階っぽいし下は土。余裕だ。昔から万次郎とはしゃぎ回って色んなとこから飛び降りても無傷だった私の運動神経舐めんな。
 二人が戻ってきたら絶対に脱走は許されないので急がなくては。春千夜に拉致されて敏感になっているエマに余計な心配をかけないために「私の意思です」とだけメモを書いて残し、特に躊躇うことも無く靴を掴んで窓から飛び降りた。難なく着地。スカートだから一瞬不安になったけど全然問題なかった。

 靴を履いて足早にその場を離れる。なるべく早く病院を離れないとそれこそ私が拉致監禁コースに突入してしまう。こうして逃げ出してしまった以上方々から怒られることはもう確定してるんだし、どうせならやりたいことをやってから怒られたい。

 着地地点は病院の裏手だったらしいので少し迷いながらも表に出て、ちょうど目の前で人を降ろしたタクシーをそのまま捕まえた。ひとまず横浜に向かってもらって春千夜に電話をかける。他に電話を掛けて「今日の抗争場所変わってないよね?」と確認できる相手が思い浮かばなかったし、春千夜なら答えてくれるだろうなという信頼があったからこその春千夜。

「あ、春千夜? 私だけど」
『お前生きてんの?』
「全然生きてるけど。勝手に殺さないで」

 寄せた信頼通りに数コール待ちはしたが電話に出てくれたので名前を呼べば、めちゃくちゃな罵倒をぶつけられる。コイツやっぱり私のこと嫌いなのかな。ちょっと不安になってきた。

『で、わざわざなんだよ』
「今日の抗争の場所って元の計画と変わってない? って聞きたくて電話した。変わってない?」
『変わってねえけど』
「ありがと。今からそっち行くね」
『今から……はァ⁉︎』
「うるさ」

 予告無く叫ばれたせいで耳がキーンとして、咄嗟に携帯を離す。昔から春千夜は声がデカいけど今のは特にデカかった。

 電話越しに騒いでいる声を聞きながら、タクシーの運転手さんに「横浜第七埠頭までお願いします」と言っておく。変わってないなら場所はそこだ。抗争現場にタクシーで乗り付けるのはなかなか勇気がいるけど、自分の足で移動していられる距離でもない。ちょっと離れたところで止めてもらって降りればいいだろう。


 それより、今横浜の方にいるであろう春千夜には騒ぐのをやめてもらいたい。まだ万次郎側の人たちは来てないかもしれないけど、イザナくんたちがその近くにいる可能性は高いし、春千夜がデカい声で騒げば騒ぐほど私の動向がバレる可能性も高くなる。

 別に、イザナくんが私一人の動向によってこれからの計画を投げ出したりすることはないとは思う。だけど午前中にたけみっちが言ってくれた通りにもし私がイザナくんの大事な人にカウントしてもらえているなら、私の動向がイザナくんを迷わせてしまう可能性はゼロじゃない。それがなくてもほかの人たちよりもずっと大切にされてきた自覚はあるのだ。ギリギリまでイザナくんには知られたくない。
 二度目に気を失うまでにイザナくんと話したことが全部夢じゃないのなら、イザナくんは「絶対に追い付く」と言った私に「来るな」なんて言わなかった。嫌なことは嫌だというイザナくんが否定しなかったんだから、私は今からイザナくんのそばにいく。そうしてイザナくんの呪いを解く。

 電話越しに騒いでいた春千夜の勢いが収まったので再び携帯を耳に近付け、「黙っててね」と釘をさした。いつの日か春千夜が私を頼ってきた時には全力でサポートするから、今日一日は私の言うことを聞いて。アンタのせいで私は従妹の拉致監禁を計画した最悪な女にされてしまったんだからな。

「誰にも言っちゃダメだからね。ムーチョくんもダメだし、イザナくんもダメ。鶴蝶もダメだから」
『……』
「返事は?」
『……灰谷がこっち見て笑ってる』
「えっ……どっち? どっちの灰谷?」
『兄の方』
「こっわ! え、ほんとに怖いんだけど。急にホラーにするのやめて。私怖いの苦手なの。灰谷蘭怖すぎ」

 突然のホラー展開に震えた。
 何を食べて生きてきたらここまで私を恐怖させるような生き方が出来るんだろう。黒毛和牛のステーキと一粒云千円の高級チョコレート? 似たような育ち方をしたはずの竜胆は私と一緒に馬鹿をやってくれる良い奴なだけに、灰谷蘭の恐ろしさが際立つ。

 春千夜も春千夜で気味が悪いと思っているのか「どうにかしろ」と言ってきたけど、私にどうにかできるわけがない。そもそも私はまだ東京を出てもいないので、今横浜にいるであろう灰谷蘭をどうにかできるはずがない。電話も怖くてしたくないし。

 というか私が何をしてるのか、もしかしなくても灰谷蘭にはバレてるんじゃないだろうか。私を「音の鳴る面白いおもちゃ」だと思っていることを隠しもしないような男だ。絶対ペットを構いすぎてストレスで早死させるタイプ。そんな奴が、勝手に暴れて計画をぶち壊して恋心の赴くままに動こうとしている私を見逃してくれるかと言われると、絶望的な答えしか思い浮かばない。

 バレているかバレていないかで言えば、バレている気しかしない。そしてバレていたとして、イザナくんに告げ口するかしないかで言えば、しないだろう。灰谷蘭はそういう奴だ。

「……とにかく、あの、気付かれないようにしてもらって……」
『……』
「…………今度なんかあったら、なんでも頼ってくれていいからね……」

 もちろん私ひとりで出来ることには限界があるが、出来るかぎりのことはしよう。それだけの重責を今、私は春千夜に押し付けている。作戦名「灰谷蘭を上手く誤魔化せ!」。どんな罰ゲームだろうね。


 しばらくの沈黙の後に、切り替えるようにしてひとつため息をついた春千夜が「結局お前は黒川イザナを選ぶんだな」と呟く。ただただ事実を確認するようなその言葉に、私は思わず姿勢を正しながら「うん」と返した。視線を向けた窓の先はもう暗い。冬は陽が落ちるのが早いから、相対的に夜が長くなる。

「私はこれからもイザナくんを選び続けたい。今までやってきたことは全部私のエゴだったけど、本心でもあったから」
『……もし黒川イザナがお前を選ばなかったら?』
「それでも私はイザナくんを選ぶよ。イザナくんが私じゃない人を選んでも、イザナくんを選んだことを後悔したりしない」

 たけみっちと話して、私が浅ましくて悍ましい最低な人間だと認めざるを得なくなって、だけど最後に残ったのは「イザナくんのそばにいたい」という願いだけだった。
 真一郎への復讐心に近い感情を全部捨てて、これまでに抱いてきた憎しみとか恨みとかも全部捨てて、そんなことが出来たとしても私はイザナくんを選びたいと思うだろう。そんなことは出来ないけれど、それでも思うはずだ。

 だって七年前の冬の日、あの雪の中、私はイザナくんに恋をしたのだ。そこに真一郎への憎しみなんて介入する隙はなかった。それからどんどんイザナくんを好きになっていって、それに合わせるように真一郎への憎しみが育っていったことも否定できない。確かに私は真一郎を憎んで恨んでいる。そんな資格は無いとわかっていても、許せる日なんて来ないんじゃないかと思ってしまっている。
 だけどそれでもやっぱり、イザナくんが好きだ。あの日からずっと好きなままだ。だからイザナくんのそばにいたい。イザナくんを選びたい。選ばれなかった苦しみなんて関係ない。もしイザナくんが真一郎に選んでもらえていたとしても、私はイザナくんを選んだだろう。イザナくんを好きで居続けただろう。
 だから私はこれからもイザナくんに向き合うことをやめないし、イザナくんの幸せを願うことをやめない。イザナくんを選ぶことを諦めない。

 真一郎がそれをしなかったから当てつけで私が全部やるんじゃなくて、私は私のしたいと思ったことをする。その一つ目としてまず、イザナくんの呪いを解く。明日からはイザナくんが、真一郎の呪いに振り回されることなく自分の意思で生きていけるように。


 そこまで言葉にしなくとも私の意思が硬いことは伝わったのか、春千夜は嫌味ったらしく息を吐きながら私を呼んだ。こうして春千夜に名前を呼ばれるのは久々だったような気もしてきて、大人しく話を聞く。

『やるからには絶対成功させろ。マイキーの人生の邪魔はさせんなよ』
「させたら?」
『お前諸共殺す』
「それは怖いな」
『茶化すなよ』
「茶化してないよ。本気で怖いと思ってる。明日からはイザナくんに真一郎にとらわれずに生きていって欲しいと思ってるのに、失敗したら人生終わりでしょ?」

 春千夜は万次郎のためなら本当にそうしてしまえると分かっているからこそ怖いのだ。

 私がイザナくんのために死ねるように、春千夜は万次郎のために人を殺せる。似ているようで似ていない私たち。たとえそれぞれ真一郎から託された人がいたとしても、私たちは全然違う。
 共犯者とも言えないような曖昧な関係だ。それぞれ真一郎の秘密を知っていて、その秘密を誰かに打ち明けることもなくお互いの中で秘密にし続けてここまできた。私はこの先もその秘密を誰かに打ち明けるつもりはないし、春千夜だってそうだろう。大好きだった人の努力と苦しみを否定することはできない。いくら憎んでいたって、その努力と苦しみに傷付けられた人を好きでいたって、それだけは出来なかった。

 私よりも色んなものを見て、ずっと苦しんできた春千夜に私がしてあげられることはきっと何もない。頼られたら幼馴染みとしていくらでも力を貸すけど、春千夜がそう簡単に私を頼ってくれるとも思えない。

 でもまあ。

「失敗したら春千夜が殺してくれるんなら、まあ、いいかな」
『……』
「春千夜に殺されてやる気はないし、イザナくんを殺させてあげるつもりもない。春千夜を人殺しにさせたくもないよ。でも失敗したら全部終わりにしてくれる人がいてそれが春千夜なら、うん」
『……お前の墓にはカブト虫を供えてやるから安心して死ね』
「えー、私カブト虫嫌いなんだけど。嫌がらせ?」
『それ以外にねーだろ。誰が善意で墓にカブト虫供えんだよ』

 馬鹿にするみたいに鼻を鳴らした春千夜がその後すぐに「今行きます」と誰かに大きな声で言っているのを聴きながら、背もたれに身を預けて目を閉じる。やっぱり春千夜は声がデカい。昔から変わらずに優しいまま、可愛い顔のまま、デカい声のまま。大事な幼馴染みで弟分。ずっとそれは変わらない。

「ムーチョくん?」
『ああ。呼ばれたから切る』
「うん。頑張って。怪我はしないように」
『死にかけたお前が言うな』

 その言葉を最後に通話が切れる。耳元から離した携帯の画面に表示された通夜時間を見て、結構話していたんだなと思った。それからふと思う。そう言えばアイツ、私を着信拒否するのやめたんだ。圭介のことで連絡をくれた後にまた着信拒否したと聞いていたのに、いつ解除してくれたんだろう。

 春千夜の不器用な優しさに触れたつもりになっているうちに、ずっと昔、二人きりの時は私を「お姉ちゃん」と呼んでくれた二歳年下の男の子を思い出して少し笑った。やっぱりあの頃から変わっていない。大事な幼馴染みで弟分だ。

ふたつおりのひとひら