撃墜する太陽

 そうしてイザナくんが私の名前を呼んだ後に何かを言おうと言葉を続けて、その言葉を遮るみたいに破裂音がふたつ鳴った。それと同時に右半身に衝撃が走って、思わず前につんのめる。そのまま体から力が抜けて、イザナくんの手に縋っていないと立つことも出来なくなった。


 何今の。そう思って左肩を押えたイザナくんの腕に支えられながら自分の体を見下ろせば、コートの右肩と右脇腹に接する部分がじわじわと赤くなっていくのが視界に入ってくる。それが何なのかを考えるよりも早く、何かがせり上がってくる感覚に咄嗟に手で口を抑えて咳込んで、そのまま指の隙間から鮮やかな赤が断続的に地面に落ちて染みを作っていった。口から離した手も真っ赤ですごい鉄臭い。

 これ、血だ。
 どこか冷静にそう考えた瞬間にとうとう立てなくなって、イザナくんに縋ったままズルズルと倒れ込んで地面に膝を着き脇腹を押さえる。後ろから撃たれたのか。息をする度に口からも鼻からも血が流れ出ていくし、肩と脇腹が尋常じゃなく痛い。一緒に膝を着いて肩を抱いてくれるイザナくんが呆然と私の名前を呼ぶ声に何かを返したいと思うのに、口からは血の塊と荒い呼吸しか出てこなかった。

 イザナくんの胸に頭を預けて全身を任せるような体勢になりながら、さっきまで背を向けていた方に視線だけでもなんとか動かす。銃身を私たちに向けて笑っているのはあの憎き性悪クソ眼鏡だ。「前から気に食わなかった」とかなんとか言っているようだが、それはこっちの台詞だ。私だってずっとアンタのことが気に食わなかった。
 ほんの少しでも気力があればそう言ってやっても良かったが、今は少しも動けそうにない。分かりやすいぐらいに焦って私の名前を呼んでいるイザナくんに答えるようにその胸に擦り寄って、投げ出していた左手でイザナくんの右の手首に触れる。そのまま大丈夫、死なないよと吐血しながら必死で繰り返したけれど、我が事ながら大丈夫だとは思えない。とはいえ他に言葉は出て来なかった。

 脇腹に当てた手の上に重ねられた手のひらが熱くて、抱き締めるように背中から回された腕に甘んじて体を任せながら痛みに耐える。ありえないぐらいに痛い。なにこれ。撃たれたことは分かるし体に穴が空いたことも分かるけど、それってこんなに痛いの?


 次第に大きくなっていく騒ぎの中、未だに芝居がかった仕草で何かを語っているクソ眼鏡に鶴蝶が突っ掛かっていくのが見えた。その勢いに一瞬怯んだクソ眼鏡が、その癖して誰かが鶴蝶を止めるよりも早く引き金を引く。またあの破裂音がして、鶴蝶はたたらを踏んだ。じわじわとその左肩の部分だけ布地の色が変わっていく。当たってしまったらしい。それを見たイザナくんの心臓の音がどんどん早まっていって、その呼吸が乱れていくのがイザナくんに支えられている私にはよく分かった。
 灰谷蘭か誰かが「馬鹿野郎」と言ってるけど、それがクソ眼鏡か鶴蝶のどちらに向けられたものかは分からないにしろ、先に撃たれた私に言わせてもらうと二人とも馬鹿だ。クソ眼鏡は明らかに場の雰囲気に飲まれているし、鶴蝶は自分の肉体を過信しすぎている。銃弾を弾き返せるというならまだしも、そうでないのに銃を持つ相手に生身で立ち向かうのは馬鹿のやることだ。一発撃たれた後に少しでも立ち止まるのも馬鹿のやること。そこまでするなら撃たれても止まらずに突っ込め。

 そんなことを考えながら体に回されていたイザナくんの腕を振り解くようにして半身を起こし、腕なり肩なりを掴んで止められるよりも早く左手で思いっきり地面をつく。弾みで僅かに持ち上がった体を無理矢理動かして、再び銃を構えたクソ眼鏡に懲りずに突っ込んでいこうとした鶴蝶に私が頭から突っ込んだ。そのまま一緒になって地面に転がる。

 強かに地面に打ち付けた体が痛いし、一瞬息が止まるかと思った。吐き出したのが呼吸か血かはもうよく分からない。
 鶴蝶も私の全力の頭突きが相当効いたのか、それとも倒れ込んだ際に撃たれた方の肩を地面にぶつけたのか声は出さずにかなり痛がっている。それを横目に見ながら痛む体を無理矢理動かして鶴蝶の上に覆い被さった。鶴蝶の方が私よりも大きいのでほとんど隠せていないけど、急所の盾ぐらいにはなるだろう。全く手のかかる弟分だ。銃弾を弾き返せないのは仕方ないとしても、頭突きぐらい耐えて見せてよ。

 私が上に乗ったことで余計なダメージをまた受けたらしい鶴蝶が呻くのを聞きながら、視線はクソ眼鏡の方に向ける。まだ飽きずに銃を構えているのは逆に感心する。どうしてそんなに諦めが悪いんだ。そうやってバカスカ人を殺そうとしてる時点でもうアンタの負けなのに。


 ここで死ぬわけにはいかないけど避けられる気もしないなと出血のせいで霞む意識の中でぼんやりと考えた時に、私たちとクソ眼鏡の間に入るようにして膝を着いた人の背中で遮られた。

 見上げた先、月明かりに照らされた銀色が眩しい。何より大好きな人が目の前にいる。まるで私たちを庇うみたいに。咄嗟に「やめて」と言う暇もなく銃声が響いて顔に血が飛んだ。ヒュッと喉が鳴るのを聞きながら痛みなんて忘れて慌てて体を起こす。

「イザナくん、平気? 痛いよね、ごめんね。私のせいだ」

 一緒に起き上がった鶴蝶と一緒にその背中を支えて、もう既に自分の血でぐちゃぐちゃになった手でイザナくんのお腹を押さえる。撃たれたのは一発、ここだけ。だけど撃たれたことには変わりないし、血が出てることにも変わりない。

 このままじゃイザナくんが死んじゃう。そんなの嫌だ。死んで欲しくない。

 再び溢れてきた涙を止められずに思わず嗚咽すれば、鶴蝶もつられたのかポロリと涙をこぼして泣き始めた。イザナくんは血を吐きながらそんな私たちを交互に見ている。

「イザナくん死んじゃやだあ」
「死なねえよ」
「でも撃たれたんだぞ!」
「それ言ったらお前らも撃たれてんだろ……」

 恥も外聞もかなぐり捨ててわあわあ泣く私とかなり取り乱して「死ぬな」と何度も繰り返している鶴蝶に呆れ声で返事をしているイザナくんは案外元気そうにも思えたけれど、そんなのは分からない。人は簡単に死ぬ生き物だ。真一郎も圭介も簡単に死んでしまった。私の大切な人たちはどんどん死んでしまう。

 二人のことを思い出して、それぞれ流すべき時に流せなかった涙が今更出てきたのか余計に溢れて止まらない。でもイザナくんの傷を押さえることの方が私にとっては重要だから涙も拭えなくて、ぐちゃぐちゃに歪むままの視界でイザナくんを見つめ続ける。それが余程不格好な顔だったのか私を見たイザナくんは笑った。そのまま伸びてきた手が力強く涙を拭ってくれる。それにも涙が出て、イザナくんがまた笑う。

「いいか。この程度じゃオレは死なねえ」
「ほんとに?」
「ほんとに。考えても見ろ。お前らみたいに手が掛かる奴らを置いてこんなところで死ねるわけねえだろ」

 呆れた声で、でも嬉しそうにイザナくんはそう言った。感極まったのか鶴蝶がイザナくんの名前を叫ぶように呼んで、それに「うるせえ」と返す声もなんだか嬉しそうだ。

 それを聞いていた私は、ああ、またひとつ呪いが解けたんだと思った。お姫様のキスでも時間切れでもなんでもなくて、私のほんの少しの言葉と鶴蝶の涙と一発の鉛玉がイザナくんの呪いをまたひとつ解いたんだ。 きっとまだまだ真一郎の呪いは沢山ある。でもそのひとつひとつはこうして確かに解けていくんだ。

 再び声を上げて泣き出した私に「泣くな」と呆れたように言いながらも、涙を拭ってくれるイザナくんの手は優しい。大好きだと思った。やっぱりこの人のそばにいたいと思った。この人の隣で生きていたい。

「イザナくん」
「ん」
「やりたいこと、できた?」
「……まあ、これからやりたいことは見つけた。お前は?」
「わたし」
「あるんだろ、したいこと」
「……イザナくんのそばにいたい」
「……それがおまえのしたいこと?」
「うん。イザナくんのそばで、一緒に生きていきたい」
「ならこんなところで死ぬなよ。絶対生きろ。死んだら地獄まで追い掛けてやるからな」

 今朝は上手く言葉にできなくて、イザナくんにも聞いてもらえなかったこと。まだ私自身が本当の意味で気付いてすらいなかった私のしたいこと。イザナくんのそばで、生きていくこと。


 ゆっくり首に回された腕に答えるようにして、その肩に頭を押し当てる。出血が多い上に泣きすぎたみたいで頭がぼんやりしてきた。だけどイザナくんに死ぬなと言われた以上は死ぬわけにいかないし、まだまだやりたいことも言いたいことも沢山ある。イザナくんが見つけたやりたいことを成し遂げるところだって見ていたい。私自身のやりたいこともやり遂げなきゃ。

 あとは、そうだな。私のしたいこと。いつか叶えたいこと。叶えて欲しいこと。あとひとつだけ、大きなものがある。
 ちょっと照れるけど、この際だから勇気を出して言ってみるか。伝えないで後悔したくないし、きっとイザナくんは聞いてくれる。私の「好き」を受け入れて否定しないでくれたみたいに、ちゃんと私に向き合ってくれる。

「…………あと、イザナくんのお嫁さんになりたい」
「……そのうちな」

 一瞬言葉に詰まったイザナくんがそれでも小さな声で返事をしてくれて、また涙が出てくる。お互い小声だったけど近くにいた鶴蝶には聞こえていたらしくて、良かったなと鶴蝶がバンバン背中を叩いてくる。痛いし「今私が死んだら死因は絶対この打撃」とも思ったけど、そんなことよりもずっとずっとイザナくんが返事をしてくれたことが嬉しかったから鶴蝶の好きにさせた。

 だってつまり、そのうち私をお嫁さんにしてくれるということだ。私、イザナくんのお嫁さんになれるんだ。お嫁さんにしてくれるってことは、イザナくんと私のことを好きでいてくれてるんだ。

 そう思うとどうしようもなく嬉しくなってしまって、息の仕方さえ忘れてしまいそうだった。

ふたつおりのひとひら