七面鳥が墓場で踊る

 私がイザナくんと鶴蝶と一緒に、イザナくんのお仲間の一人である「私を音の鳴る面白いおもちゃか何かだと思っている人」の家でケーキを食べている間に、万次郎のチームでは色々と事件が起きたらしい。美味しいケーキと七面鳥を食べさせてもらってる間にそんなことが起きてるなんて、なんというか世の中って不思議だ。クリスマスを楽しむ不良と、楽しまない不良がいるのか。


 例年通り二十日から元旦までイザナくんの部屋でお泊まりして、デートしたり近場に旅行に行ったり初詣に行ったり楽しい時間を過ごしていたのだが、これまた例年通り母に「せめておじいちゃんに新年の挨拶ぐらいしに来なさい」と言われたので二日のお昼に帰宅した。家に帰っても誰もいないことは分かっていたのでそのまま母の実家に直行して、なんだかんだと挨拶やらなんやらを済ませた後に炬燵でだらだらして時間を潰している。


 祖父と母が挨拶回りのために家を出て、エマも出掛けて、広い家には私一人。この二週間ほどずっと誰かと一緒にいたから落ち着かないなと思いつつも、最早もうひとつの我が家と言っても過言では無いほどに通い慣れた母の実家で好き勝手に時間を潰していた。
 そうしているうちにどこかに行っていたらしい万次郎が帰宅して、クリスマスに何があって誰がこうでと語り聞かされたわけだ。三ツ谷とか千冬とか八戒とかの名前と一緒にたけみっちの名前も出てきたので、たけみっちもたけみっちで頑張ってるらしい。他はともかくたけみっちの話だけは真面目に聞きながら、やっぱり救いたい人がいると違うんだなと理解者面で頷いておいた。

 友人たちと出掛けると言って何時間か前に出て行ったエマが家を出る直前に持ってきてくれたみかんの皮を向きながら、天板にもたれてだらしない体勢で話し続ける万次郎に適当に相槌を打つ。「ちゃんと聞いてんの」と怒られたので「うん」と返して、誤魔化すために筋まで取ったみかんをその口に放り込んだ。たけみっちの話のあたりはちゃんと聞いてた。
 みかんを咀嚼しながらも私を疑っているらしい万次郎に、仕方がないのでこちらからも話を振ることにする。まあ適当に、たけみっちの話でいいだろう。

「たけみっち、壱番隊の隊長になったんでしょ? 前会った時は下っ端って感じだったのに、結構頑張ってるんだね」
「うん。たけみっちってさ、全然諦めねえんだよ。どんだけボコボコにされても絶対立ち上がんの」
「確かにそんな子っぽかったかも」

 まるで自分の事のように嬉しそうに語る万次郎に、私までなんとなく嬉しくなった。私たちは友人である以前に従姉弟。ずっと近くにいたから、人よりは万次郎のことを知っているつもりだ。二年前のあの日以来無理をしていることも気付いていた。
 でも気付いているだけで何もしなかった私とは違い、たけみっちは確かに万次郎の心に触れようとしてくれている。たけみっちに関して語っている万次郎を見ているとそう感じるのだ。もしかしたらたけみっちの救いたい人は万次郎なのかもしれないとすら思う。それはそれで運命的じゃないか。

 肯定されたことが嬉しかったのか、万次郎は体勢を変えて天板の上で腕を組みながらにっこり笑った。私もつられて口角が緩む。

「だろ? そういうところがさ、真一郎に似てる」

 沈黙。その名前を頭の中で反芻した瞬間に急速に思考が冷めていき、緩んだ広角がすっと落ちた。

 今度は何も返事をせずに、手元に視線を落としてみかんの筋をひとつずつ取り除いていく。そうだったっけ、なんて考えたらもうその時点で負けだ。新年早々どうして奴のことを思い出さなければならないのか。ただでさえもこの家には奴の影が多すぎて苦しくなるって言うのに。

 私が何も返さないというのにぽつりぽつりと万次郎は話し続け、時折首から引っ掛けたお守りに手を伸ばしていた。それが何か、それにどんな意味があるのか知っているので特に指摘することはせずに、時折みかんを万次郎の口に運びながら話は聞き流し続ける。
 しばらくそうしているうちに万次郎も言いたいことは言い切ったのか、押し黙ってぼんやりとこちらを見てくるだけになった。みかんを食べたいのかなと思って一粒その口に押し込めば、そうでなかったらしく眉間に皺が寄せられる。そんな不満そうにされたって、言いたいことがあるなら言ってくれなきゃ分からない。

 私は真一郎とは違って万次郎を過剰に甘やかすようなことはしないと決めているので、しばらく無言のまま時間が過ぎる。特にその沈黙を気まずいと思うこともないので、関係の無いことを考えることにした。
 ご近所さんに挨拶をしに行くと家を出ていった祖父と母はそろそろ帰ってくるだろうか。エマは夕方には帰ってくると言っていたし、まだ時間が掛かるはず。
 夕飯は多分こっちで食べるとして、イザナくんにどこかのタイミングで電話を掛けたい。二週間ぐらい一緒にいたから、イザナくんの家を出てからまだ数時間しか経っていないのになんだか寂しくなってきている。

 イザナくんのことを思うと、早く会いたくてたまらなくなる。次に会える日を心待ちにしている私がいる。連鎖的にイザナくんのことばかり考えて綻ぶ顔を誤魔化すために唇を噛めば、視界の隅で万次郎が胡乱気な目付きをしたのが分かった。そのまま嫌そうな顔と声で文句を言われる。

「彼氏のこと考えてんだろ」
「まだ彼氏じゃないよ。未来の旦那さんだけどね」
「でも好きなやつのこと考えてんじゃん」
「ついつい考えちゃうんだってば。今何してるのかなとか、ちゃんとご飯食べてるかなとか」
「ふーん」
「万次郎も恋をすれば分かるようになるよ」

 まあ、万次郎からすれば今はお友達と遊んでる方が楽しい頃なんだろうけど。それでもこの先、いつか分かる日は来るはずだ。

 万次郎が好きになる人って桜子ちゃんみたいな人なんだろうなあとぼんやり考えながら皮を剥いて筋まで取り終えたみかんを食べようとすれば、正面から見伸びてきた手にサッと奪われてしまう。犯人は言うまでもなく万次郎だ。みかん泥棒め。真一郎は許しても私は許さないからな。
 食べるなら剥くところから自分でやれとカゴに入ったみかんをいくつか万次郎の方に転がして、私も新しいみかんを剥き始める。イザナくんの家にいる間もずっと食べてたし、そろそろ手がみかんの色になるかもしれない。

「……恋したらみかんの白いのも取って食うようになんの?」
「ん?」

 大人しくみかんを食べ始めたみたいだと思っていたのに、突如投げ掛けられた脈絡の無い言葉に思わず顔を上げる。それとこれとは関係がない気がするんだけど、万次郎はそう思っていないのか眉間に皺を寄せてぶすくれていた。手を伸ばして膨らんだ頬をつついてみたけれど、そう時間を置かずにもう一度頬は膨らむ。つついて膨らんでを何度か繰り返したが万次郎は何も言わないので、仕方が無いから私の方からどういうことかと聞いた。

「昔は白いの取らないで食べてたのに、取るようになった」
「……そうだっけ?」
「絶対そうだ。三年ぐらい前から白いの取るようになったし、全然話聞いてくんなくなったし、休みの日だって家居ねえし……」
「……言われてみればそうだったかもね。……うん、確かに」

 そう言えばみかんの筋を取るようになったのは、イザナくんにみかんを食べさせてあげるようになってからだったかもしれない。取れって言われたからイザナくんに食べさせる分だけは筋を取るようになって、そのうち自分で食べる分も取るようになった。
 話を聞かないのはともかくとして、休みの日に家に居ないのもイザナくんの家に通うようになってからだから、確かに万次郎の言う通りだ。まあ私はイザナくんに出会ったその日に恋に落ちているので、厳密に言えば恋をしたから変わったのではなく、イザナくんの家に通うようになったから変わったことになる。

 でも万次郎にその違いを説明して分かってもらえるかというと、なかなか微妙な気もするわけだ。万次郎は別に私が変わった理由を知りたいわけじゃない。寂しがり屋なので、私がこうして人並みに恋をして、人並みに好きな人の隣にいたいと願って、人並みに自分の人生を生きているのが少し寂しいのだろう。そして私が何を変わった理由を知ったところでその寂しさはなくならない。余計寂しくなるだけだ。


 私は万次郎のことを可愛い従弟だと思っているし、異性の中では一番の友人だと思っているし、大切な家族だとも思っている。だけど万次郎の寂しさを埋められるかと言われれば、それとこれとは別の話だとも思っているのだ。万次郎に私の苦しみが理解できないように、私では万次郎の寂しさを埋められない。何故ならば私たちはもう既に、選ばれた人間と選ばれなかった人間として分かたれてしまっている。


 天板に頬をくっ付けて相変わらずぶすくれている万次郎を見下ろしつつ、随分昔にもこんな光景を見たなと思い出した。でもあの時は二人きりではなかった。

「……昔、万次郎が私の冬休みの宿題の上にお汁粉こぼしてダメにしたことあったよね」

 ちょうど一月の今と同じぐらいの頃だった。私が小学校高学年ぐらいで、まだ一人じゃ横浜にも行けなかったような頃。

 万次郎が僅かに顔を上げたのを察しつつ、そちらを見ることはせずに手元のみかんの筋を殊更丁寧に取っていく。

「私が怒って、エマも万次郎に怒って、でも万次郎は逆ギレして、それで結局……集会から帰ってきた真一郎が万次郎に「謝らなきゃダメだろ」って言ってさ」

 今みたいにコタツで向かい合って、今とは違ってぎゃあぎゃあと喧しく揉めていた私たちの元に歩み寄ってきた特服姿の真一郎が顔を伏せた万次郎の頭を撫でた。それを見てエマは「そうだよ、マイキーが悪いんだから」と可愛らしく怒っていた。そうして、私は。


 あの頃のことだってほかの記憶と同じように思い出したくないことだというのに、ほかの記憶と同じだけ鮮烈に思い出すことが出来る。忘れたいと思うのに、忘れられずにいる。消し去りたい思い出を後生大事に抱えることをやめられずに今日まで来てしまった。

「万次郎はちょっと言い訳した後に謝ってくれたよね。真一郎もわざわざ学校に連絡しようとしてくれて……」

 話し続けるうちに手が止まり、途中までしか筋を取り終えていないみかんとまだ手をつけられず全体的に白っぼいみかんが一粒ずつ天板の上に取り残される。これは私たちだ、と思った。それぞれ半分ずつの姿で中途半端な私と、手を付けられていないからこそ完璧な万次郎。信じて求めてしまったが故に選ばれなかった私と、最初から選ばれる必要すらなかった万次郎。

 羨ましかった。口にすることすら憚られるほどに浅ましい感情だとは分かっている。だけど私はずっと羨ましくてたまらなかった。


 浅ましい思いを断ち切るように手を動かしてみかんの筋を向くのを再開させながら、また口を開く。

「あの頃の私は信じてたの」

 そう。信じていた。信じていただけだ。自分のことはもうとっくに諦めていた。納得出来なくても理解はしてしまえた。
 だけどそれでも、信じていたのだ。

「真一郎はきっと……真一郎なら必ず、いつか本当の意味で迎えに行ってくれるんだって」

 真一郎は必ずイザナくんのことも選んでくれるのだと信じていた。いつかこの光景にはイザナくんも混ざって、三人兄妹は四人兄妹になるのだろう。近い未来必ずそうなるのだと信じて、信じ続けて、だから二年前のあの日耐えられなかった。


 筋を取り終わったみかんをしばらく眺めてから口に入れる。少し甘さの強いこの味が好きだ。だけどもう随分と食べた。筋をまだ取っていない残りのひとつを手に取り、顔を上げる。じっとこちらを見ている万次郎を見つめ返し、微笑みかけた。

「万次郎」
「……」
「万次郎にとっての真一郎は、弱くて優しくて泣き虫で、それで良いお兄ちゃんだったでしょ」

 みかんを差し出せば、万次郎は薄らと口を開いてくれた。その口に最後の一粒を放り込んで、かさついた唇を人差し指で抑えつける。

「私にとってはそうじゃなかった。アイスは取られたし、カブト虫持って追い掛け回されたし、公園に置いて行かれた。自分が泣かせたくせに私が泣いてると困った顔して、泣かない方が可愛いとか言うの。自分が酷いことしたのに、よく覚えてないから何があったのか教えてくれって言われたの。私にはそういう人だった」

 だから思い出したくない。真一郎のことなんて忘れてしまいたい。真一郎のことを思い出せば、真一郎の言葉に期待して真一郎を信じて、元々選ばれてなんてなかったのに選ばれなかったと裏切られたつもりになった自分が許せなくなる。誰にだって優しいふりをしてたった一人以外を選んでなんてくれなかった真一郎を憎んでしまう。選ばれなかった人の苦しみに最後まで向き合ってくれなかった真一郎をもっと恨んでしまう。

 そのまま転げ落ちるようにして、真一郎に選ばれた万次郎のことですら嫌いになってしまいそうになる。


 それは嫌だった。嫌だったけど、私はどうしても真一郎をそのまま許すことなんてできなくて、だから決めたのだ。その前からたった一人で何年間も悩んで迷って頭を抱えて、決め手は二年前の夏のあの日だった。

 でもあの日のあの言葉がなくても、私はきっといつか同じ答えを出していただろうと思う。真一郎は心の底からああやって「私があの人のそばにいてくれて良かった」と思っていて、私は心の底からそれに絶望した。だからあれはきっと、タイミングが違くてもいつかは必ず起こっていたことなのだ。

「私にとっての真一郎は、強かったけど優しくなくて、カッコつけたがりで、酷い男だった」

 万次郎の良いお兄ちゃんだった真一郎は、私たちに呪いを残して死んだ酷い男でもあるのだ。

「だからごめんね、万次郎。私は万次郎を選べない。万次郎だけは選べないの」

 私はたけみっちみたいに「大切な人は全員諦めたくない」なんて言えない。全員諦めない方法なんて知らない。私が知っているのは真一郎を見て学んだ「たった一人の大切な人を選ぶやり方」だけ。私はこんなに真一郎が嫌いなのに、私たちを選んでくれなかった真一郎を憎んですらいるのに、真一郎の真似事しかできないのだ。

 それしかできないと分かっていても、何を捨てたってイザナくんを選びたいと、そう思ってしまった。


 万次郎の唇に当てていた人差し指を離しても、それっきり私たちの間に会話は生まれなかった。

ふたつおりのひとひら