災い転じて
仲間に押さえ付けられ、彼らの冷ややかな視線が自分に集まり、深月は息を呑む。
違う。私は何もしてない。信じて。
そんなことを言おうとして、でも今は何を言っても無駄だろう、と口をつぐむ。
深月が黙り込んでいると、背後から誰かの気配がして、そちらを振り向く。
そこには、深月が想いを寄せている相手が居た。
彼は──炎柱 煉獄杏寿郎は、他の仲間と同じく、冷ややかな視線を深月に送る。
(待って。貴方だけはそんな目で見ないで……)
深月は冷や汗を流し、なんとか弁明しようと口を開く。
「れ、煉獄さん、その、私は……」
「話は彼女から聞いた。君は、自分のしたことの重大さを思い知るといい」
煉獄は深月の言葉を遮り、ぴしゃりと言い放った。
深月は恐怖や悲しみでひゅっと息を詰まらせ、煉獄の背後をちらりと見る。
そこには、一人の女性隊士が居て、彼女は深月を見てにやにやと笑っていた。
*****
結局、深月には降格という処分が下った。
ちなみに、あの女性隊士は昇格したらしい。
納得はいかないが、過ぎたことを考えても仕方がない、と深月は任務に没頭した。
深月にとって、こんなことになったのは、どう考えてもあの女性隊士が原因なのだが、仲間はそう思ってくれなかった。
深月は溜め息を吐いて、あの夜のことを思い出す。
*****
あの夜、深月は煉獄と女性隊士を含む数名で任務に望んだ。
鬼が複数出るということで、人手が必要とのことだった。
指令通り、鬼は複数出現して、それぞれが討伐に当たった。
途中、深月は仲間とはぐれ、一人で鬼と闘うことになった。
なんとか一人で鬼を一体倒し、他の鬼を探していると、女性隊士と合流できた。
彼女は深月を見るなり、親の仇でも見るかのような目で睨んできた。
「あんた、炎柱様のこと見すぎ!調子に乗ってるんじゃないの?」
彼女が何を言っているか理解できず、深月は首を傾げたが、それが癪障ったらしく、彼女は深月の胸ぐらを掴んできた。
ぎゅう、と襟元を締め付けられ、深月の息が詰まる。
「あの、落ち着いてください……今は任務中でしょう」
「いい子ちゃんぶって!あの人に気に入られようっていう魂胆が見え見えなのよ!」
どうにも女性隊士の様子がおかしいので、深月は彼女の手を振り払って、距離を取る。
胸ぐらを掴まれて苦しかったし、彼女にそんなことを言われる筋合いはない。
深月の中で、ふつふつと怒りが湧いてくる。
それの何がいけないのか、と。
深月は、好きな人を見れるだけで充分幸せだった。
あんな崇高な人とどうにかなれるなんて思っていない。
ただ、部下として気に入られたいと思うことの何が悪いのか。
彼に気に入られるための努力は、剣士としての実力を上げることになり、結果的に人々のためになるのだ。
きっと、この女性隊士も煉獄のことが好きなのだろう、と深月は思い至る。
彼を誰かに取られるのが怖くて、深月にまで当たり散らしてきているのだろう。
「あの、お話なら任務後に伺います。でも、私は煉獄さんとどうこうっていうのは考えてなくて……」
深月が努めて冷静に声を掛けるが、女性隊士はキッと深月を睨み付け、大きく息を吸った。
そして。
「きゃぁああああ!!」
耳をつんざくような悲鳴を上げた。
深月は困惑する。何もしていないし、鬼もいないのに、どうして彼女は悲鳴を上げているのか。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
深月が彼女に手を伸ばすと、彼女はまた大きな悲鳴を上げる。
その悲鳴が終わる頃に、わらわらと他の剣士や隠達が集まってきた。
これだけの人数が集まってきているのだから、任務は終わったのだろう。
深月は隠に女性隊士の介抱を頼もうとしたが、それよりも前に彼女が深月を指差し、声を発した。
「子どもが居たのに、鬼に食べられちゃった……この子が私を囮にして、鬼殺の妨害をしたから!」
「えっ……?」
女性隊士が自分を指差して、わけのわからないことを言うので、深月は硬直する。
こんな真夜中に、こんなところに子どもが居るわけないだろう。それに、彼女を囮にした覚えも、鬼殺の妨害をした覚えもない。
何だったら、一人で鬼の頚を切ったのに。
深月は弁明しようとして口を開くが、何か言い掛ける度に女性隊士が悲鳴を上げて邪魔をして来る。
いい加減苛々は最高潮に達していて、深月は彼女の腕を掴んだ。
「うるさいなあ!!ちょっと黙ってなさいよ!!」
その瞬間、場がしんと静まり返る。
やってしまった、と思ったときには、周りの仲間から押さえ付けられていた。
そして、周囲の冷ややかな視線を一身に浴びることとなった。
*****
他の剣士も隠も、煉獄でさえも、女性隊士の戯言を信じたようだったが、それにしては自分の処分が軽いな、と深月は気付く。
一般人を見殺しにし、仲間を危険に晒し、鬼殺の妨害。
そこまで揃えば、今頃自分の首が物理的に飛んでいてもおかしくないのに。
おそらく、証拠が無いからとかそういう理由だろう、と結論付けて、深月はまた溜め息を吐いた。
*****
あの夜からしばらく経ったある日、深月はとある人物に話し掛けられた。
その人物に、深月は飛び上がりそうな程驚く。
「煉獄さん!?」
彼は深々と頭を下げる。
「すまなかった!」
柱に頭を下げられるなど恐れ多く、深月は慌てて顔を上げるように言う。
どうしたのかと尋ねれば、「あの女性隊士の話が嘘だったと分かった」とのことだった。
煉獄は顔を上げて、説明を始める。
あの夜は、他の仲間も深月が怒鳴るところを見ていたこともあり、迫真の演技をする女性隊士の話を信じ、深月が悪いと決めつけてしまった。
煉獄も、深月に目をかけていたのに裏切られたと思っていしまい、感情のままに疑ってしまった。
しかし、一晩経って冷静になると、彼女の話に違和感を覚えた。
それは他の剣士や隠も気付いたが、その時には深月は既に降格処分を受けていて、今更かとほぼ全員が事実確認を諦めた。
しかし、煉獄だけがその疑問を解消するべく、事実確認に奔走した。
その過程でわかったことだが、あの女性隊士から、煉獄は他の仲間と違う報告を受けていた。
どうやら、女性隊士も、他の仲間に対しての自身の言動のおかしさにすぐに気付いていたらしい。
ただ、彼女にとっては幸いなことに、その場に煉獄が居なかったため、深月が押さえられている間に煉獄の元へ向かい、別の報告をしたのだとか。
『深月が自分を囮にして、あまつさえ煉獄に気に入られるために手柄を寄越せ、と言ってきた』と。
まあ、どちらも深月を陥れるための内容には違いなかったが。
「君の降格処分は取り消すし、彼女が降格処分になった」
そこまで聞いて、深月はあることが胸に引っ掛かっていた。
「目を、かけてくださっていたんですか……?」
それは、自分や彼女の階級がどうなったかとか、女性隊士が煉獄に何を言ったのかとか、他の仲間も違和感に気付いてくれたとか、そんなことより深月にとっては重要なことだった。
「む?う、うむ、まあな」
雨宮は人一倍頑張っていたから、と煉獄は少し恥ずかしそうに言う。
煉獄の返答を聞いて、深月は顔を綻ばせる。
自分の努力を見ていてくれて、しかも認めてくれていたことが嬉しかった。
このまま頑張れば、彼の継子になるのも夢じゃないかもしれない。
「ありがとうございます!私、もっと頑張りますね!」
冤罪で降格されたことも、一度は疑われたことも、すっかり頭から抜け落ち、深月は満面の笑みを浮かべる。
その笑顔に、煉獄はどきっとする。
気のせいかと思ったが、鼓動は速く大きくなっていく。
全て女性隊士の嘘だと思っていたが、『煉獄に気に入られるために』という部分だけは、本当だったのかもしれない。
そう気付くとなんだか嬉しくて、剣士として見ていた深月が可愛い女の子に見えてきて、煉獄はこれまでの彼女のことを思い浮かべる。
ひたむきに努力していた。
誰よりも前に出て、誰も傷付かないよう、仲間を守っていた。一般人相手なら尚更だ。
女性隊士に嵌められた時でさえ、やり返さず、声を荒げただけだった。
そして、時折、ほんのり頬を赤らめて、自分のことを見つめてきていた。
「雨宮。君のことを、もっと側で見ていたい」
気付けば、そう口にしていた。
深月は一瞬ぽかんとした後、嬉しそうに頬を紅潮させた。
「継子にしていただけるんですか!?」
「いや、違う。そういう意味ではない」
「そ、そうですか……」
勘違いだったのか、と深月は恥ずかしそうな悲しそうな顔になる。
深月にとって、煉獄の言葉に『継子にしてやる』以外の意味は思い付かなかった。
彼は遠い憧れの存在なのだから。
子どものようにしょぼくれる深月が愛らしくて、煉獄はふっと笑う。
「君とは、個人的に関係を築きたいと思うのだが」
「こじんてき……?」
煉獄の言葉をおうむ返しにしながら、深月は首を傾げる。
『こじんてき』とはどういう意味だろうか。どういう字を書くのだったのだろうか。
(こじんてき、こじんてき……)
頭の中で何度かその言葉を繰り返し、『個人的』という単語に辿り着く。
「ええ!?」
深月が驚いて声を上げると、煉獄は太陽のような笑顔を浮かべた。
「これからよろしく頼む!深月!」
深月は、これは夢か幻聴だろうか、と困惑する。
しかし、自分の頬をつねると普通に痛いし、それを見て笑っている煉獄の声は確かに聞こえている。
こんなに嬉しいことはあるだろうか。
深月は目を細めて、煉獄に飛び付いた。
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