蛇の目菊を強く思う
それは、同じ鬼殺隊の剣士の蜜璃と、甘味処を巡っていたときのことだった。
「深月ちゃん、もう聞いたかもしれないけど、煉獄さんお見合いされるんですって……」
不意に告げられた内容に、深月は思わず持っていた匙をぜんざいの中に落とした。
びしゃ、と甘い汁が周辺に飛び散り、深月の隊服まで汚す。
「深月ちゃん、大丈夫?」
蜜璃は慌ててハンカチを取り出し、深月の隊服についた汚れを拭おうと手を伸ばす。
しかし、その手が届く前に、深月は勢いよく立ち上がった。
「それ、いつ!?誰と!?」
机に手を突いて身を乗り出し、蜜璃に詰め寄る。
深月は、任務で煉獄に助けられて以来、長いこと彼に想いを寄せているのだ。
彼女の気持ちは、煉獄以外なら結構知っている。肝心の煉獄にだけ、伝わっていないのだ。
近くなった顔に頬を染めながら、蜜璃は申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。私も詳しくは聞いてないの」
「そう……そうだよね。こっちこそごめん」
深月はすとんと椅子に座り、小さく溜め息を吐いて、またぜんざいを口に運び始める。
このぜんざいに罪はない。食べきってしまわねば、店の人にも悪い。
でも、食欲はほとんど失せていて、無理矢理ぜんざいを飲み込みながら、後悔する。
こんなことなら、さっさと告白しておけばよかった、と。
そうすれば、もしかしたら彼と恋仲になれたかもしれないし、恋仲になれていればそうそう見合いの話など来なかっただろう。
振られたとしても、気持ちの整理をつけるくらいはできていたはずだ。
深月は再度小さく溜め息を吐く。
後悔したところで、過去が変わるわけでもないし、煉獄の見合いがなくなるわけでもない。
なんとかぜんざいを食べ終えてから、蜜璃の分の代金も置いて、彼女より先に店を出る。
「ごめん、蜜璃ちゃん!私、先に出るね!」
特に理由は伝えなかったが、蜜璃には深月がこれから何をするのか察しがついた。
彼女はきっと、煉獄に告白をしに行くのだ。
ずっと淡い初恋を胸に秘めていた彼女は、漸く決心したのだ。
「深月ちゃんなら、きっと上手くいくわよね」
蜜璃は深月と煉獄の幸せを願って、ふわりと微笑んだ。
*****
まず、深月は煉獄にバレないよう、彼の見合いについて情報を集めた。
本人に直接聞けば不審がられて教えてもらえないかもしれないし、不意打ちの襲撃ができなくなる。
まあ、襲撃と言うと物騒だが、要は見合いの場に乗り込んで、煉獄の結婚を阻止しようという算段だ。
「私だって、家柄は悪くないし……剣士としてはまだまだだけど、煉獄さんに誉めてもらうことも多いし!」
深月はこれでも、そこそこの名家の出身だ。
それに、鬼を見たこともないような、どこぞのか弱いご令嬢より、煉獄のことを知っている。
側で彼を見てきた。彼と共に戦ってきた。
家庭に入って家を守るのは性に合わないから、鬼殺隊は続けるつもりだが、職業婦人だって珍しくない時代だ。
鬼殺隊士を職業婦人と言っていいかは少々疑問だが。
とにかく、自分は剣士として、彼の側に居たいのだ。
そう思って、深月は昼の町を駆ける。
隠を捕まえては尋問まがいの情報収集をし、鎹烏を見つけては噂話でもいいからと話を聞く。
煉獄との共通の知り合いにも情報提供を求め、全ての相手に固く口止めをした。
その際、もし煉獄本人──いや、煉獄家の誰かにバレるようなことがあれば、しのぶにくそまずい薬湯をもらってきて飲ませてやると脅した。
その甲斐あって、煉獄の見合いの日取りや場所は、割とすぐに判明した。
*****
煉獄の見合い当日。
深月は見合い会場である料亭に来ていた。
後で煉獄に怒られるだろうが、従業員に少しの金を握らせ、見合いの予定を聞いて、正面から入ったのだ。
深月は、煉獄と見合い相手が来るであろう部屋の隣の部屋で息を潜め、彼らを待つ。
どうせなら、話が始まってから乗り込んで、この場で煉獄に告白するつもりなのだ。
見合い相手の目の前で、「自分を選んでほしい」とお願いして、彼を攫ってしまおうとまで考えている。
もしそれで煉獄に振られたとしても、この見合いは滅茶苦茶にできるから、彼の縁談がすぐに纏まることはないだろう。
せめて、あと少し、彼のことを想っていたかった。
深月は目を伏せて、煉獄の笑顔を思い出す。
恐怖も逆境も明るく照らす、太陽のような彼の笑顔が好きなのだ。
初めて会った時から。
*****
あの夜は、もう駄目だと思っていた。
事前に聞いていたより鬼は強いし多いし、仲間も怪我で動けない。彼らを守りながらの戦闘は限界だった。
要請した応援はいつ来るのか。
それまで仲間を守り切れるのか。
「おい、俺達のことはいいから、お前は逃げろ!!」
心優しい仲間は、深月を気遣ってそう叫んだ。
しかし、深月の中に仲間を見捨てるという選択肢はなく、一人で逃げるくらいなら、応援が間に合うことに望みをかけて日輪刀を構えることを選んだ。
それでも、仲間を守りながらの戦闘はきつくて、鬼の数は全然減らない。
疲労は真っ先に足に来て、深月は膝を折る。
鬼の手が目の前に迫って来ていたので、覚悟を決めて、せめて仲間の盾に、と思った。
次の瞬間、燃え盛る炎が見えて、気付けば誰かの腕の中に居た。
「よく持ち堪えた!もう大丈夫だ!」
笑顔でそう言って、その人は深月を抱えたまま、あっという間に残りの鬼を斬り伏せてしまった。
日輪刀を鞘に戻した彼は燃えているような髪を揺らしながら、深月を地面に降ろした。
「一人で頑張ったんだな!偉いぞ!」
褒めてもらえたことが嬉しくて、彼の明るい笑顔に安心して、深月はわんわん泣いてしまった。
彼は深月が泣き止むまで側に居てくれて、それからちょくちょく気に掛けてくれるようになった。
*****
あの日、深月は煉獄のようになりたいと思うと同時に、彼の笑顔に恋をした。
それ以来、深月は煉獄の隣に立てる女性になるため、努力を重ねた。
幸い、実家が名家だったおかげでまあまあ教養はあったので、それはどうにかなった。
だから、彼の側に居て恥ずかしくないくらい強くなれるよう、必死で鍛錬した。
階級も上がったし、初めて会った時に比べれば、かなり強くなった。
でも、それでも。
堂々と彼の隣に立つにはまだ足りない。
自分がこんなに努力しても得られない立場を、見知らぬ女が手に入れようとしていることが許せない。
こんな醜い考え、煉獄に嫌われるだろうか。
深月は少し自己嫌悪に陥るが、隣の部屋の物音に気付く。
煉獄と見合い相手の両家が入ってきたのだ。
簡単な挨拶から始まって、すぐに料理が運ばれてくる。
そろそろ本格的に縁談の話が始まるだろうか。
深月は息を殺して、割って入る機会を伺うが、不意に聞こえてきた内容に目を見開く。
「あの、杏寿郎さんはこの縁談をどう思われていますか?私は、すぐにでも纏めていただければと……」
若い娘の声だ。見合い相手のものだろう。
かなり縁談に乗り気らしい。
「いえ、私には勿体無いお話……」
「まさか、女性に恥をかかせるおつもりではありませんよね?」
煉獄がいつもより丁寧な口調で口を開くが、見合い相手はそれを遮るように言う。
彼女の声は、笑みを含んでいるように聞こえた。
煉獄が断りにくい言い分を考えてきたのだろう。
深月は、なんて狡い女だ、と思った。
煉獄の善意に付け込んでまで縁談話を纏めたいのか。
居ても立っても居られなくなり、思いっきり襖を開け放つ。
「待ってください!煉獄さん……」
「申し訳ないが、俺には添い遂げたい人がもう居るのでな!」
深月の声に被って、煉獄の大声が部屋に響く。
煉獄に想い人が居たことが衝撃で、深月は硬直する。
深月に気付いた見合い相手やその親は驚きを隠せない表情になり、煉獄の父親は呆れた顔で彼女を見上げる。
煉獄は立ち上がり、深月に歩み寄る。
「ちょうどいいところに来た!」
深月の肩を抱いて、見合い相手を見下ろす。
「俺が妻にしたいのはこの女性だけだ!」
「えっ?えっ?」
何が起きたかわからず、深月は困惑して煉獄を見つめる。
珍しく着ている和服が格好良くて、抱かれた肩はとても熱い。
近い距離にどきどきしながら、煉獄が言ったことを頭の中で繰り返す。
『俺が妻にしたいのはこの女性だけだ』
この女性というのは、自分のことだろうか。
妻にしたいとは、どういう意味だろう。
困惑する深月を他所に、煉獄は見合い相手に告げる。
「ご足労いただいたのに申し訳ない!だが、断ったのに『見合いの席に来るだけでいい』と言ったのはあなた方だからな!」
豪快に笑ってから、深月を片腕で抱えて部屋を出て行く。
煉獄の父親も立ち会がり、見合い相手に一礼して去って行く。
見合いの場に乗り込んでくるような女のどこがいいのか、と思いながら。
見合い相手とその親は、しばらく呆然としていた。
*****
料亭を出てしばらくしてから、深月は我に返った。
「煉獄さん、どういうことですか!?いや、それより先に降ろしてください!」
煉獄は深月を地面に降ろす。
しかし、彼女の腰に腕を回して離そうとしない。
深月は頬を染めながら、再度尋ねる。
「さっきの、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ!俺は、添い遂げるなら君と決めている!」
その言葉は、告白や求婚と言っても差し支えないもので、深月は赤かった顔をさらに赤くする。
「え、なんで、私……?」
「君が、あの日泣いたから」
煉獄は目を細め、かつての深月のことを思い浮かべる。
応援に行った先で、一人仲間を守っていた少女。
膝を折っても、鬼から仲間を庇おうとしていたのに、助けた後にわんわん泣いていた。
泣いているのは可哀想なのに、その涙が綺麗で、その少女のことが気になった。
「怖かったのに頑張ったんだろう、と思った」
その健気さや、その後に見た努力家な一面に、煉獄は心惹かれたのだ。
「雨宮……いや、深月。店の者に金を握らせてまで見合いを邪魔しに来るくらいなのだから、君も俺が好きなのだろう?」
煉獄がにっこり笑うと、深月はひゅっと息を詰まらせた。
何をしたのかバレている。
おそらく、深月が隣の部屋に居たのも最初からわかっていたのだろう。
「違うのか?」
何も答えない深月に、煉獄が微笑んで尋ねる。
自分が好きなのは太陽のような笑顔なのに、と深月は悔しく思いながらも眉を下げる。
目を細めた顔も、にっこり笑った顔も、微笑んだ顔も、全部好きだと思った。
「違わないです……」
「うむ!では、今後ともよろしく頼む!」
そう言って、煉獄が浮かべた笑顔は、深月の好きな太陽のような笑顔で、深月はどきっとする。
ずっと腰に腕を回されたままだし、何だったらその腕は徐々に力が込められているし、心臓が止まりそうになる。
ついには煉獄の顔が近付いてきて、眩暈を起こしそうになった。
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