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秋の扇


憧れの人と恋仲になれた時、深月は夢のようだと思った。

彼に選んでもらえたことは、人生最大の喜びで、彼に愛してもらえるよう、努力は惜しまなかった。

全身全霊で愛して、彼も想いを返してくれて、幸せな時間を過ごした。

本当に、幸せ、だった。


*****


「煉獄さん、この後お食事でもいかがですか?」
「甘露寺と先約があるので、また今度な」

深月にしてはかなり勇気を出して誘ったのに、煉獄はあっさり断る。

しかも、他の女性と先約があるから、という理由で。

理由が理由なだけに、深月は食い下がる。

「で、でも、最近あんまりお食事とか行けてないですし……」
「どうしたんだ、急にわがままを言って。君はそんな子だったか?」
「あ、いえ……すみませんでした」

そんな風に言われたら、何も言えなくなる。
深月は曖昧な笑みを浮かべ、諦めてしまう。

わがままを言って困らせたいわけではない。約束をすっぽかすのもよくない。
しかし、彼の恋人は自分だ。甘露寺ではない。
確かに、甘露寺は煉獄の元弟子で、可愛がるのは当然だろう。
だが、甘露寺は女性だ。しかもかなり可愛らしく、煉獄と年頃が近い娘だ。彼女を優先して、自分が蔑ろにされるのをおもしろくないと思うのは、そんなにおかしいことなのだろうか。

颯爽と去って行く煉獄の背中を見つめながら、深月は泣きたくなるのを意地だけで堪える。

いつからこんな風になってしまったのだろうか。
少なくとも、付き合い始めた頃の煉獄は、もっと優しかった。

よく食事に誘ってくれたし、家にも何度か招いてもらった。
恋人らしいことも頻繁にしてくれた。

でも、最近は諸々のことがとんとご無沙汰だ。

(煉獄さん、私のこともう……)

嫌なことを想像してしまい、せっかく堪えていた涙が、深月の目にうっすらと浮かぶ。

食事に誘っても断られるし、家に招いてもらう頻度も減った。

最後に肌を重ねたのはいつだったか。
その時も、終わるなり煉獄が布団から出て行ってしまったことを思い出す。

この嫌な想像はきっと当たっている、と思って、深月は唇を噛み締める。

どうやら、大好きな恋人に、嫌われてしまったらしい。

「さっさと捨ててくれたらいいのに……」

思わず呟く。

どうして捨ててくれないんだろう。
『恋仲』という関係をやめれば、多少冷たくされても耐えられそうなものだが。

もしかしたら、手頃で従順な女だと思われているのかもしれない。

そう思うと悲しくて、悔しくて、でも煉獄のことを嫌いになれる気はしなくて。

まずは彼と距離を置こう、と深月は心に決めた。


*****


ある日、煉獄はふと気付く。

ここ最近、恋人と会っていない、と。
それどころか、手紙も来ていない。

(何かあったのだろうか。怪我をしたとも忙しいとも聞いていないはずだが)

はて、と首を傾けて考える。

可愛い可愛い恋人は、任務明けによく会いに来てくれていた。
会えない日は手紙を寄越してくれたし、先日は珍しく食事に誘ってくれた。まあ、食事は先約があったので断ってしまったが。

ずっと隣に居るのが当たり前だったので、しばらく会っていないと違和感を覚える。

「むう……」

煉獄は少し悩んでから、恋人の深月に会いに行くことにした。

自分が聞いていないだけで、怪我をしたのかもしれないし、急に忙しくなったので報告する暇もなかったのかもしれない、と思ったからだ。


*****


しかし、煉獄の予想に反して、深月は元気そうだったし、忙しそうにもしていなかった。

怪我をしていないことに安心して、煉獄は彼女に声を掛ける。

「深月、久しぶりだな!最近来ていないが、元気にしていたか?」
「あ、煉獄さん。どうも」

いつもなら、自分を見た途端ぱあっと顔を明るくさせる深月が、なんだか暗い表情をしていて、煉獄は面食らう。

彼女のこんな表情は、月のものが重いと喚いているのを看病した日以来だ。

「深月、具合が悪いのか?もしかして、その……重い日なのか?」
「違います。すみません、急いでいるので」

深月はそれだけ言うと、軽く頭を下げて去ってしまった。

一人取り残された煉獄は首を傾げる。

結局、彼女に何があったのか、わからなかった。

だが、何事もないならそれが一番だ、と思って、その日はそのまま任務に向かった。


*****


それからというもの、煉獄は段々と深月の様子がおかしいことに気付き始めた。

声を掛けても会話は続かないし、家に招いても誘いに乗ってくれない。
任務後、たまたま藤の花の家で一緒になったので、褥を共にしようとしたら、「部屋を分けてくれ」と拒否された。

これは、さすがに何かあったと思って、煉獄は深月を家に呼び出した。
また断られる可能性があったので、悪いと思いつつ上官命令として伝えた。

深月はいかにも渋々といった様子でやってきた。

彼女を自室に案内し、彼女が好きな菓子と茶を出しても、表情を変えてくれない。

好きな菓子を見たときに浮かべる、少し子供っぽい笑顔が好きなのに、と煉獄は少し残念に思う。

「たくさんあるから、好きなだけ食べなさい」
「いえ、お腹空いてないので……」
「むっ!?」

煉獄は深月の言葉に驚いて目を見開く。

以前の彼女なら、満腹だろうと食べ過ぎだろうと、「別腹ですから」と言って、菓子を大量に平らげていた。
それこそ、甘露寺かと思うくらいの量を。

「遠慮しているのか……?」

煉獄は恐る恐る尋ねる。
深月はちらりと煉獄を見て、菓子に視線を落とす。

「本当に、お腹が空いてないんです」

少し、怒っているような声だった。

煉獄はしつこかったか、と反省してから、早速本題に入る。

「最近、様子がおかしいが何かあったのか?」

そう、尋ねただけだった。

深月の反応を見て、煉獄はぎょっとする。

大事な恋人は、ぼろぼろと大粒の涙を溢し始めたのだ。

「どうした!どこか痛むのか?」

煉獄は慌てて深月の側に行き、隊服の袖で彼女の涙を拭う。その際、彼女の白い肌が傷付かないよう、優しい手付きを心掛ける。

深月の涙はすぐに収まったが、彼女は両手を煉獄の胸に添え、ぐいっと押して距離を取った。

予想外の行動に、煉獄はぽかんとする。

「深月……?」
「中途半端に優しくしないでください!せっかく、忘れようと思ったのに!」

何を言われているのかわからず、煉獄は困惑する。
ただ、深月の涙は止まったものの、まだ泣き出しそうな顔をしていて、可哀想だと思った。

煉獄は深月に手を伸ばし、彼女をそっと抱き締める。
例え拒否されても、泣いている恋人を放ってはおけない。

「やだ!離してください!」

深月は煉獄の胸を再度押して抵抗する。

『やだ』という言葉には傷付いたが、煉獄は彼女を逃がさないよう、腕に力を込める。
弟が小さい頃にしていたように、背中を軽く叩くように撫でてやれば、また深月が泣き始める。

「い、今更優しくしたって、絆されたり、しませんから」

少ししゃくり上げながら告げられた言葉に、煉獄はきょとんとする。

「どういう意味だ?」
「煉獄さん、もう私のこと好きじゃないんでしょう?都合がいいから手元に置いてるだけなんでしょう?」
「何を、言って……」

煉獄はさらに困惑する。
とりあえず、詳しく事情を聞かねばなるまいと思った。


*****


煉獄の腕の中で、深月は彼を見上げる。

距離を置こうと決めたのに、久々の抱擁は心地好くて、安心してしまって、つい思いの丈を洗い浚い話してしまった。

自分より甘露寺を優先されて悲しかったこと。
煉獄が冷たくなったので、嫌われたと思っていること。
それでも別れを告げられないのは、手頃で従順な女だと思われているからと考えていること。

あとは、付き合い始めた当初は良かった、なんて愚痴みたいになった。

途中から、煉獄の顔が青ざめていくのがよくわかった。

全て話し終えてから、もう五分程経つが、煉獄はずっと硬直している。

さすがに心配になって、深月は彼に声を掛ける。

「煉獄さん、大丈夫ですか?」

すると、煉獄は深月を見下ろし、少し見つめてから、ぎゅうっと音がしそうなほど彼女を抱き締めた。

「すまなかった!そんなつもりではなかったんだ!」
「今更遅いです……」

急に優しくされて、抱き締められて、常套句みたいなことを言われても、がちがちに固まった深月の心は晴れない。

煉獄は小さく息を吐いて、また口を開く。

「深月が側にいることが、いつの間にか当たり前になっていた。ずっと俺の隣に居てくれるものだと思って、君の気持ちを考えていなかった!本当に申しえ訳ない!」

かなり必死に謝られ、深月はぐっと息を詰まらせる。

あの煉獄が、ここまで必死に謝っているなら、本当に悪気などなかったのだろう。もしこれが演技なら、大したものだ。

「ほんとに?私のこと、嫌いじゃない……?」
「こんなに愛しい人のことを嫌うものか!」

煉獄の返答に、深月の口角は自然と上がる。
仮に演技だとしても、これなら一生騙されてもいいかもしれない、と思ってしまった。

深月がもぞもぞと身動ぎすると、煉獄は腕の力を緩める。二人の間に余裕ができて、深月は改めて煉獄を見上げる。

「これから優しくしてくれるなら、許してあげます」

微笑んでそう言えば、煉獄は嬉しそうに目を細めた。

「ありがとう。目一杯甘やかすと約束しよう」

そう言って、顔を近付けてくるので、深月は目を閉じる。

随分久々の口付けだった。

唇が離れて、深月は目を開ける。
しかし、またすぐに口を塞がれた。

先程より、かなり深く口付けられて、息ができなくなる。
苦しい、という意味を込めて煉獄の胸を叩いても、全く手加減してくれなかった。

気付けば、ぐいぐいと押されていて、抵抗虚しく畳の上に組み伏せられる。

「あ、あの、煉獄さん……?」

まさかと思って煉獄を見上げれば、彼の瞳はギラギラと燃えているようで、深月は背中がぞくぞくとするのを感じた。

「常々思っていたのだが、俺のことは名前で呼んでくれ。特に、肌を重ねるときはな」

煉獄はそう言いながら、羽織を脱いで脇に置き、自身の詰襟の釦を外していく。

ワイシャツの釦も全て外し終えると、今度は深月の隊服に手を掛ける。

「うんざりするほど可愛がってやるから、覚悟するといい」



久々の逢瀬は、深月がもう無理だと泣き喚くまで続いた。






煉獄さんが無自覚で冷たくしちゃうのいいな、と思いました。

切甘は好きですが、その感じを出すのは難しいですね!
でも、仲直りの下りとか書いてて楽しかったです.゚+.(・∀・)゚+.゚

素敵なリクエスト、ありがとうございました(*_ _)











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