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風柱


少女を異形の鬼から庇うように立っている、白髪の青年。
彼の背中に刻まれた『殺』という物騒な文字に、少女は竦み上がる。

その直後、突風に煽られたみたいな衝撃があり、少女は思わず目をぎゅっと瞑る。
風が止んで、恐る恐る目を開けると、異形の鬼は灰となって崩れかけていた。

青年が振り返り、少女に歩み寄る。

彼が側まで来たとき、少女は小さく悲鳴を上げた。
身体は強張っているのに、全身がぶるぶると震える。

彼の顔は傷だらけで、何だったら鬼より怖かった。

青年は一瞬硬直した後、懐から手拭いを取り出し、少女の腕の傷に巻いてやった。

「怖かったよなァ」

そう言って、ぽんぽんと少女の頭を軽く撫でる。

その声も手付きも優しくて、彼は見た目ほど怖い人ではないのかもしれない、と少女は思った。

身体の緊張も解け、震えも収まる。

「あ、ありがとうございます……」

少女がなんとか御礼を言って頭を下げると、青年は少女の隣に座った。

それから、頭巾を被った集団が来るまで、彼はずっと少女の側に居た。

彼はそれ以上少女を慰めるでもなく、頭を撫でるでもなく、ただ座って雑談をするだけだったが、少女にとってそれは心地好い時間だった。


*****


「ほら、あの頭巾のやつに着いてけ」
「鬼狩りを教えてください!」
「オイ、話聞いてんのかァ?」
「私は雨宮深月と申します!お兄さんのお名前を教えてください!」

少女──深月は青年にしがみつき、離れようとしない。

隠に着いて行けと言っても、全く聞き入れない深月に、青年は溜め息を吐く。

こんなことなら、隠が来るまでの間、雑談なんかするんじゃなかった。聞かれたからと言って、鬼殺隊のことなんか教えるんじゃなかった。

そう思って、青年は再度溜め息を吐く。
このしがみついてきている深月とやらは、青年の弟に少し似ていた。

その弟は、家族の中で唯一生き残って、ひどい別れ方をしたし、もう何年も会っていない。
まっとうに生きてほしいから、彼のことはもう弟と思わないようにしている。慕った兄弟子も死んでしまったので、自分は天涯孤独になったのだと言い聞かせて、一人で生きると決めた。

それなのに、随分と懐かれたものだ。

「わ、私、行くところがないんです!親はろくでなしだし、親戚も頼れないし……」

深月はどうやら、家出してきたところを鬼に襲われていたらしい。

必死にしがみついてくる腕は、このまま放っておいたら、野垂れ死にするんじゃないかと思うくらい細くて、青年の中にある考えが芽生える。

(匡近なら、こいつの面倒見るんだろうなァ)

死んでしまった兄弟子なら、きっとこのしがみついてくる腕を振りほどいたりしない。

青年は諦めたように息を吐いて、深月の頭を撫でた。

「血反吐ぶちまける覚悟はあるかァ、坊主」
「えっ……」

深月はぱちぱちと瞬きする。
今、彼は深月のことを『坊主』と言った。おそらく、少女ではなく少年だと思っている。
まあ、深月の体つきはまだまだ女性らしくないし、顔立ちも中性的な上、彼女は男物の服を着ている。
青年が勘違いするのも無理はない。

ただ、剣を教えてもらうなら男と思われている方が都合が良いと思って、深月も特に訂正しなかった。

「はい!血反吐でも何でも吐きます!」
「おう。俺は不死川実弥だ」
「不死川さん!よろしくお願いします!」

こうして、深月は風柱である不死川実弥の弟子になった。


*****


数年後。
深月は鬼殺隊の剣士となり、正式に不死川の継子になっていた。

不死川の教えは、厳しいどころの話ではなかった。

ただひたすらに容赦がない。
出会った日に言われた通り、深月は反吐も血反吐もよくぶちまけている。
普通に吐血することだって珍しくない。

その日も、深月はいつも通り稽古をつけてもらっていた。

「遅ェ!!あと十回追加だァ!!」
「ひっ……は、はい!!」

不死川の怒号に、深月は半べそで応える。

もうかれこれ二時間は打ち込み稽古をしているのだ。しかも、何度ぶっ飛ばされたかわからない。

しかし、これくらいはいつものことで、深月も普段はこの程度でべそをかいたりしない。

今日は、月のものが重い日なのだ。
貧血、頭痛に腹痛、腹の調子も良くない。

不死川に弟子入りした頃は、月のものなどなかったのに、彼の元で暮らすようになってから、充分な栄養が取れるようになった。
背は伸び、隠しているが体つきは女性らしくなって、初潮も迎えて、しかも激務にも関わらずほぼ毎月しっかり来る。健康そのものだ。

それ故に、こんなに重い日は初めてで、かといって未だに深月のことを男だと思っている不死川に体調不良を訴えられるわけもなく。

深月は耐えに耐えて、稽古に励んでいた。

だが、不意に視界がぐらつく。
不死川の姿は見えているのに、距離感がおかしくて、地面がゆらゆらと揺れる。

貧血が悪化したのだと気付いた時には、地面に倒れ込んでいた。

「深月!?」

突然地面に伏せた弟子に、不死川は慌てて駆け寄る。
いつもより厳しくしたつもりもなければ、これくらいでへばるような鍛え方をしていなかったはずだ。

抱き起こした深月の顔は真っ青で、具合が悪かったのだ、と察する。

「それならそうと言やいいのによォ」

不死川は罰が悪そうに呟きながら、深月を部屋まで運んで行った。


*****


しばらく寝かせてやろう、と思って、不死川は布団を敷き、そこに深月を寝かせた。
布団を掛けようとして、隊服のままでは寝づらいだろうと思った。

寝間着に着替えさせてやるか、と考えて、弟子の箪笥を漁る。

「ったく、世話が焼ける……」

悪態を吐きながらも、不死川の口は柔らかく弧を描いていた。なんだかんだで、弟子の世話は苦じゃないのだ。

寝間着一式を用意して、深月の隊服に手を掛ける。
最初にベルトを緩めてやり、詰襟とその下のシャツの釦を外す。

そこで、不死川は首を傾げた。

「なんだ、こりゃァ?」

深月の胸には、晒が巻いてあった。
それも結構きつめで、何重にも巻いてあるように見える。

胸や背中を怪我したとは聞いていないが、いちいち怪我を報告してくる弟子でもない。
もしかして、怪我を隠してるんじゃないか、と思って、不死川は晒の結び目を探す。

それを見つけて、いくらか外したところで、何かがおかしいと気付く。

緩んできた晒の下に、僅かな膨らみがあるように見えてきた。

不死川は手を止め、深月の真っ青な寝顔を見つめる。

深月は割と中性的というか、女っぽい顔立ちをしている。
一人称が出会ったときからずっと『私』なのは、『親がろくでなしと言う割には、育ちが良いのだろう』くらいに思っていた。

よくよく思い返せば、傷を見てやると言っても嫌がるし、湯浴みは絶対に一人で行くようにしていたし、泊まりの任務で一緒になったときも、部屋を別にするようせがんできていた。

それらは深月の性格や個性だろう、と不死川も別段気にしたことはなかった。

だが、しかし。

もしそれらに事情があるとすれば、それはおそらく──

そこまで考えたところで、深月が呻き声を上げて目を覚ました。

「あれ、師範?どうして……?」

深月は少しの間ぼうっと不死川の顔を見つめて、なんだか腹回りがすーすーすることに気付く。
何だろう、と思って確認すれば、隊服の前が全開だった。胸を押さえつけるために巻いていた晒も、胸の膨らみが若干分かる程度に外されている。

「深月、テメェ……」
「いや、あの!これは……!」

深月は咄嗟に隊服の前を掴み、胸元を隠す。

不死川の性格上、女だとバレたらしこたま説教された挙げ句、継子どころか剣士を辞めさせられるかもしれない。
そう思って、今までひたすら隠し通してきたのに、こんなことでバレるとは。

いや、もしかしてバレてないかもしれない、と深月は一縷の望みをかけて不死川を見上げる。

普段はほぼ怖い顔しかしていない師範は、気まずそうにうっすら頬を染めていた。

その貴重な表情に一瞬見惚れてから、あ、これはバレている、と深月は青かった顔をさらに青ざめさせる。

「師範、私は……!」
「いいから寝てろォ。寝間着はここに置いとくから、ちゃんと着替えろよ」

不死川は深月の言葉を遮り、彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。

そのまま目も合わせずに部屋を出ていき、少し進んだ廊下で、大きな溜め息を吐いてしゃがみこむ。
その際、片手で顔を覆って、誰に見られているでもないのに顔を隠す。

ずっと男だと思っていた弟子が、女だった。
何故、数年も一緒に暮らしているのに気付かなかったのか。

一瞬、彼女に剣士を辞めさせようか、という考えが過ったが、あれだけ優秀な剣士を辞めさせるには、それ相応の理由や労力がいるので、現実的ではないと思い至る。

だったら、一人で問題なく生き延びれるくらい強く育てるしかないだろう。

しかし、今日の深月はおそらく、女性特有の理由で体調を崩している。

「くそっ……」

不死川は、顔を覆っていた手で、後頭部をガリガリと掻く。

包帯を外した時の僅かな膨らみも、少しだけ見えた細い肩も、白く透き通った肌も、なかなか頭から離れてくれない。

今まで通り、否、今まで以上に厳しくするには、時間を要しそうだった。












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