水柱
「義勇さん、稽古をつけてください!」
取るはずのなかった弟子にせがまれ、冨岡は無理矢理渡された竹刀を握る。
弟子はぱあっと顔を明るくさせ、既に持っていた竹刀を構える。
稽古をつけるからには、冨岡も手を抜くつもりはない。それは弟子もわかっているし、毎回吐くまで稽古をつけられているのに、何故ああも明るく笑っているのか。
冨岡は小さく溜め息を吐く。
彼の存在感は大きく、いや、大きすぎて、冨岡の日常は掻き乱されてばかりである。
彼──深月をちらりと見れば、冨岡の準備はまだかまだかと待ち構えている。
冨岡は再度小さく溜め息を吐いて、竹刀を構えた。
*****
それは、二年程前のことだった。
冨岡は柱になったばかりで、妹を鬼にされた兄妹と出会った。
その兄の方は剣士になる意思があったので、師である鱗滝を紹介した。
その次の任務で出会ったのが深月だ。
深月は襲われながらも、持っていた小刀で鬼の目を潰していた。
異形の鬼に少しも怯むことなく、勇敢に立ち向かっていた。
まあ、ただの子どもが鬼に勝てるわけがないので、冨岡は指令通りその鬼を倒したわけだが。
深月は冨岡を見て、目を輝かせていた。
「す、すごい……お侍様ですか?」
今時侍などいないだろうに、と冨岡は溜め息を吐いた。
「俺は鬼殺隊の剣士だ」
「きさつたい……?」
深月はきょとんとした顔で、冨岡の言葉を一部繰り返す。
そのままどういうわけか、冨岡に引っ付いてきた。
冨岡も、最初は先日の兄妹同様、深月を鱗滝の元へ向かわせようとしたが、この子どもはなかなかに強情で、結局三日で根負けして、弟子にしたのだった。
*****
深月の生い立ちについて、冨岡は聞いていないし聞く気もない。
ただ、出会った時はぼろ雑巾のような着物を身に纏い、髪も不揃いに切られていたので、ろくな家庭環境で育っていなさそうだとは思った。
その点、鱗滝を紹介した兄妹は、裕福ではないが幸せな家庭で育ったように見えた。
だが、今はそんなことどうでもよくて、冨岡は深月の攻撃を受け流しながら、彼の型を見てやる。
「少し荒いな。そんな型を教えた覚えはない」
「はい!すみません!」
冨岡の冷たい指摘にも、深月はとびっきりの笑顔で返す。
それを見て、冨岡は困惑する。
引き取ったからには、と厳しく育てきたが、彼には異常なまでに懐かれている。
よく笑顔を見せてくるし、いつも楽しそうにしている。
自分のどこがそんなにいいのか甚だ疑問だったが、弟子に懐かれるというのは悪くない気分だった。
「深月。今日はここまでだ」
「えー!もっと相手してください!」
まだ時間ありますよね、と見上げてくる深月。
その小動物のような表情に、冨岡はどきっとする。
しかし、男相手に何を思ってるんだ、と誤魔化すように首を振る。
「義勇さん?もしかして、体調が悪いんですか?」
「別に」
深月が駆け寄ってきて顔を覗きこんでくるので、冨岡は視線を逸らして短く答える。
深月はこてんと小首を傾げた後、「じゃあ、続きの前に何かお作りします!」と屋敷へと駆けていく。
どうやら、彼の中で『続き』があるのは確定らしい。
この弟子は、どうして仕草がいちいち女っぽいのか、と冨岡はまた溜め息を吐く。
最初は何とも思わなかったのに、彼と長く一緒にいるうちに、彼の仕草や言動を可愛いと思うようになってしまった。
これは弟子に対する感情ではなく、恋愛感情のようなものだろう。
そういう趣味はないはずなのに、と思いつつも、弟子の作る飯はうまいので、着いていこうと彼に視線を戻す。
しかし、彼は居なかった。既に屋敷の中へ入ったのだろうか。
冨岡も続こうとして、ふと地面に黒い塊が落ちていることに気付く。
その塊が深月だと理解するのに、数秒かかった。
「深月?どうした?」
冨岡は小走りで深月に駆け寄り、彼を抱き上げる。
初めて抱き上げたその身体は、驚くほど軽かった。
深月は小さな呻き声を上げ、冨岡を見上げる。
「お腹痛い……」
「は?」
ついさっきまで、笑顔で竹刀を振り回し、食事を作ろうと意気込んでいた人物の言葉とは思えなかった。
腹が痛かったのなら、もう少し兆候があってもいいだろう。
苦痛が頂点に達するまで元気だなんて、熱を出した子どものようだ。
そこまで考えて、冨岡はふと深月の隊服の色が一部変わっていることに気付く。
黒だから見づらいが、血の色に染まっているのではないだろうか。
「深月。脚を怪我しているのか?血が……」
その血は、脚や下腹部を中心に広がっていた。
「えっ……わああ!あの、これは!その……」
冨岡の言葉で、深月は自身の下半身を確認し、真っ赤になる。慌てて、冨岡から隠すように膝を抱える。
その妙な反応に、冨岡は首を傾げる。
この弟子が怪我を隠していたことは一度や二度ではないが、今までは大人しく謝って手当てを受けているだけだった。患部を隠すようなことはしなかった。
「何か言いたいことはないか?」
冨岡は思わずそう尋ねた。
もしかして、深い傷なのに放置しているのではないか、と思ったのだ。
顔を近付けて、「見せろ」と言いながら深月の膝を押して、患部を確認しようとする。
「やっ、やだ……!」
深月は必死に抵抗し、膝をより強く抱える。
しかし、冨岡の膂力が勝って、ぐいっと押された膝から腕が離れる。
「どこを怪我してるんだ?痛いと言っていたが、腹も怪我したのか?何故黙っていた」
冨岡が淡々と尋ねながら、深月のベルトに手を掛ける。
深月はわなわなと震え、ぎゅっと目を瞑って、観念したように叫んだ。
「怪我なんかしてません!」
この期に及んで、そんなすぐバレる嘘を吐くなんて、いつもの素直な弟子はどこに行ってしまったのか。
冨岡が大きな溜め息を吐くと、深月は彼の腕をぎゅっと掴んで制止する。
「本当に、どこも怪我してないんです!」
「だったら、この血はなんだ?」
「これは、その……」
深月はおろおろと目を泳がせた後、冨岡から顔を背けて、小さい声でこう答えた。
「月のもので……」
深月が何を言っているのかわからず、冨岡は硬直する。
月のものとはどういうことだ。
冨岡だって、それが男には無いことくらい知っている。
深月は冨岡の胸を両手で押し、彼から距離を取る。
「お側に居れなくなると思って、ずっと言い出せなかったんですけど……」
冨岡の顔は見れないまま、ぼそぼそと説明を始める。
自分はは男ではない。生まれてこのかた、ずっと女だ、と。
腹が痛むのも、この血も月のものが原因で、本当にどこも怪我していないのだ、と。
「義勇さんを騙すつもりはなかったんです。でも、義勇さんは私のこと男だと思ってるみたいだったし……」
その一人称に、冨岡は目を見開く。
深月の一人称は、今まで『自分』や『俺』だった。『私』というのは初めて聞いたが、妙に似合っていた。
冨岡は混乱する頭で、なんとか一つのことを考える。
自分が彼──否、彼女に惹かれていたのは、彼女を可愛いと思っていたのは、何ら不思議なことではなかったのだ。
彼女は、年頃の娘だったのだから。
それなら、この気持ちは、もう無視する必要も我慢する必要もないのだろうか。
そう思って、冨岡は深月の頬に手を伸ばした。
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