蛇柱
彼の第一印象は、『蛇のような人だ』だった。
不思議な曲がり方をする剣技も、ネチネチとした物言いも、まるで蛇のようで、しかも蛇を首に巻いているではないか。
「ありがとうございます。蛇さん」
少女は助けてもらった礼を言う。
その際、ついつい心の中で勝手につけたあだ名を口にしてしまう。
そこからが長かった。
「別に貴様を助けたわけではない。俺の仕事は鬼を斬ることで、そのついでにお前が勝手に助かっただけだ。ところで、『蛇さん』とは俺のことを指しているのか?それとも、俺が連れている蛇のことを指しているのか?紛らわしい呼び方をするんじゃない。そもそも、俺とお前は初対面だ。名前も名乗らず、聞かず、勝手に呼び方を決めるのは失礼ではないのかね?それに……」
正直、こっちは怪我をしているのだから、早く解放してくれ、と少女は思ったが、命の恩人に逆らえるわけもなく、地面に正座して大人しく黙っていた。
ネチネチとした説教が続くこと五分。
少女の体力は限界に来て、身体が前のめりに傾いていく。手を突く気力もなく、地面との衝突に備えた。
しかし、地面との衝突は訪れず、代わりに温かいものに包まれた。
上を向くと、左右で色の違う瞳と目が合った。
命の恩人の目だ。
「怪我人だったな。失礼した」
先程までの態度が一転。命の恩人は、申し訳なさそうに眉を下げた。
少女は、色違いの瞳を見つめながら口を開く。
「私は、雨宮深月と申します。貴方達のお名前をお伺いしても……?」
どうやら、先程の説教を受けて、まずは名前を尋ねることにしたらしい。
その素直な態度に、彼の瞳が少しだけ柔らかくなる。
「俺は伊黒小芭内、こいつは鏑丸だ」
「伊黒様と鏑丸さん。助けてくださって、ありがとうございます」
少女はふふっと笑って、続ける。
「伊黒様のお目々、綺麗ですねぇ」
そこまで言うと本当に限界が来て、少女は目を閉じた。
伊黒は彼女を抱き上げ、ちょうど姿を現した隠に預けた。
怪我をしているから丁重に扱うように、との指示を添えて。
*****
見慣れた縞模様の羽織に、神様の使いのような白い蛇。
それらを視界に捉えて、深月は顔を綻ばせた。
「伊黒様、鏑丸さん!」
手を振りながら声を掛けると、彼らは深月の方を振り返る。
左右で色の違う瞳と目が合って、深月はふわっと微笑みを浮かべる。
「こんにちは。今日もお目々、綺麗ですね」
こんなことを言うのは、この弟子くらいだろう、と思いながら、伊黒は「何の用事だ」と尋ねる。
「この後お時間ありますか?稽古をつけていただきたいなあ、と思いまして」
「すまない。今日は先約がある」
「あ、そうでしたか……失礼しました」
伊黒の短い返答に、深月の表情が曇る。
彼の言う先約が、誰との用事か察しがついたからだ。
「甘露寺様、お誘いできたんですね」
なんとか笑顔を作ってそう言うと、伊黒は小さく頷いた。
こういう時の彼は、鬼殺隊の柱でもなく、深月の師範でもなく、ただ一人の青年としての顔をしている。
深月もその顔が好きだが、それが自分に向けられたものではないというのが、少々残念だった。
しかし、かつて彼に救われ、今は彼の継子として側に置いてもらえるだけで、充分幸せだった。
彼は、自分が救った少女と深月が同一人物だとは思っていないようだったが。
「じゃあ、また後日……」
「待て。明日なら時間がある。お前は、人の話を最後まで聞くことを覚えろ」
少しの嫌味はいつものことで、それより次の約束を取り付けてもらえたことが嬉しくて、深月は「はいっ!」と元気良く返事をする。
「ありがとうございます!明日よろしくお願いいたします!」
深くお辞儀をして、軽い足取りでその場を去る。
伊黒と甘露寺が、これからどこに行くかは聞かなかった。きっと、どこへ行くと聞いても、一瞬胸が痛むのはわかっていたから。
*****
翌日。
深月は蛇柱邸にて、師範である伊黒から稽古をつけてもらっていた。
「強くなったものだな」
休憩中に、ふと呟かれた声に、深月は嬉しそうに口角を上げる。
伊黒はとても強いが、それ故に厳しく、褒められることなど滅多に無いのだ。
しかし、続く言葉は容赦がなかった。
「だが、まだまだだ。相変わらず呼吸も動きも雑だし、深く考えずに行動しているのが丸分かりだ。そんなことでは、鬼に隙を見せてしまう」
その容赦ない指摘を、深月はうんうんと頷きながら聞いていた。
言い方が嫌味っぽいのは、いつものことなので慣れている。それに、内容は的確で、今後のためにも素直に聞いておくべきだ。
「すみません。呼吸も剣もって意識するのが難しくて……」
「まだ意識しているから駄目なんだ。いい加減、正しい呼吸での常中くらい無意識に出来るようになれ。それでも俺の継子か。それとも何か。俺の教え方に問題があるか?」
「いいえ!滅相もありません!」
深月はぶんぶんと首を振り、意気揚々と木刀を持って立ち上がる。
これ以上、師範の顔に泥を塗るわけにはいかない。一日でも早く、強い剣士にならねば、と。
しかし、その瞬間、視界が揺れた。
なんとか足を踏ん張って耐えたが、伊黒がその不自然さに気付かないわけがなかった。
「どうした?体調管理もできないのか?」
心配半分、呆れ半分といった声色だった。
深月はへらっと笑って、その場をやり過ごそうとする。
これはおそらく貧血だ。そして、その原因は月のものだ。
それらを伊黒に話さないのは、彼が殿方だからというのもあるが、何より、伊黒は深月のことを男だと思っているからだ。
深月もそれを察していて、男じゃないとバレたら、継子を辞めさせられると思っている。
彼のことだ。例え継子を辞めさせられても、蝶屋敷や藤の花の家で面倒を見てもらえるようにはしてくれるだろうが、少女を側に置いていたとなれば、甘露寺に顔向け出来なくなるだろう。
そんなつもりで側に置いていたわけではなかったとしても。
伊黒の気持ちが自分に向かないのは悲しかったが、伊黒が想い人と気まずくなるのはもっと嫌だった。
だから、深月は今まで、伊黒に性別を隠し通してきたのだが。
「顔が青い。貧血か。女性のようだな」
伊黒の何気ない一言に、深月はびくっと肩を震わせる。
まさか、と思って彼を見るが、彼は鏑丸の額を指先で撫でていて、特に深月の性別に気付いた様子はなかった。
深月はほっと息を吐くが、伊黒がまた不穏なことを口にする。
「甘露寺が、お前のことを『女の子だと思っていた』と言っていた。『可愛い』とも。随分と気に入られているようだな」
その言葉は、単純に嫉妬から出たものだった。
しかし、月のものの最中で精神が不安定な深月には、性別に関して探りを入れられているように聞こえた。
「あの、それは……すみません、今まで黙っていて」
勝手に勘違いして、勝手に観念して、深月は深々と頭を下げる。
「急にどうした?」
弟子の様子がおかしいので、伊黒は眉をひそめる。
何故謝る。何故、今まで何かを隠していたようなことを言う。
この弟子は、何を隠していたというのだ。
もしかして、彼も甘露寺のことを──
そこまで考えて、伊黒はバッと深月の両肩を掴む。
「貴様、まさか甘露寺のことを秘かに想って……!」
「性別のこと、騙すつもりじゃなかったんです!」
二人で同時に叫んで、直後、鏡合わせのように二人ともはて、と首を傾げる。
ついでに、鏑丸もちょこんと首を傾げていた。
「深月、甘露寺のことが好きなのを黙っていたのではないのかね?」
「えーっと……甘露寺様、ですか?」
会話がいまいち噛み合わず、暫し沈黙が流れる。
それを打ち破ったのは、伊黒の方だった。
「性別がどうのと言っていたが……」
「わ……忘れてください!失礼します!」
深月は伊黒の手を振り払い、脱兎のごとく逃げ出した。
こんな風に師範を雑に扱ったのは、初めてのことだった。
伊黒は、深月が去った方を暫し見つめて、弟子の言葉を頭で整理する。
彼のことは男だと思っていたが、彼は性別に関して自分を騙していたかのようなことを言っていた。
貧血のように青ざめた顔を見るのは、今日が初めてでもなかった。頻度で言えば、月に一回あるかないか。
「お、女……!?」
伊黒は信じられない、といった様子で自身の額に手を当てる。
甘露寺が言った『女の子だと思っていた』とは、彼改め彼女の本質を見抜いてのことだったのだ。
(ああ、だったら──)
伊黒は、継子にしてからの深月の様子を思い出す。
こちらの嫌味をものともせず、基本的に笑顔を絶やさず、極稀に熱の籠った目でこちらを見ていた。
あれが勘違いじゃなければ、なんて残酷な仕打ちをしてきたのだろう。
伊黒は今まで、何度も深月に甘露寺の話をしていた。
決して悪気があったわけではない。男の彼が自分に恋情を抱いているなど、夢にも思わなかったのだ。
伊黒はふらふらと近場の岩まで歩いていき、そこに腰掛ける。
今後、あの弟子にどう接すればいいか。
想い人を食事に誘う口実を考えるより、頭を悩ませた。
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