お天道様達と温泉
※長編夢主、生存if、本編数年後の設定です。
きっかけは、槇寿郎の言葉だった。
「たまには三人で出掛けてきなさい」
そう言われて、深月は気にしなくていいのに、と微笑んだのだが、杏寿郎は直ぐ様大きな声でお礼を言っていた。
それから、あれよあれよと言う間に話は進み、彼らは今、温泉地に来ている。
初めての温泉地に目を輝かせる深月と、彼女に手を引かれているまだ幼い少年。
二人を横目で見て、杏寿郎は満足そうに笑う。
「今夜の宿は食事もうまいと聞いているぞ!」
そう言って、杏寿郎は少年の手を取った。
少年は嬉しそうに杏寿郎と深月を──父と母を交互に見上げる。
深月は父親そっくりの息子を見下ろして、優しく微笑む。
所々燃えているような髪色。つり上がった大きな目。
父親だけでなく、祖父とも叔父ともそっくりだ。
ただ、息子が一番明るい表情をしている。
幼いからというのもあるだろうが、鬼のいない世界で育ったというのもあるだろう。
息子は、剣を持つ必要も命を懸ける必要もない。
そのことが嬉しくて、深月の笑みは深くなる。
「行きましょうか。楽しみですね」
深月がそう言うと、杏寿郎も息子も足を進めた。
*****
三人は宿に荷物を置いて、少し散策をすることにした。
温泉地というだけあって、足湯があったり、食事処があったり、なかなか賑わっているようだ。
「母上!あれが食べたいです!」
息子が指差したのは、饅頭屋だった。
人気店のようで、少し行列ができている。
「駄目です。さっきもお菓子を食べたでしょう。夕餉が入らなくなります」
深月はピシャリと言い放ち、息子は少し眉を下げる。
「父上……」
すがるように見上げられ、杏寿郎はふっと微笑んだ。
「だったら、父と半分こしよう!俺も食べてみたいしな!」
「えっ!?ちょっと、杏寿郎さん!」
深月は目を見開いた。
杏寿郎は息子に甘い。甘すぎる。
自分が厳しく育てられたから、槇寿郎に見放された時期があったから、息子には優しくしよう、という気持ちはわかる。
しかし、あまり甘やかしては、我慢のきかない子になってしまう。
そう思って、深月は責めるように杏寿郎の袖を引く。
杏寿郎は困ったように笑い、「駄目か?」と深月を見下ろす。
一緒に、息子も見上げてくる。
深月はぐっと息を詰まらせ、小さく溜め息を吐いた。
「……一個だけですからね」
深月もなんだかんだ、杏寿郎や息子には甘いのだ。
二人は喜び、早速饅頭屋へと向かう。
深月は眉を下げて笑いながら、彼らの後を追った。
「父上、ありがとうございます!」
行列に並ぶこと十数分。
半分に割られた饅頭を杏寿郎から受け取り、息子は太陽のような笑顔になる。
杏寿郎も優しい笑みを浮かべている。
息子は可愛いし、旦那様は父親の顔になっている。
鬼を斬る日々を送っていた頃は、こんな日が来るなんて思っていなかった。
息子を甘やかしてしまったのに、とても幸せな気分だ。
そんなことを思って、二人の笑顔に深月はきゅんとしてしまう。
それを誤魔化すために唇を引き結んでいると、息子が半分の饅頭をさらに半分にして差し出してきた。
「母上もどうぞ!」
「……ありがとう」
深月は一瞬ぽかんとしたが、すぐに笑顔になってそれを受け取った。
優しい息子の頭を、杏寿郎と深月はそれぞれ撫でた。
*****
夜は宿で食事を取り、三人で温泉に入ることにしていた。
案内された部屋の奥には、風呂がついていた。
個別に風呂がついている部屋なんて、さぞかし高かっただろう、と深月は脱衣所で唖然とする。
そんな彼女を見て、杏寿郎は安心させるように微笑んだ。
「たまには贅沢してもいいだろう」
「槇寿郎様を差し置いて、いいんですかねぇ」
深月は困ったように笑って、着物を脱ぐ。
脱いだ着物を息子と一緒に畳んで棚に置き、早く早くとせがまれて、息子と二人で風呂場に入る。
杏寿郎はそれを見送ってから、自身も着物を脱いで二人に続いた。
先に中に入った深月は、息子の頭を洗ってやり、背中を流していた。
息子も母の背中を流したいとせがんだが、深月はそれをやんわり拒否する。
「私は大丈夫です。風邪を引いてしまうから先に湯船に浸かっててください」
深月の背中には、鬼につけられた傷跡がある。
鬼殺隊で剣士をしていたのだから、背中以外にももちろん傷跡はあるが、背中の傷跡が一番大きくひどい。
だから、深月はできるだけ背中を息子に見せないようにしているのだ。
それでも、息子が引き続きせがんでくるので、杏寿郎は助け船を出すことにした。
「母上の背中は父が流すから、湯船で待っていてくれ。あとで父の背中を流してくれるか?」
「はい!」
息子は笑顔で頷いた。
母の背中は流せなかったが、屈強な父の背中を流すのも楽しみだった。
話で聞いただけだが、父も母も昔鬼狩りという仕事をしていたらしい。
母は自分に傷跡を見せたがらないが、父母の身体の傷跡は、彼らが命を懸けて人々を救った証だと思うと、とても格好良くて憧れた。
気分が高揚した息子は、風呂場を走り回る。
「あ、走らないで!転びますよ!」
深月が慌てて声を掛けると、息子はピタッと止まり、ゆっくり歩き出す。
それを確認してから、深月は安心したように息を吐いた。
「少しそそっかしいところは君に似たな」
「うっ……」
杏寿郎がふっと笑うと、深月は気まずそうに声を漏らした。不本意ながら、否定ができない。
杏寿郎は、大人しく座っている彼女の後ろに椅子を持ってきて、自身も座った。
彼女が息子にしてやっていたように、頭を洗ってやる。
泡を流せば、深月が右手を自身の首の後ろに回し、髪を右側に寄せる。
その仕草に、露になったうなじに、杏寿郎は一瞬硬直する。しかし、息子がすぐ側の湯船に居るので、平静を装って彼女の背中を洗い始める。
洗いながら、深月に優しく声を掛ける。
「あの子は、君や俺の傷跡に憧れている。怖がったりしないだろう」
「こんなものに憧れられては困ります。怪我なんかしてほしくないですから」
「うーん。それもそうか!」
杏寿郎は明るく笑ってから、「しかし」と続ける。
「君の傷跡を良いものだと思う男が増えたな!感性は俺に似たのかもしれん!」
その言葉が恥ずかしくて、でも嬉しくて、深月ははにかんで笑った。
ふと、背中を洗い終えた杏寿郎が、深月の耳に口を寄せる。
「まあ、君のことを一番想っているのは俺だがな。君の強さと優しさの証は、いつまで経っても綺麗だ」
急にそんなことを言うものだから、深月は赤面して何も言えなくなってしまう。
息子に張り合わなくてもいいじゃないか、と思いつつも、昔と変わらずそんな風に言ってくれたことが嬉しかった。
杏寿郎は、赤くなった深月の耳を愛おしそうに見つめてから、息子の方を向いて声を掛ける。
「よし!母の背中を流し終えたぞ!俺の背中を流してくれ!」
待ってましたと言わんばかりに湯船から飛び出してきた息子と、彼を受け止める杏寿郎。
危ないとは思ったが、楽しそうな二人を見ていると胸が温かくなるのを感じて、深月はにっこり微笑んだ。
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