「この前名前さんと会ったよ」
「へえ、珍しいね」
ポアロのカウンターに座り、オレンジジュースを飲みながら、コナンくんが言った。彼の口から名前の名前が出るのは初めてのことではなかった。自分の所属が彼に明かされる前は、頻繁に探りを入れられていた。毎度適当に濁していたが、最近はその名前も聞かなくなっていた。久々に耳にした。
彼はジッと俺の様子を伺っている。他の言葉が聞きたいようだが、生憎その用意はない。彼が期待する反応を見せないとわかったのか、一つため息をつかれた。そして再び口を開く。
「名前さんって、安室さんの知り合いじゃなかったんだね」
「…君は本当に賢いね」
彼の口ぶりからして、何かしらの事を経て、名前が安室透ではなく降谷零の知り合いだという事を知ったらしい。グラスを拭く手を止め、彼の方を向く。コナンくんは、頬杖をつきながら、少し楽しそうな表情を浮かべていた。
「よかったの?あなたが名前さんと知り合って」
「どこまで見透かされてるのかと思うと怖いよ」
良かったはずがない。後悔している。だけど、後悔していない。彼女のそばに居たいと思ったのは本当だ。衝動に駆られた。どうしても名前の側に再び立ちたかった。だけど、自分はそれを許されないと、思い出したんだ。わかっていたはずなのに。どうかしていた。
「本当はダメなんだよね、きっと。だからもう名前さんとは会わないの?」
「よくわかってるね」
もう彼女とは会わない。正体を明かすことができるまで、本当の名前で名前が俺を呼べるまで、会わない。そう決めた。いつになるかわからないし、その間に名前は他の人と幸せになるだろう。それでいい。俺には彼女の夢を叶えることはできない。
「名前さん、怒ってたよ」
「どんな風に?」
「気になるんだね」
降参するから聞かせてほしい。そういう態度だと理解したようで、彼は勝ち誇った顔をした。ようやく俺から話を聞き出せると思っているようだ。
「自分がいなくても大丈夫って言われたって」
「ああ、言ったね。彼女は大丈夫だ」
「名前さんも言ってた。今の私は大丈夫に決まってるって」
「今の?」
「そう」
彼もなんとなく言葉の意味を察しているようで、にこりとわざとらしく笑い、椅子から降りた。小銭をおいて、またね、と消えていく。
"今の"俺も、"今の"名前も、1人で生きていける。お互いがいなくても、大丈夫だ。昔の俺は、そうではなかった。名前が大切で大切で、名前が居なければダメだと思っていたから、ずっと彼女について回った。大人になって、警察になって、それを上回る環境に置かれ、名前がいなくても大丈夫になった。だけど、これからはどうだろう。少なくとも、安室透としてあのまま名前の側に居続ければ、かつてのように"大丈夫"ではなくなっただろう。…名前も、そうやって思ってくれていたのだろうか。俺を、安室透を、降谷零を、必要な存在だと感じるように、なっていたのだろうか。
空になったグラスを片付ける。半分溶けた氷を捨てた。
何を、夢のようなことを。
胸が詰まる。
名前の夢を叶えるのは、名前だ。そこに、俺はいらない。俺は、邪魔だ。俺は名前の隣に、居てはならない。わかってる、わかってるよ。わかってるから、少し、息をさせてくれ。