週に1度、先輩が昼食をご馳走してくれることになった。それは素直に嬉しい、ありがたい。だけど、場所が問題だ。
「苗字さん行くよー」
「いやっもう結構ですコンビニで買うんで大丈夫です」
「いい加減大人しく行こうぜ」
そして今週もあれよあれよという間に車に乗せられ、連れて来られてしまった。安室透が働く喫茶店、ポアロに。
「いらっしゃいませ」
もう零とは会わないように生活しようと心に決めていたはずなのに。初めてこの喫茶店に訪れたあの日、安室透が私に気があると知った先輩のお節介である。彼氏もおらず毎日仕事仕事で見事な社畜と化し枯れ果てた私をイケメン店員で潤そうという気持ちらしい。ありがた迷惑なんですけど。
「また今週も名前さんとお会いできて嬉しいです」
「ハムサンドと紅茶をお願いします」
接客のたびにキラキラの笑顔で一言余分に付け足してくる零を受け流す。本当にどうした、こいつ。キャラを見失っているのでは?こんなクサい男じゃなかっただろ降谷零。いや、今は安室透という気障な男になってしまったのだから、この発言も自然に見えるのだろうか、周りには。私は違和感が大きすぎて無理だ。顔だけはタイプだから、余計無理…
「今日も残業だな。苗字さん何日連続?」
「もう数えるのをやめました、終電帰りが基本だと思ってると定時で帰れたときに午後休かな?っていう錯覚ができるのでおすすめです」
「独身だと無限に残業させられるよな、ってこの発言セーフ?アウト?他意はない」
「セーフでいいですよ」
「明日も仕事かあ」
「午前で終わらせてみせます」
ここ最近ずっと残業だ。今週の土曜も出勤になった。最悪だ。お昼休みに車でポアロに来ることすら、たまの息抜きになってしまっている。給料はいいけど、結構ブラックな企業だと思う。残業だらけだ。先輩の言う通り、独身だと無限に残業させられる。結婚してる人から帰っていいよという雰囲気になっている。家で待つ人がいるからって?は?誰も待ってないけど帰りたい気持ちは一緒だバカヤロー。
私ももう28歳だし、東京本社に移動して来たばかりだが、下っ端というわけではない。それなりの評価を受けて本社勤務になっているわけだから、付き合いは浅いが面倒を見ている後輩もいる。子供がいる後輩は、あんまり遅くまで残業させたら奥さんも子供も本人もかわいそうだと思ってしまう。結婚したばかりの後輩は、今が一番幸せっていう時に疲れ切ってクタクタで夫婦二人の幸せな時間が削られてしまうのはかわいそうだと思ってしまう。社会人になりたてのフレッシュな後輩たちは、あまり遅くまで残っていると仕事を辛いと思ってしまうだろうし、慣れないうちからワークライフバランスが崩れてしまうのはかわいそうだと思ってしまう。入社7年目、ちょうどよく会社に洗脳された独身の私は、仕事を引き受けてしまうのである。
いい具合の歳に結婚して惜しまれながら寿退社という夢はすでに砕かれている。思わず重いため息が出る。
「偶然ですね、僕もあしたはお昼上がりなんですよ」
「私に関係ありませんよね?」
食事を運んできた安室透に声をかけられる。先輩もこの状況を楽しんでいるようで、ニヤリと笑っている。やめてくれ。すみません聞こえてしまったものでと悪びれもなく言ってのけるこの男。そして要らない気を回した先輩が更に余計なことを言う。
「なら二人で出かけたら?苗字さんの息抜きにもなるだろうし」
「は?」
「それこそ、名前さんが良いのならぜひとも」
「良いってよ」
「ちょっ、なんであなたが勝手に返事してるんですか」
どうせ仕事が午前で終わらなかった時のために予定入れてないだろ?と当たり前すぎる返しをされ、そりゃそうなんだけどもと言い返せずにいると、先輩がまた嬉々として勝手に話を進める。
「また明日も昼にここに来るよ。そして苗字さんを置いて俺は帰る。じゃ、頼んだ、好青年」
「はい、もちろん」
あまりの急展開というか置いてけぼりに言葉を失っている間に全て終わった。安室透はカウンターの奥に引っ込んでしまって、先輩はまるで良い仕事をしたかのようなニコニコの笑顔で、私は、私は。