それはある日曜日のことだった。雄英高校の最寄りのショッピングモールに買い物に出かけていたわたしは、背後で大きな音を聞いた。
 身体全体を揺さぶるような衝撃があったのに、周りの人たちはその音に驚いていないようだった。音の在りかを探そうと振り向けば、そのまま身体がくるりと反転した。
 わたしは驚いた。自分の胸から巨大な金属片が飛び出しているではないか。先程聞いた音は、わたしが背後から刺されたときのものだったらしい。
(うそ。誰か……)
 助けを求める声の代わりに鉄臭い泡が喉から溢れた。
 ごぼり、ごぼりと口の端から泡が零れる。真っ白なニットのワンピースは赤黒く染まってしまっている。来週はミリオと映画を観に行く予定だった。だから、洋服に合う鞄を選びに来たはずだったのに。
 周りにいる人たちは、血を流して倒れる女子高校生を見ても声のひとつもあげない。何事もないかのように横を素通りしていく。“個性”を使っての攻撃が仕掛けられたことは明白だった。それがわかったところで、わたしはもう指一つも動かせはしない。
 倒れ伏したコンクリートは冷たかった。
(わたし、死ぬのかな……。でも、どうして……)
 がくがくと身体が痙攣する。思考がまとまらない。誰がわたしを攻撃したのか。それよりも不可思議なことは“なぜわたしに刃物が刺さったのか”だった。
 わたしとて雄英高校の生徒だ。ヒーローを目指しているからには、“個性”を持っている。その“個性”は防御に関しては殆ど無敵と言っても良い。そのわたしが殺されるのだから、相手は一体どんな手を使ったのか。また雄英高校を狙った犯行だろうか。それなら、生徒に危険が及ぶ。なんとかして先生方に伝えなくてはいけない。
(……死にたく、ないな)
 唇が粘着いて開かない。鞄に入れたままのスマホに触れることすらできない。目の前が白む。目を開けていられない。無常にも、瞼が落ちた。



 死後の世界なんてものがあるなら、わたしはどちらかといえば天国に行けるものだと思っていた。
 若くして死んだのだから、幸せな世界で暮らさせて欲しい。可愛い娘を失った両親や、できたばかりの恋人を失った彼氏、共に切磋琢磨してきた友人たちのことは、忘れてしまえたらいいな。
だって悔やんでしまうから。
 辛いことや苦しいことから解放された、清潔であたたかい柔らかな国。それがわたしの想像する天国だった。
 神様がいるとするなら、わたしはきっと嫌われている。
 連れて来られた先は、地獄だった。
「ようこそ」
 その男は身体中に“手”を引っ付けていた。顔の正面にも手が張り付いていて、指の隙間から皮膚の剥がれた顔を歪めて見せた。歓迎する素振りは微塵も見えない。この現状を純粋に喜んでいるような、新しい玩具を手に入れた子供のようだった。
 廃ビルの一室で、わたしは椅子に縛り付けられていた。一度しか袖を通していないニットは脱がされ、血を吸い込んで変色した下着だけを身に着けている。気を失う前まで胸元から生えていた金属片は取り去られていて、胸に空いた穴は乱暴に縫い合わせられていた。
 全身が酷く痛む。切り開かれた胸元がじくじくと熱を持ち、酷い耳鳴りと頭痛に眩暈がした。
 男はわたしに近づき、手を伸ばして胸元の傷に触れた。
 指先が皮膚に押し込まれて、血が滲む。頭痛を伴う激痛が襲った。
「…………死柄木 弔」
 正面に立つ男の顔を知っていた。手配書で見たことがあったのだ。死柄木弔はヴィラン連合の中心人物だ。雄英への襲撃から生徒の誘拐。ヒーローの象徴に並々ならぬ執着を抱く、危険思想の犯罪者。
 わたしに名前を呼ばれた死柄木は傷口を弄る手を止めて、表情の見えない顔を近づけた。前髪を乱暴に掴んで、死柄木は演技染みた大声を出した。
「ようこそ、ヴィラン連合へ! 『反射』の“個性”。お前はこれから俺たちの仲間だ」
 指の隙間から目が合った。寒気がするような狂気を孕んだ瞳。目を逸らすことができない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、わたしはがくがくと震えながらその目に縛られていた。
 仲間だなんて冗談じゃない。悪事の片棒を担ぐ気は無い。わたしだってヒーローを目指している身だ。抵抗の素振りを見せるわたしを気にする様子も見せず、死柄木は続ける。
「ずっとお前が欲しかったんだ。良い“個性”だ」
 前髪を掴まれたまま、わたしはここで自分が「道具」として扱われることを察していた。
 わたしの“個性”は『反射』だ。
 相手からの攻撃はわたしの身体に接触した時点で「反射」して相手に跳ね返る。殴られたとしても、その衝撃はわたしを襲わない。そっくりそのまま相手に返るのだ。
 それはわたしのような小娘が持つには強力すぎる“個性”であった。幼少期から“個性”の使い方については多くの人から忠告を受けてきた。
「神にでも、悪魔にでも成り得るような“個性”だ」と言われたことがある。わたしは、どちらもにもなりたくはなかった。
 わたしの個性は、わたしに向けられた外的な刺激を受け付けない。
 突然背後から散弾銃で撃たれたとしても傷を負うことはない。けれども反射の向きを誤れば、周りにいる人たちに銃弾が向かうことになる。
 反射の方向を正確に定めること。相手が動いているのなら、反射を行うタイミングをずらせるようになること。それができるようになった時、わたしの個性は無敵の盾となった。訓練は楽ではなかったけれど、自分の“個性”で人を傷つけたくはなかったから努力した。誰よりも上手く自分の“個性”を使いこなしてやるつもりでいたのだ。
 この“個性”を持っているのが、「わたし」で良かった。
 そう沢山の人が思ってくれるような、ヒーローになりたかった。
 誰も傷つかないように、少しでも多くの人を救えるように、訓練を続けて“個性”を磨いてきたはずだったのに。
「どんな強力な“個性”だって、「反射」されれば形無しだ」
「……あなたたちの、味方になんかならない」わたしは精一杯の虚勢を張った。
 前髪を掴んでいた手が離れて、またわたしの胸元に指が押し込まれた。痛みに顔が歪む。死柄木は言い聞かせるように言った。
「ははは。幸せな頭してんなあ。まだ人間のつもりでいるのかよ? 頭に電極ぶっ刺して、機械突っ込んで止まった心臓動かして、ただ個性を使うだけの人形の癖に」
 先程から身体を襲う痛みの原因を教えられて、わたしは今すぐ自分の心臓を止めてやりたくなった。
 自分の“個性”だ。恐ろしさは自分が一番よく理解している。ヴィランに好きなように使われるくらいなら、自分の後始末くらい、自分でつける。それくらいの覚悟は持って生きてきた。
 舌を伸ばす。痛くありませんように、と一瞬だけ祈ってそれから思い切り歯を突き立てる。
「だから、無駄なんだって」
 わたしの決意を笑い飛ばすように、死柄木は言った。
 身体はぶるぶると震えている。自分の意思で身体を動かすことができない。頭が痛む。鼻が熱くて、鼻血が垂れて伝った。わたしは口を開けたまま、固まっていた。声が遠くで聴こえる。
「自害なんかさせるわけないだろ。お前にはこれから沢山働いてもらうんだから」
 わたし、本当に人形みたいになってしまった。
 家族のことも、恋人のことも、友達のことも、考えないようにした。助けてなんて言えないから。どうか、わたしの大切な人たちが傷つきませんように。わたしの手で、大切な人たちを傷つけませんように。
 神様、かみさま。わたし、あなたを恨みます。



 それから死柄木は本当にわたしを物のように扱った。少しでも彼の意に介さない行動をすれば、わたしは人形のように動きを止められた。慰み者にされることもあれば、ヴィランの一味として犯罪に加担させられることもあった。
 反抗も逃走も許されてはいない。言葉のとおり、わたしは死柄木の玩具のようだった。
 自分で命を絶つことも許されていないわたしの、自我を残したのは何故か。と死柄木に問うたことがある。彼は考えもせずに「面白いから」と答えた。
 時間を掛けて自分の玩具にしていくのだという。邪魔者をすべて片付ければ、わたしの自我もそのうち消えて完全な道具になるだろう、というのが彼の持論だった。
 わたしはその言葉を聞いてただ絶望した。緩やかに精神が殺されていく。罪のない人たちを傷つけ、悪事に加担することで、自分の心を殺していくのだ。
 攫われてから、3ヶ月が経った。
 生活の拠点となっている廃ビルには雑多に物が運ばれて、わたしは一日の大半をテレビを眺めて過ごしていた。
雄英生のひとりが大量の血痕と衣服を残して姿を消したと何度か報道が流れたが、死亡したということで世の中の興味は移ってしまったらしい。
「なあ、お前、巷でなんて呼ばれてるか知ってるか?」
 身を屈めてテレビを眺めているわたしの背中を死柄木が蹴った。
「知らない……」
「『自殺願望スーサイド』だってよ」
 誰かに付けられた名前なんか聞きたくない。耳に手を当てるけれど、死柄木の声は脳に直接注ぎ込まれる。
「ヒーローたちを次々と始末するヴィラン。見た目は普通の少女の姿をしていて、会えば泣きながら「殺してくれ」と懇願するんだと」
 自覚させるかのように、死柄木の声が脳を揺さぶる。わたしは、ヴィラン退治に来たヒーローたちを殺すように命令されていた。ひとりの命を奪うたびに、臓器が悲鳴をあげる。からっぽの心臓が締め付けられる。言葉さえも制限されているから、逃げるように伝えたくても叶わない。唯一許された言葉は自分の死を望むことだけ。
「お前を殺せる奴なんて……。あぁ! いるなぁ。お前のことをよく知ってる三人なら助けてくれるかもしれない」
「死柄木。おねがい。おねがいだから、やめて……」
 ぶつん、ぶつん、と頭の中で何かが切れる音がする。忘れようとしていた人たちの顔を思い出せばまた鼻血が出た。
「お前の友達を殺しておいで」
 ここは本当に地獄だ。抜け出すことのできない無間地獄。苦しいこと、辛いことが交互にやってきて、思い出したくない出来事を延々と見せられる。
 わたしは何度か自分を壊すことを試したけれど、それは結局無駄だった。ただ、自分を大切にしてくれた人たちのことを思い出して、哀しくなっただけだった。



 雄英が全寮制に変わってからは、生徒が迂闊に出歩くことも少なくなった。わたしの“個性”は暗躍には不向きだ。休日買い物に出てきた生徒を狙うことはできない。
 だから、狙われたのはインターンに参加している生徒だ。“個性”の使い方に長けた、優秀な生徒。プロに並んでも遜色無いと言われている彼等はプロヒーローの事務所でサイドキックとして訓練を積んでいた。
 死柄木はわたしの周辺を洗いざらい調べ上げていた。交友関係も全て把握しているのだろう。
 リューキュウ事務所の看板の前で、わたしは立ち竦んでいた。
「あなた、だあれ? リューキュウに用があるの?」
 背後から掛けられた声に振り返れば涙が溢れてきた。頬の冷たさだけがわたしに残された感覚だった。
 3ヶ月ぶりに会ったねじれちゃんはわたしの顔を見て目を丸くした。
「驚いちゃった。『自殺願望スーサイド』って、あなただったんだね」
「…………」
 ぐるり、周りの空気が歪む。ねじれちゃんが両手を前に突き出した。掌の周りにエネルギーが渦を巻いていく。
 彼女の”個性”は強力だ。立ち並ぶビル群だって、簡単に倒壊させてしまえるほどの力がある。
 それは、反射によって同等の力が彼女を襲うということだった。
(おねがいだから、逃げて)
 声は届かない。ねじれちゃんは距離をとりながら私に向けて声を掛けた。
「辛かったよね。でも大丈夫だよ。だから泣かないで? ねじれが助けてあげる」
 縋りたくなるような優しい言葉だった。
 ねじれちゃんは天真爛漫で、どこか神秘的な雰囲気を秘めた子だった。気になったことを質問しなければ気が済まない性質で、その度に周りが慌てることが多かった。
 彼女はまっすぐで強かった。沢山手を引いてもらった。わたしの、大事な友人だったのだ。
 わたしはまた心の内で神様に悪態を付いた。
「…… ごめん、 ね」
 謝ることなんてひとつもないのに。ねじれちゃんは綺麗な顔をぐちゃぐちゃに歪めて声を絞り出した。長い手足は波動を反射されてねじ切れてしまっている。
「たすけて、あげたかったな」
 わたしはこうして、ひとりひとり友人を手に掛けていく。
 強くて優しかった友人たちを、ぐちゃぐちゃの肉塊に変えていく。わたしが、彼女が、なにをしたというのだろう。
 わたしは、地獄に落ちたって許されやしないだろう。



 環くんは、わたしの正体にすぐ気づいた。名前も呼ばずに目を伏せたから、覚悟を決めたであろうことがわかった。
 元々口数の多い人ではなかったけれど、わたしたちの間に会話は無かった。
 環くんとの戦闘は時間がかかった。
 いくら反射を続けても、彼は自分の身体の一部を切り捨てて向かってくるのだ。
(もう、やめてよ……)
 自分の肉体を変化させているのだ。破壊されれば痛みもある。皮膚が破れて、骨が折れて、それでも彼は脚を止めなかった。
 環くんは入学した時からずっと、気の小ささが玉に瑕だと言われていた。実力はあるのに臆病な性格のせいで本来の力を出し切れない。それを悔やんでいた。
 環くんは泣きながら戦っていた。わたしは彼の気迫が恐ろしくて、この場から逃げることばかりを考えた。誰もいいから助けてほしいと思った。わたしと彼のことを。
 結局、どんどんと消耗していく彼を最後まで見た。環くんは“個性”を極限まで使用して、最後は人の形を保てなくなっていた。
「……救えなかった」と唇も無くなった彼は最後に言った。
 二人を手に掛けた後、わたしは「殺してほしい」と死柄木に詰め寄った。彼は満足そうにひとしきり笑って、「あとひとり、片付けたらな」と言った。


 最後のひとりは、わたしの恋人だった。
「随分、探したんだぜ」
 ミリオと再会したのは廃ビルの裏だった。人通りの少ない路地に、ビルの隙間から落ちかけた日が射しこんでわたしたちの影を映しだした。
 会いたくて会いたくてたまらなかった筈なのに、眼の下に隈を作ったミリオの顔を見たら、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。長く見つめてしまえばまた涙が出てきそうだったから、わたしはすぐに目を逸らすことにした。
 ミリオの前で涙なんか見せたくはない。彼の親友を奪った犯人が、涙を流すことなど許されないと思ったから。
 もっと早く会いたかった。彼なら、わたしを止めてくれるだろうと思っていた。きっと、ミリオも同じことを考えていたのだろう。
 彼の“個性”ならばわたしの「反射」を無効化できる。彼はわたしを探し続けてくれた。けれども、すべては遅すぎたのだ。
 ミリオはヒーロースーツを纏って、夕日を背にして立っている。スーツの胸元には0が沢山書かれている。100万を救うヒーローになりたい、というのは彼の口癖だ。
 わたしは、明るくて、冗談好きで、いつも笑っているミリオが好きだった。彼に笑っていて欲しいと思っていた。彼を傷つけるようなことは、したくなかった。
「待ちくたびれただろ」ミリオは口角をあげた。
 わたしは考える。ここで、彼がわたしを殺すことは、間違いなくわたしにとっては救いだ。けれども、ミリオは?
 ねじれちゃんも環くんもいなくなって、わたしのことを手に掛けた彼のことは、誰が救ってくれるのだろう。
 本当は、わたしが救ってあげたかった。彼の支えになりたかった。彼が隠したがる涙を溜めておけるような存在になりたかった。ひとつも叶えられないまま、わたしは彼の敵になってしまった。
 ねえ、ミリオ。あなた、わたしに倒される方が幸せなんじゃないの。わたし、あなたをひとりにしたくない。
 もう、何が正しいのか、訳が分からなかった。
 ミリオが振るう拳は、わたしの身体にぶつかる瞬間に速度と質量を反射される。けれどもその一瞬で、彼は自分の身体を「透過」させる。存在しないものを反射させることはできない。「透過」は「反射」の天敵だ。
 強い個性じゃない、と言っていたミリオがわたしの個性を完封してしまったときは驚いた。同時に安心もした。もし道を誤った時は彼が止めてくれると思ったから。
 わたしは相手の攻撃がなければ反射ができない。自分から攻撃を仕掛けるときは、相手に触れなければならない。けれども、ミリオには触れられないのだ。
 死柄木は、この結末をわかっていたのだろう。
 最後に彼と会話をした時、「最後まで分かり合えなかったなあ」と死柄木は言った。
「分かり合う気なんか、なかったくせに」わたしが悪態を付けば、彼はくつくつと笑う。
「そんなことは無いさ。お前が、俺の。俺たちの仲間になってくれさえすりゃあ、俺は、……大事にできたのしれない。だって、お前は酷く頑丈だからな」
 わたしは何処までも身勝手なこの男が嫌いだった。
「あなたに大事にされるなんて、真っ平ごめん……」
「かわいくない人形だったな、お前」
 かわいいお人形だったら、早々と壊してもらえたのだろうか。どっちにしろ、もうおしまいだ。
 雄英高校の戦力であるねじれちゃんと環くんを手に掛けさせて、わたしの身体が使い物にならなくなったところで、天敵であるミリオに殺させる。これで綺麗に厄介者が片付くわけだ。



 どん、と大きな衝撃が身体を襲った。
 ミリオの腕が胸を貫いている。痛みはない。彼はわたしを抱きしめた。人に触れるのは久しぶりだった。泣かないように我慢していたのに、あんまり彼の体温が温かいから、涙が出てしまった。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……)
 謝っても、許されないことをした。操り人形だったとはいえ、わたしには自我が残っていた。人の命を奪ったのは、わたしの、“個性”だ。亡くなった人たちの最期を鮮明に覚えている。わたしは、罪人だ。
「殺して」
 心臓を握られているからか、死柄木がわたしに飽きたからか、声帯が自由になっていた。それでもやっぱり、口にする言葉は他の人と同じなのだ。殺してほしい。
 それが、ヒーローたちに重荷を強いる行為だとしてもわたしは言わざるを得なかった。もう、わたしは生きているべきじゃないから。
 あのショッピングモールで刺された時に、わたしは死んでいるのだ。
 ミリオはわたしの頭にやさしく触れた。髪は殆ど抜け落ちてしまった。彼が綺麗だと褒めてくれたから、伸ばしていたのに。大きな手に頭を撫でられていると、なんだか恋人同士に戻ったみたいに思えた。
 ミリオはやさしく、諭すように言った。
「違うだろ。ヒーローに掛ける言葉じゃない」
 そうだ。彼はヒーローなのだ。ヒーローに人殺しなんかさせられない。ねじれちゃんも、環くんも、一度だってわたしを「殺す」なんて言わなかった。
 ぱくぱくと金魚のように唇が言葉を探す。
 わたしは相応しい言葉を知っている。でも、喉の奥に痞えて出てこない。
 ねえ、ミリオ。わたし、今更救われたくなんかないよ。
「……やっぱり、殺して、ほしいよ」
 憎んでほしい。恨んでほしい。わたしが行ったように、ぐちゃぐちゃにして殺してほしい。
 ねじれちゃんと環くんと、沢山のヒーローの命を奪った。ミリオの恋人として綺麗なまま記憶に残してもらうことなど、烏滸がましくてできそうもなかった。
「できないよ。だって俺、ヒーローだぜ。泣いてる女の子から、聞きたい言葉はたったひとつさ」
 いつも、そうだ。ミリオはその一生懸命さで、人の心を動かしてしまう。
 わたし、ちいさな女の子じゃない。助けてもらわなくたって、自分の足で立てるはずなのに。弱くて、どうしようもないから、彼に縋りたくなってしまう。
 「ミリオ」わたしは彼の名前を呼ぶ。
 伝えたいことはもっともっとたくさんあったのに、もう、たった一つしか伝えられないみたいだ。頭が痛い。身体の中がぐるぐると渦巻いているようで、呼吸ができない。
 ミリオはわたしの言葉を待っている。
 ああ、あなたにばかり、背負わせてしまう。
 わたしは言った。情けない声だった。
「助けて」
「…………もちろん。遅くなって、ごめんなあ」
 ミリオは泣いていた。わたしが望んでいたのは、こんな結末じゃなかった。これは救いなんかじゃない、助けなんかじゃない。次はわたしの大切な恋人を、地獄に突き落す気なのだろうか。
「ごめんね、ミリオ」
 ミリオの身体が強張った。腕がぶるぶる震えている。それでも彼は息をゆっくりと吸い込んで、その腕を引き抜いた。わたしは彼の腕の中で目を閉じた。



 ミリオは暫く空っぽになったわたしの身体を抱きしめて泣いていた。それから、日が落ちてすっかり暗くなった空を呆然と見上げる。
 わたしはひとりぼっちになった彼のことを抱きしめてあげたいと思った。可能かどうかはともかく、思うだけは自由だから。
 ミリオは祈るように、縋るように、けれども誰にも聞こえないような小さな声で言った。
「神様、頼むよ。もうこれ以上、連れていかないで」
 青い目からたらたらと涙が零れて頬を伝う。もう誰も、彼の涙を拭ってあげられないのだと思うと、堪らなく悲しくなった。
 わたしはミリオの周りをくるくると回って、それから自分の意識が消えてしまいそうなことを察した。
 意識に靄が掛かり、自分の身体がどんな形をしていたかも忘れてしまいそうになった時、ミリオに伝え損ねていたことがあったのを思い出した。
 わたしは声をあげる。彼に届きますように。

( ねえ、ミリオ。わたし、凄いことを知ってしまった。
 神様は、わたしたちを救わない )

<神様はエンドロールを見ない>
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