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(人生はただ螺旋階段のように続くA)



母が家を出てから、私は箱根の叔母に引き取られた。
親族に会うのは初めてだった。
母にも家族がいたという事実に、私は酷く驚いた。

叔母は明るく、優しく、聡明な人だ。
叔母夫婦には子供がいなかったが、私のために色々なものを用意してくれた。
そして叔母は物や食べ物を与えてくれただけではなく、人の縁まで繋いでくれた。

叔母はある老舗旅館で仲居を長年やっていて、小学生になって3年が経っても周囲に馴染めない私を見兼ねたのか、私を長期の休みの日にその旅館へ連れて行った。


『キミ!名前は?』
『え…千春…』
『千春!そうか!僕、尽八!』

自信たっぷりにそう言って差し出された小さな温かな手を、私は、今もずっと忘れない。

その日から、その旅館の1人息子は私にぺったりとくっついてまわるようになった。
いや、くっついてまわっていたのは私の方だったのかもしれない。
なにせ、その頃の私は何に対しても消極的な存在感のない子供で、自発的に行動することを恐れてすらいたが、そんな私を尽八が色々な所に連れ出してくれていたのだ。

ともあれ、東堂尽八という歳下の友達ができたことで、自然その姉とも仲良くなり、私は少しずつつ人との関わり方を学んでいった。
高学年になる頃にはすっかり、人並みの対人関係が築けるようになっていた。
其々の友達はいても、その後も私たちの友情は長く続いた。


ある日、図書館でギリシャ神話の本を読んだ。
太陽に近づき過ぎたイカロスのお話。
眩しすぎる光は身を滅ぼすことになるというその教訓めいた話に、私は自分の未来を見た気がした。

私よりも4つも歳下なのに、尽八のその自信はきらきらと輝くようだった。
私は差し詰め、その眩しい光にふらふらと近寄ってしまった小さな羽虫というところか。

尽八は成長すればする程、美しく、自信に満ち溢れ、その光は益々輝きを増していった。
夢中になってのめり込むものを見つけた尽八を見て、私は自分が空っぽな何もない人間に思えてならなかった。
きっと尽八のことを好きな子は沢山いただろうが、私ほど彼に憧れ、そして羨み、もはや妬みにすら似た感情を抱いた女の子はいなかっただろう。

だからこそ、尽八が私のありのままを見ようとしてくることが、堪らなく恥ずかしく、苦痛だった。

『…そのままの、千春が俺は好きだよ』

なにか他愛無い話の延長の中で、私は居てもいなくてもいい存在だから、とぽろりと零してしまった時、驚いたような顔をした後尽八が何故か悲しそうに、そう言ったことがある。

本当はずっと、尽八の気持ちには気がついていた。
それは恐らく、尽八が自覚するよりずっと前から。

駄目だ、と思った。
尽八に私は相応しくない、と。
でも今思えばそれは言い訳で、ただ単に我が身可愛さに自分を守ろうとしただけの話だったのだ。
これ以上近づきすぎては、自分でも直視できない私自身を彼が見抜いてしまうと思ったから。
そして見抜いた上で、それでも、きっと尽八は、そんな私をも受け止めようとしてしまうだろうと、思ったから。
嫌悪してすらいる自分の醜悪な部分も含めて認められることなど、とても受け入れられなかったのだ。

痛い程に伝わってくる好意を見て見ぬふりをした。
尽八が愛おしそうに触れてくるのを、幼い戯れとして受け流した。
幸いなことに、尽八は高校に入学し寮生活に自転車部と実家にいることが少なくなり、私は保育の短大に行ったことで忙しくなり、私達が会う機会は激減した。

彼に出会ったのはそんな時だった。
後に夫となる彼に。
彼は尽八以外で初めて私に、好きだ、と言ってくれた男の人だった。



fin