19
(人は自分の見たい物しか見ない)



「俺は……いや、まず、」

何かを言いかけて、少し思案するような顔をした後、尽八は続ける。

「語るのも辛いことだってあったただろうに、今まで色々なことを話してくれて、ありがとう」

尽八はとても綺麗に笑う。
なんというか、何かを慈しむような、そういう泣きたくなるくらい優しい顔で。

「俺は、今ここに、千春が居ることを嬉しく思う。
帰って来てくれて、またお前に会えて、本当に、心底嬉しいよ」

私は尽八の言葉を黙って聞く。
尽八が沢山考えて、一つ一つの言葉を紡いでくれているのが分かる。

「千春が少しずつつ、前を向いて進んでいこうとしていることを応援したいと思っているよ。いつだって、どんなことであろうと、力になろう。
…だけど…でもな、」

尽八が一息吐いて、きゅっと眉を寄せて苦しそうに私を見た。

「心配とか不安とか、そういうもやもやとした気持ちが、日に日にデカくなっていくのを感じるのだよ。
最初は単純に、千春の体調や今後について、俺が不安になっているだけだと思っていた。
でも、最近気がついた。この想いは、」

そこまでゆっくり話すと、尽八は脱力したように肩の力を抜いて、そして弱々しく笑った。

「千春の為とか、そんな大層なものでは無い。
単なる俺のエゴ、我儘だ。
ふと思ったのだよ。
千春に幸せになってもらいたいとか、これ以上傷つかないで欲しいとか、1人で抱え込まないで欲しいとか、それは俺の願いであって、お前が何を望むのかを、俺は結局…」

尽八は視線をテーブルに組んだ手に落とす。

「いや…違うな。
本当は、本音は、もっと、みっともない、どろどろとした何かだ。
俺はお前を、…」

言い淀んで止まる尽八が、とても苦しそうな顔をしていて私は申し訳ない気持ちで胸が潰れそうで、息が苦しくなる。

私が尽八にこんな顔をさせて、こんな事を言わせてしまっている。

不意に公園で私を平手打ちした、彼女のことを思い出した。

私は疫病神だ。ずっと昔からそうだった。

母は私がいなければ、もっと幸せな人生を送れたかもしれない。
叔母も他人の私を引き取って育てるような苦労をせずに済んだろう。
私がいなければ尽八も、こんな顔をせずに済んだ。

ここ暫く幸せで勘違いしてしまっていた。
自分が、誰かと過ごすことを望める、価値のある人間であるかのように。
そして、尽八の気持ちを注いでもらえる、特別な人間かのように。


私は尽八が言葉を紡ぐ前に、ゆっくりと息を整えて言葉を重ねる。

「尽八。尽八は綺麗だよ。
そして本当に、凄く優しい人。
そしてきっと、この先も、もっとずっと素敵な男の人になっていくんだと思う」

尽八には色鮮やかな未来がある。
それを台無しにしたくない。

昔と変わらず今も、そのままでいいよ、と優しく言ってくれるその言葉は、やっぱり私には痛いままで。
そのままでいい筈がないのに、どう変わればいいのかが分からなくて、きっと分かったところで変われないだろうことは分かっていて、苦しい。
そういう都合の悪いこと全部棚に上げていたのだ。
その上で、尽八の気持ちを知っていて、それに寄りかかってしまっていた自分の軽薄さが、恥ずかしくてたまらない。

「私なんかに、大切な時間を使わないで。
尽八は優しいから、私を気にかけてくれようとするけど、いいんだよ、もう。
そんなふうにしなくても、大丈夫だよ。
私は独りでなんとかやれるから。
尽八は、ちゃんと誰かと一緒に幸せなれる人だから、そんな貴方に相応しい人を見つけて、その人との時間を大切にして」

そうだ。
尽八には尽八の、私には私の、相応しい生き方がある。


今や私は空っぽですらない。

寂しい、傍にいたい、傷つきたくない。

この胸の内に溢れる、醜い欲望や汚い感情は、彼の傍にあってはいけないものだ。



fin