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(痛みを雨音に溶かして)



窓の外、雨が街を濡らしていく音だけが響く。
遠くに聞こえていた祭りの喧騒は、雨音に掻き消されてしまった。

「…すまない、千春、俺は」
「誰かを傷つけたり苦しませるくらいなら、独りでいる方がずっとマシ」

不意に響いた決然とした言葉に、その震える肩に伸ばしかけた手を思わず止めた。

「私のせいで、悲しい顔をさせたくない。
でも、私はそういう存在だから…だから…!
大切なモノを、人を、守ろうと思ったら、遠ざかるしかないの!!
私には、その方法しかないんだもの!!仕方ないじゃない!」

堰を切ったように、彼女が全身で想いを吐き出す。
小さく身体を丸めて、身を守るようにして。
きっと、自らの吐き出した言葉で、自分をずたずたに切り裂きながら。

「嫌なの、苦しいの!!!
自分を好きになるとか、認めるとか、そんなこと!
私にはできない!できる筈ないじゃない!!
母親に捨てられたような私が!誰に何を求められるっていうの?!
尽八と私が違うんじゃない!
私が皆と、普通の人と、私だけが違うの!!!
私だけ…っつ…が…!!!
私は…私が何かを望んでは、いけなかった!駄目なの…!!!」

こうやって、俺は知らないうちに彼女を傷つけてきたのだ、と今更気がつく。

出会わなければ、側に居なければ、と。
全てを無にして、無かったことにしてしまいたい、と確かにそう思う気持ちは、痛いほど分かる。
後悔ばかりが胸を占めて、それから逃れたくて、嫌な自分を見ていたくなくて。

だが、それではまた、俺たちは。


「千春」

素直な気持ちで、引っ込めていた手をそのまま伸ばした。

びくりと彼女が震える。
俺の指先も同じように震えている。

そっと、その頬に触れた。
ひやりと冷たい涙と、温かい肌の感覚が伝わって、俺の体温とゆっくりと馴染んでいく。

「俺は、お前の側に居たいよ。
お前を誰にも、渡したくない。
実を言うとな、ここのところずっと苛々している。
何も知らずに、お前に近づこうとする奴ら全員、ぶん殴ってやりたいよ。
はっきり言って、お前を傷つける全てが憎い。
お前に何か言ったんだろう本館スタッフのあの女にも、相当腹を立てている。
旦那だって本音を言うと、今すぐ行って殺してやりたいくらいだ」

自分の声が温度を失っていくのが自分でも分かる。
本当の俺。
優しさなんて、そんなものからは程遠い。
我儘で利己的で、物分かりの良い風を装っていても、根には激情を抱えている。
ただその扱い方を、うまい隠し方を、俺は知っているというだけだ。

俯く彼女の表情は読み取れないけれど、きっと酷く傷ついた顔をしているのだろう。
何を言っても、きっと彼女は自分を責めてしまう。

だけど、それでも、今が伝えるべき時だと思うから。
俺は言葉を紡ぐ。
思わず出てしまう、勢いに任せた言葉ではない。
伝えたい想いを乗せて、意思を持った言葉として。

「お前が自分を嫌いでも、俺はお前がもう、本当に困ってしまうくらい好きなのだよ。
どんなことを言われても、どんなことをされたとしてもだ。困ったことにな。

一度は手放した。
だがもう一度、今この手にお前の体温を感じて、こんなに側にいる。
また失うなど、お前が去って行ってしまうなど、俺には耐えられんよ。
そうなってしまうことが、恐ろしいし、不安で不安で堪らんのだ」

だから頼む、と俺は祈るような気持ちで、もう片方の手で千春の手を握る。

「どこにも行ってくれるな。
独りになるなんて、言うな。
これは俺の我儘だ。
俺を大切に思うと言ってくれるなら、俺の我儘を聞いてくれ」

俺も大概だな、と思う。
彼女の、独りにしてほしい、という切実な我儘は突っぱねておいて、俺の我儘を聞けと言うのだから。

それでも。
そうでもしても。

俺はお前と一緒に、幸せになりたいのだよ、千春。


fin