24
(運命は容赦なく巡る)
『本当に大丈夫なのね?』
そう念押ししてくれた彼女に、頷いて私は茶寮にいる。
家にいるよりいい。
たまたま今日は閉店日で、店には誰もいない。
尽八は昨夜の祭りの打ち上げに駆り出されて、まだ帰っていないと姉が言っていた。
花火が上がった後にまた雨が降って、昨夜できなかった撤収作業を今日するのだそうだ。
私は少しほっとする。
昨日の今日でどんな顔をして会ったらいいのか、まだ分からない。
それに夫が来たことなんて、どう説明したらいいのか。
こんなふうに逃げるようなこと、いつまでも続けられないことは、自分でもよく分かっている。
けれど、そうは言ってもだ。
ぱちん、と向日葵の茎を鋏で切った。
今日きっと、家に帰れば彼が待っているだろう。
別れて欲しい、と言ったら、夫はなんと言うのだろうか。
そもそもこんな体たらくな私が、彼に別れなど言い出せるだろうか。
大きく花開いた向日葵の黄色が、目に痛い。
▽
「お疲れ。助かったよ。悪かったね帰省中に」
「いえ、こういう時にしか、家のために仕事できないので」
にこりと笑みを作って、そつ無く返す。
昨夜、東堂庵のドラ息子と、陰口を叩いていた実家の同業者の男だ。
同じ旅館業ということでライバル意識もあるのだろう。
特段、腹は立たない。
接客業は客の評価が命。
いくら俺のことを貶めようと、東堂庵の評判に傷がつくことはないことを知っている。
ただ、とにかく面倒で、こんな世界で生きている姉に、やはり頭が上がらないと思うばかりだ。
千春の家を後にして、車の中で盛大に落ち込んでいた所に姉から連絡が入った。
『何、元気ないわね』
『…何でもないさ。要件は?』
『町内の祭り、実は今日トラブルがあって、私顔出せそうにないのよ。
行かないと色々後で面倒だし、頼まれてくれないかしら?』
正直気は乗らない。
ただでさえ、もうすでに千春に全てをぶち撒けたことに後悔しかけて気落ちしているのに、これ以上煩わしいことはごめんだった。
『…仕方があるまい。行くよ』
『悪いわね。よろしくね。』
気持ちは乗らなくても、それとこれとは別。
結局引き受けて、祭りの会場にきてみれば、タイミングの悪いことに俺の陰口で盛り上がっていたところだったというわけだ。
聞かれてしまった罪悪感からか、妙に話しかけてくる。
他愛のない話を色々としてきて、少々うんざりしながらも適当に返していると、あ、とその男がどこか遠くを見て声を上げた。
視線の先を辿ると、神社の境内をきょろきょろと見回しながら歩いている男がいた。
散歩、という雰囲気でもない。
何かを探しているような。
「あの人、ウチに連泊してる客だよ。
もう1週間くらい泊まっているから、もしかして自殺でもしにきたんじゃないかって、従業員も心配しててさぁ」
「はぁ…」
旅館主のくせに口の軽い男だ、と半ば呆れながらその話を聞き流した。
男は暫く辺りを散策していたようだが、気がついたらいなくなっていた。
そうこうしているうちに、早朝に始めた撤収作業は昼過ぎには終わりが見えてきて、俺はすっかりその見慣れない客のことなど忘れていた。
「みなさん、お疲れ様です」
聞き慣れた声の方向を見ると、姉が差し入れを持ってやってきたところだった。
これでやっと解放されるとほっとして、残りは交代してもらおうと姉に近づく。
近づいてきた俺に気がついて、姉が差し入れに群がる人集りから距離をとって、ちょいちょいと手招きをした。
「旅館の方はいいのか?」
「それは全然大丈夫なんだけど…。
あんた昨日、千春の家に行った?」
「行ったが、なんだ?」
「不審な人とか見なかった?」
「見ていない。少なくとも俺がいた間は。
だから、何だ?何かあったのか?」
姉らしくない遠回しな質問を、俺は訝しむ。
「実は、昨夜、家に旦那さんが来たらしいの」
姉の言葉を聞いて、俺は息を呑んだ。
「それで、千春は、」
「今朝、真っ青な顔でウチに来て、とりあえず今は茶寮にいるわ。
家にいるよりは安全でしょ。
私がさっき家を出る迄は、茶寮で過ごしてたわよ」
姉の言葉にとりあえず安堵した矢先だった。
「あ、東堂庵さん」
例の旅館主が話しかけてきた。
くそ、タイミング悪く。
俺はさっさとこの場を立ち去って、彼女の無事を確かめたくて苛々と拳を握りしめる。
「坊っちゃんにさっき話してた客のことなんですがね。
ウチに連泊してる客に、確か昨日だったかな、そうだ昨夜だ、東堂庵さんの新しい茶寮のことを聞かれて。
明日はお休みですよって教えたんだが、行ってみると聞かなくてね。
好きにするといいって言ったんだが、もしかしたら知り合いか何かでしたか?」
俺は思わず姉を見た。
姉もまた青い顔で俺を見ていた。
「すいません、俺…!帰ります…!」
転がるようにして走り出した。
足が縺れる。
幸い、車は実家に置いてきて、
自転車で来ている。
車より早い。
茶寮までは俺の脚なら、10分とかからず行ける筈だ。
頼む、間に合ってくれ。
fin