05
(真夏の夢は朝靄へ緩やかに溶ける)



久しぶりの郷里の匂いと、思い出になっていた筈のものが急に目の前に現れたからか。

これは、夢だ。

頭は冷静なのに、進んでいく情景や自分が発する言葉はコントロールできない。
幸せな記憶をなぞるように、滑らかに、物事は進んでいく。

夢だと分かっているのに。
光が当たったところの肌の白さとか、弄んだ髪の一筋とか、彼女から立ち登る金木犀の香りとか。
生々しく、目の前にある。

「尽八?」
「千春」

名前を呼べば、ふんわりと笑って俺の手を取ったこの熱も、よく知っている。

「変なの、ぼーっとして」

ふふと笑った彼女を俺は眩しいものを見るように眺めて、堪らなくなってその手首を掴んだ。
引き寄せて腕の中に入ってきた華奢な身体を抱きとめて思う。

あぁ、そうだ。
俺はこんなふうに彼女が好きで、こんなふうに彼女に触れていた。

「…尽八、苦しい…」

千春のくぐもった声が聞こえて、その腕がそっと俺の背中に回されると、あやすようにそっと叩いた。
トントン、と。
幼い頃、2人で昼寝をする時に彼女が俺にしてくれたように。

それがまるで、俺たちの関係性を表現するようで苦しくなった。
いや、彼女は暗にそれを示したのかもしれないな、と俺は思う。

腕の力を緩めると、千春が顔を上げた。

その顔は、化粧も、髪型も、纏う雰囲気も、俺が知っている彼女とは違う彼女だった。

「尽八、私、短大卒業したら結婚するの」

やめろ。

「私、幸せよ」

だったらなんでこんな。
俺はどうして、あの時ー。




「…う…」

目が覚めたら早朝だった。
透き通るような朝の青さが、部屋に満ち満ちている。

毎朝のトレーニングが日課になっているので、自然と目覚ましが鳴らなくても早朝のこの時間に目が覚めるように身体ができてしまった。

しかし目覚めは相当に悪い。
起き抜けに襲う頭痛に顔を歪めた。
ベットの上でこめかみを抑えて、一つ大きく息を吸う。

のそりと起き上がって、練習用のジャージに着替えて準備をする。
顔を洗ってトレーニングの用意だ。
真夏は早朝に限る。
納屋に置いているスペアバイクのメンテナンスも帰ってきた日に済ませてある。

階段を降りて洗面所で顔を洗って、ヘアバンドをつけると外へ出た。


「わ…びっくりした」


懐かしい夢、のはずだったのに。

ぼんやりと、庭に立っていた彼女がこちらを振り向いたのを見て、俺は思う。

実際ここに俺はいて、彼女もここにいる。

「おはよう」
「おはよう、早いね。そっか練習か」
「あぁ。千春はどうした?眠れなかったか?」

近づいて、それとなく青白いその顔の理由を聞く。
きっと、昔の俺はこんなふうにはできなかっただろう。
慌てふためいて騒いだに違いない。

時間は進んでいて、最後に会ったあの日からも変わってしまった彼女に面食らったが、恐らく同じように俺も変わったんだろう。

「大丈夫だよ…。朝は癖で早く起きちゃうの。夫が朝早く出てたから」

俺の知らない千春の過去。
変えることのできないそれを、俺がどうできるわけでもないけれど。
そこに後悔は、やはり付き纏うけれど。

「そうか。無理、しないようにな」

どうかこの場所が彼女にとって、安寧の地になるようにと願う。



fin