08
(僕らはいつもすれ違い間違いながら進む)
逸らされた視線、震える肩、身を守るように胸の前で組まれた腕。
彼女の全身が、俺を拒否しているのが分かる。
伸ばしかけた手は宙に情けなく浮いて、ぱたりと体の横に下ろした先で拳を握る。
今ここで言っておかなければ、次のタイミングはないかもしれない。
「…なぁ、千春覚えているか?
あの日、最後に寮に訪ねてきてくれた日のこと」
俺はゆっくりと言葉を選んで紡ぐ。
千春の睫毛がふるりと震えた。
そうだった。
あの日もこんなふうに、彼女の睫毛の影を見たような気がする。
『尽八、私、短大卒業したら結婚するの』
夢でも見た、過去の記憶が蘇る。
俺はずっと千春が好きだった。
幼い頃から、ずっと。
気がついたらそうなっていた。
一生彼女といるのだと、何故か思い込んでいた。
だがそれを、彼女に言葉にして伝えたことはなかったように思う。
それはきっと俺の甘えで、言わなくても伝わっていると勘違いしていたのだろう。
それでも、大切にしてきていたつもりだった。
好きだと言葉にしなくても、愛おしい存在だと、伝えてきたと思っていた。
良くも悪くも、それは、俺たちの間で空気のように当たり前になっていたのだと思う。
それにあの頃の俺は幼すぎて、ただ戯れるように触れて、冗談めかした態度の中に本心を見え隠れさせることしかできなかった。
急いで特別なものに変えなくても俺たちは大丈夫だと、たかを括っていた。
それがある日気がついたら、急にぶっ壊れていた。
俺にとってはほんの数ヶ月の時間だったが、千春にとってはその数ヶ月の間に人生を変える出来事があったのだろう。
それは久しぶりに寮に会いにきた彼女の姿を見て、すぐに分かることだった。
数ヶ月ぶりにあった彼女は別人だった。
化粧も、服装も、髪型も、俺の知っている彼女ではなかった。
唯一、漂ったキンモクセイの香りに目を細めた表情だけが俺の知る千春で、そのことが更に彼女の存在が遠ざかってしまったことを感じさせた。
その彼女からその日告げられたのは、別の男と結婚するという、どうにも信じがたい事実で。
動揺して、初めてその場で焦った情けない俺は勢いで想いを告げたが、もう後の祭りだった。
確かに幸せそうな顔で笑った千春を、俺はあの日見送った。
彼女が幸せならそれでいいと、自分に言い聞かせて。
「俺の気持ちは、あの時から変わらんよ。
幸せでいるならそれでいいと、思っていた。
でも今…千春が傷ついているのは、見ていて分かる。
今更何も俺が千春の過去に対してできないことも、理解している。
だが…だからこそ、何があったのか話して欲しい。
俺にも一緒に背負わせてくれないか」
祈るような気持ちで俺は思う。
その役割をどうか俺にさせて欲しいと。
暫くの沈黙の後、俯いていた千春が観念したように息を吐いた。
fin