蒼い世界で呼吸する


ビュッ──と紅花の回した薙刀が空を斬ると、今まで刃に纏わせているだけだった呪力が斬撃として飛ぶ。その斬撃は確かに威力をもって地面を抉った。紅花がもう一度薙刀を回す。同じ様に飛ばされた斬撃だが、五条だけは先程との違いに気付いていた。斬撃が地面に着弾するタイミングで片手で印を組んで唱える。

「呪爆──!」

呪力が炸裂した。それは中々の威力を持っており遠目で見学していた家入が「おー、」と気のない声を洩らしながら手をぱちぱちと叩いた。夏油も興味深そうに一連の流れを見ており「へぇ、すごいな」と呟く。ただ一人、五条だけはぶすっとしたまま頬杖をついていた。
夏油とペアで赴いた旧校舎での任務以降、紅花は変わった。基礎である体捌きや薙刀術は勿論のこと、自身の術式への理解を深め、試し、こうして実用可能なまでに引き上げた。当初の目標である呪力のコントロールもいつの間にか身に付いていたし、その自分を鍛え上げる姿勢は同じ術師から見ても見習うべきところがある。尤も、五条はそれが気に入らないのだが。空回りでもすればまだ揶揄い甲斐があるものの、紅花はその全てを自力でものにしてきた。数ヶ月前までは普通に生きてきた少女が、五条等よりまだ若く身体も一回りも二回りも小さな少女が、だ。これに関して紅花が彼等に助言を求めたことは一度だってない。かといって独りよがりになっているわけでもない。驚くべき早さで術師として駆け上がってくる紅花が、五条はとにかく気に入らなかった。夏油と行った任務で何かあったのは間違いないが、彼に聞いても笑って躱すのみ。なら紅花に聞けばいいのだが、気に掛けていると思われるのが癪、という妙なプライドの為に聞けずにいた。
五条を不機嫌にさせている原因はまだある。件の任務の後から夏油と紅花の仲が異様にいいのだ。決して惚れた腫れたの話ではなく、その雰囲気は兄妹のそれに近い。

「傑、見た!?」
「見てたよ。すごいな、威力は調節できるのかい?」
「うん、呪力量に比例して爆発の規模は決められるよ。微調整はまだ出来ないんだけどね、あと考えてるのが幾つかあって──」

イライラ。イライライライラ。
「混ざってくればいいのに」
「あ"?興味ねーよ」
「よく言うわ、貧乏ゆすりすごいけど」

家入の呆れた声に返すのも億劫だ。五条の苛立ちにも気付かず術式の話に夢中な紅花と、分かっていて五条に何も言わない夏油。

──あ"ー、クッソイライラする。

これ以上和やかに談笑する二人を見ていられなくて五条は何も言わずにその場を抜けた。


/


「げ、」
「げって何」

同日の夜、寮の男女共有スペースで書物を開く小さな背中が誰なのかを理解したとき、五条は思わず呟いていた。一瞬不服そうに顔を顰めたものの、すぐに書物に視線を戻す紅花に昼間の苛立ちが再びぶり返す。五条は本来の目的である飲み物を冷蔵庫から取り出し、ペットボトルの蓋を捻った。横目でチラリと盗み見た書物は酒呑童子に関する資料のようだった。

──こんな時間までやってんのか

体調管理もできている、焦っている訳でもない。決して無理をしているわけではないことは知っているが、だとしてもである。冷蔵庫から二つ洒落た容器に入ったプリンを取り出し、紅花に歩み寄った。紅花が顔を上げるよりも早く酒呑童子の資料を取り上げ、テーブルの紅花の手の届かない位置に置く。

「な、何する──」
「ん」

抗議の声を遮り、プリンを目の前にチラつかせる。キョトン顔で差し出す豆だらけの小さな掌にプリンを置いた。そのまま紅花の横に些か乱暴に腰掛けた。ソファーのスプリングが軋んで紅花の身体も合わせて揺れる。言葉少なに自分の横でプリンを食べ始める五条に、紅花も貰った甘そうなそれの封を切った。プラスチックのスプーンでひと口運べば、卵と牛乳の甘さが口内に広がる。卵が多めに入っているのか硬めで濃厚なそれが脳に染みていくようなそんな気がした。

「美味しい。悟ありがとう」
「お前さ──傑となんかあったの?」
「傑?なんで?」
「いいから答えろよ」

いまいち質問の意味を図りかねている紅花に五条は急に恥ずかしくなり、聞くんじゃなかった、と少し後悔した。だが五条としては二人を見る度これ以上モヤモヤするのも御免であるし、自分だけ知らないというのも納得いかないのだから多少恥ずかしいのはもう堪えるしかない。

「あった」
「ふーん、傑に惚れでもしたか」
「違うよ」

ほとんど間を開けず返ってきた返事に、五条は自分で思った以上にショックを受けた。少なくとも、思ってもない言葉が口から飛び出すくらいには。だがしかし、間髪入れずに強く否定した紅花により、五条は口を噤む。

「それは、違うよ」

もう一度紅花が強く否定する。
強い意志を宿す自分とは正反対の色を持つ紅い瞳にばつが悪くなり、目を逸らした。いつものよく回る口はどこにいったのか、五条から漏れた返事は「そーかよ、」だけだ。 
紅花が語りだす件の任務の詳細。たった一人で死んで、呪いとなり、長い時間をかけて呪物に転じた少女の話──そこにどういった事情があったのかは知らないが、元は人だったものだ。紅花は助けたいと思うのだ。呪霊を助けたいんじゃない、形を成してしまう程の人々の恐怖を、後悔を、苦痛を、悲しみをどうにかしたいと思う。そして、現代で呪いに苛まれる人も護りたい──その身が転じてしまわぬように。

「傑は憧れっていうか、ああなりたい、って思うの」
──傑は火をつけてくれた。何でもない私を"呪術師"だと言ってくれた。答えをくれた。傑は鳥居紅花の目標だ。

紅花の志は偽善で呪術師をやると言っているようなものだ。出会った時の力に怯える少女はもう居ない、縋るように五条を見た紅は今は苛烈なまでの使命感を抱いている──それを引き出したのは夏油だ。五条は柄にもなく、夏油を羨ましく思った。

「あの日、私を連れてきてくれてありがとう」

しかし続いた紅花の言葉に、五条がその美しい碧眼をまん丸に見開いた。あの日五条が見つけてくれなければ、紅花は今でもあの暗い部屋で怯えていた。両親を手にかけていた。自分を、家族を、友人を、恋人を呪っていたかもしれない。

「あの日、悟が手を差し伸べてくれた日から私には世界が蒼く見えるんだよ」

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