ライカは堕ちるか


五条、夏油の活躍により交流会は東京校の勝利で幕を閉じ、いつもの日常が戻ってきた。鍛え、祓い、笑う、そんな日々だ。あの寂しかった晩は彼等の一本の電話で優しい夜へと代わり、紅花は戻ってきた彼等をいつもの笑顔で迎えることができた。

──はい先生!京都観光してもいいですか!
──明日には帰るから、泣かずに待ってろよ。

観光せずに帰ってきてくれたんでしょう?知ってるよ。
五条に言えば確実にあれこれ理由をつけてはぐらかされるし、もっと言うなら自分が寂しがったことまで掘り下げられるので言わないが、紅花はこの時の五条の優しさをちゃんと覚えている。

「紅花、お前に二級術師への推薦があった」
「え、」
「ひゅー、やったじゃん」

高専の敷地内の木々が緑から赤や黄色に移り変わった頃、いつも通りの積み重ねる日常に割り込んできたチャンスに紅花だけでなく五条も夏油も驚いた。推薦がもらえるということは、実力を買ってくれている証だ。嬉しいことには間違いないが、一体誰だろうか──歌姫さん?それとも冥さん?──否、紅花はどちらともそんな話はしていない。ならば誰が。

「九十九由基特級術師からの推薦だ。いつ会った?」
「………あぁっ!」

交流会で全員が留守にしていた日、九十九に言われた言葉を思い出した。プレゼントだと、彼女は確かにそう言っていた。交流会直後は、気になってソワソワしながら過ごしていたが、それらしい沙汰もないしいつの間にか紅花はすっかり忘れていた。まさか今になって言葉の真意が分かるとは。

「ここ数件の任務で適正ありと結論が出た。これから申し渡す二級案件に単独で臨み、結果を残せば晴れて二級術師だ。気を抜かずいけ」
──だから最近、悟や傑と違う人と任務だったのか…。
「はい!」

紅花の昇級任務だけでなく、五条と夏油にもペアで一級案件が入り、順番に資料が手渡された。補助監督の待つ駐車場へ行こうと踵を返した紅花の二の腕を五条が捕まえる。

「な、何?」
「二級如きで死ぬなよ」
「う、うん、頑張る」
──コイツ全然分かってねえ。

確かに紅花は強くなった、そこを否定するつもりは五条もない。だが今回は初めて単独任務である、五条や夏油がフォローしていた今までの任務とは訳が違う。一瞬の判断ミスと油断が死を招く。危なそうならすぐ連絡を寄越せ、そう言いたいのに出てくるのは遠回しな言葉だけだ。当然紅花に伝わるはずもなかった。パタパタと駐車場へ走っていく紅花に、本当の意味を伝えることもできないまま五条は歯痒さに頭をガシガシと掻いた。

「心配だって素直に言えばいいのに」
「うっせ」


/


「はぁっ──はぁっ──」
いダ、イ…グルじィ…!たァスケテ…!
「──っ呪爆!」

いくつのも死体を適当に折り重ねたような、手と足と顔が無作為に生える呪霊で紅花の呪力が爆ぜた。確かな威力を持ったそれはしかし決定打にはならない。くそ、と普段使わない言葉を吐き捨てて紅花は木々の間をドロドロとすり抜けてくるそれからまた逃げる。切り裂かれた腹から夥しい量の血が流れ、じくじくと痛む。片腕は先程折られて薙刀は満足に振れない、近接は無理だ。呪爆では威力が足りない。足を止めればあいつの術式を食らう。考えろ!考えろ!考えろ!
紅花ではこの呪霊に勝てない。しかしそれは、紅花の力量不足ではない──そもそもこの任務自体が。

──これは一級案件だ…!

事の発端はとある町で起こった連続自殺未遂である。被害者は大学生の男女7名、幸い軽症で命に別状のないが全員揃ってその時のことをよく覚えていない、と述べている。調べてみたところ7名から呪霊の残穢を確認。その7名を被呪者として高専管轄の医療施設へ移送、解呪まで隔離とする。
聴取の結果で7名には共通点があることが判明し、その場所も特定した。場所はそんなに高くない山の上、被呪者達の通う大学はその山の麓だ。近くはないが歩いて行こうと思えば行ける距離、肝試しだと称して面白半分に入り込み呪われたという線が濃厚だろう。

「ここが…」
「はい、被呪者達が入り込んだ立ち入り禁止区域です」

紅花はここら一体を囲むように張り巡らされた注連縄に手をかけた。

「では、行ってきます」
「はい、お気をつけて──闇より出でて闇より黒く、その魂を禊ぎ祓え」

紅花が注連縄を潜ると同時に夜が下された。とろりと垂れた夜の内側で紅花は思案する。
注連縄とは、一般的に神域・聖域を外界と隔てる結界として用いられるものだ。これがここら一帯を囲んでいるということはこの中は神域、彼らを呪ったのはここに祀られる存在ということになる。この説明だと、祀られているものの正体は良いもので被呪者達が罰当たりなことをして呪われたようにも思えるが、そうではない。祀られているものが全ていいものとは限らない、悪いものを神様の手を借りて封じる、その為に祀ってあるということもあるのだ。
注連縄があるのなら中央に祠があるはず、紅花は中央に進んでいく。目的の祠は予想通り中央にあった、ただし壊されていたが。明らかに人為的に壊されている、大学生達とも思ったが木片の劣化具合からしてここ数日のものでは無いと判断した。

──ここから呪力は感じない。ならあの人達を呪ったのはなんなんだろう?

ゾワッ──!
「っ──!」

身の毛のよだつようなぬるりとした気持ちの悪い呪力に紅花は薙刀を構えた。脂汗が米神を伝った。生い茂る木の影から出てきたのはそれはおぞましい姿をしていた。

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