ライカは堕ちるか・弍


──間違いない、被呪者の人達に残ってた残穢と一緒!

その呪霊は生き物の形すらしていなかった。手と足と顔、人のあらゆる部位が無作為に生え、好き勝手に動いている。ただ千切ってくっつけるだけの粘土遊びを人でした様な、そんな見た目をしていた。正直かなり気持ち悪い。
薙刀を一度回し、術式をのせた斬撃を飛ばす。呪霊に着弾する瞬間に空いている方の手で印を組む。

「呪爆!」
ギィ"ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙──!!!

爆発が肉塊の一部を粉々に吹き飛ばした。そこで初めて攻撃されたと理解した呪霊が老若男女入り交じった不快な断末魔を上げた。その声量と不快感に表情を歪め、もう一度斬撃を飛ばそうと薙刀に呪力を流した時だった。生えた手の一つが紅花を指さす。

「──ぇ、」

紅花の腹から血が噴き出した。何が起こったのか分からぬまま、紅花は裂けた腹を押さえて、地面に膝をついた。痛い、熱い、傷口が焼けるようだ。

「ぁ、ぐ…いった…ぃ」

あいつは何をした。呪力で攻撃したわけじゃない、あれは間違いなく術式だった。だとすればこの呪霊は一級相当、二級査定中の紅花の手に負える呪霊ではない。痛みに呻く紅花に緩慢な動きでズルズルと近づき、呪霊はどろりとした肉で薙刀を持ってない方の紅花の腕を包み──瞬間、バキバキと音を立てて腕が折られる。

「っあ"あ"あああっ!」

今度は紅花が絶叫を上げた。だらりと垂れ下がった腕、腕を折られた時の痛みに気をやりそうだったが腹の傷が痛むせいで意識を保っていられる。とりあえず距離を置かなければ、紅花は薙刀を振って呪霊が掴んでいる部分を斬り離し距離をとる。

──術式を使うなら一級呪霊だ、とりあえず退避して応援を呼ばないと…!

呪霊の足が遅いことが不幸中の幸いか。
逃げる紅花を呪霊の指が指す。

「っ──!」

身を捩るようにして見えない攻撃を避けるが、避けきれなかったらしい。太腿に傷を受けたが深くはない。逃げるのにも支障はない。そしてこれで術式の正体も分かった。指さした場所に斬撃を入れる──それが術式なのだろう。奴に生えている手は四本、まず間違いなくどれで指しても術式は発動する。さっきと今とで傷を負うタイミングに差異があった。攻撃対象が遠ければ遠いだけタイムラグが生まれるのだろう。恐らく近接で戦えばほとんど指されたと同時に攻撃を受けるはず。
四本の腕のいつ来るか分からない術式を避けながら逃げ切る。出来るだろうか、いややらなければ自分が死ぬだけだ。今はまだ動けているが、既に血を流しすぎている、動けなくなればお終い。
指がまた紅花を指す。木を両断したそれを今度は躱せた。間髪入れずに斬撃を飛ばし、呪爆を行うも呪霊の肉は厚く有効なダメージを与えられない。一級ともなれば自己治癒もできるらしく、完全にジリ貧に陥っていた。
指がまた紅花を指す。見えない攻撃を躱したはずだった。別の腕が今度は確実に避けた先の紅花を指さしていた。一度目の斬撃は起こらない──しまった、やられた。弓なりにいつくもある目を細めて嗤う呪霊を捉えた瞬間、何をされたのか理解したと同時に斬撃が紅花の足を切り裂いた。

「〜〜〜った…く、そ」
──一度目の指差しはフェイク、二度目で確実に当てにきてた…この呪霊、知性がある…!

しかし本当に不味いのはそこでは無い、足が潰された。これでは逃げられない。

──死ぬのかな、

人は死ぬときはひとりだ。五条と夏油が一緒にいれば死は遠かった。けれど本当はこんなにも近かったのか。結局紅花は何にもなれなかった。呪術師にはなれなかった。

──助けてやるよ。俺らと一緒に来い。
「! 」

視界に蒼が弾けた。ほらどんな時でも、死に際にだって蒼が見える。でも一番見たいのは、空を閉じ込めたみたいなあの瞳だ。紅花を救ってくれた二つの蒼。だから諦めきれないんだろう。戦うことも、救うことも、生きることも、紅花の全てはあの日にある。

「死んでも祓う…!」
──私の術式…酒呑童子の術式は呪力を核として爆発を起こすもの。私が術式を付与した呪力を直接込めればそれは爆弾になる。

一か八か、呪霊に呪力を流し内側から術式を発動させる。上手く行けば呪霊は内側から爆ぜるだろうが、問題は紅花だ。あの呪霊に今の状態で近接を仕掛けるなんて自殺行為だ。失敗すれば間違いなく死ぬ。しかし、やらなくてもこのまま死ぬだけだ。既に地獄は口を開けて待っている。どうせ堕ちるなら道連れにしてやる。
動かない身体を必死に奮い立たせる。意識が朦朧とする。しっかりしろ、起きろ、意識をやらないように腹の傷を自分の手のひらで抉った。痛みで自分を呼び戻す。

「…っぐ、はぁ、」
──大丈夫、動ける。これで最後だ。

紅花は薙刀を構え、呪力を乗せて三度、斬撃を放つ。山の傾斜を抉るように呪霊に向かっていったそれを印を組んで全て爆破する。舞い上がる土煙、紅花は呪爆を目眩しに使ったのだ。これで、呪霊からは紅花が見えない。ここからは獲物は要らない、紅花は薙刀を放り捨て呪霊がいる場所に一直線に走る。痛みなんて今はどうでもいい。紅花はそのおぞましい呪霊に抱きついた。

ギィアヤアァァァ──!!
「ぐっ…!」

紅花を振りほどこうと暴れる呪霊に必死でしがみつく。巨体ごと木に叩き付けられミシミシと押し潰されるが紅花は離さない、口から血を吐きながら呪力を流し込んだ。
呪霊を吹き飛ばすのに十分な規模の威力までに達したとき、印を組み、唱える。

<呪爆・零式>
「──っじゅ、ばく…れいしき!」

紅花の呪力で呪霊が内側から爆ぜる。あれだけ苦戦した分厚い肉が木っ端微塵に吹き飛び、地面に落ちて霧散してゆく。巨体にしがみついていた紅花もまた、支えを失って地面に落ちた。どさり、と落ちた衝撃が激痛となって体を走る。祓えた、まだ自分は生きている。負った傷の痛みだけが今生きていることを現実たらしめていた。紅花の視界にまた蒼が光った。
人工の夜が明けるのを最後に、紅花は気を失った。

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