深淵にて触れる


昔、その山には処刑場があった。詳しい記録は残っていないが恐らくは戦時中に使われていたと思われ、終戦から使われなくなりいつしか取り壊され、人は過去の遺物としてその存在を忘れ去った。だが、そこで殺された人々の魂は救われない。恨みを怒りを抱いて死んでいった多くの命の集合体、それが今回紅花を襲ったものの正体だ。故にその姿は亡骸を重ね合わせた異形、身体を切り刻まれ死んでいった怨念が術式となった。
壊されていた祠は、死刑場で死んでいった命を祀ってあったものだ。説明を覚えているだろうか。祀ってあるものが必ずしも良いものとは限らない。これはその典型だ。吹き溜まる数多の怨念を祀ることで封印を施していた。しかし、人為的に祠は壊され、封印されていた死者の怨念が吹き出した。それがこの事件の真実である。


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帰ってきたら素直に祝ってやろうと思ってた。いつものように揶揄ってそれでも祝ってやろうと思っていた。だが補助監督が連れかえってきたのは生きてるのかも怪しいほど血塗れの紅花だった。片腕はひしゃげ、裂けたセーラー服から覗く足と腹部は赤いのに顔色は酷く青い。

「すぐに処置室へ!」
「はい!」
「五条!夏油!邪魔!外に出てて!」

「悟、今は硝子に任せよう」
「分かってる」

急いで治療に入る硝子に手術室を追い出される。あんな風になって帰ってくるくらいなら、昇級の邪魔をしてでも一緒に行けばよかった。普段なら弱いからそうなるんだろ、と鼻で笑ってやるのに全く俺らしくない。治療を始めてまだ大して時間は経っていない。処置室で普段声を荒げない硝子の焦る声が聞こえた。

「…反転術式が効かない!」
「「!!」」
──反転術式が効かない?なぜ、いや今はそこじゃない、治療が出来ないなら紅花の命は。

先程硝子に追い出されたことも忘れて処置室に駆け込んだ。ズカズカと大股で手術台に寝かされる紅花を見下ろし、血の気の失せた冷たい頬に手を添える。おい、さっさと起きろよ。何くたばろうとしてんだよ。

──俺は、こんな最期の為にお前を助けた訳じゃない。


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「ん?」

ここは何処だろうか。目を覚ました紅花は、見慣れない空間にはて?と首を傾げた。見慣れないのも当たり前だ、何故なら現実ですらない。
上下も前後も遠いか近いかも曖昧な空間のそこかしこで黒炎が立ち上る。紅花の足元にもそれは揺らめくが熱くはない。そして背後でそびえる黒い羅生門を振り返って見上げ、紅花は有名な画家が描いた水墨画の中に入ったような気分になった。紅花の声以外は音にならない。彼女が立てる足音すらも音にはならない、がそもそもこの空間に地面というが存在しているかも怪しい。
夢だろうか、いや夢にしては意識がハッキリしすぎている。紅花は呪霊を倒したことまで全てきちんと覚えているのだから。ならばここは死後の世界か、それも答えは否だ。紅花はこの時は理解していなかったがここは彼女の生得領域であった、正しくは酒呑童子の生得領域。酒呑童子は紅花である、よって領域も同じだ。

そこで紅花は触れる、呪力の核心へ。やり方は教わらずとも分かる、原初の鬼の呪力が紅花へと囁くから。

「術式反転」
──。
────。

目を覚まして最初に見たのは、戦いの中であれ程までに焦がれた蒼だった。覗き込んでくるいつもの面々にあぁ、帰ってきたんだと紅花は実感した。いつもクールな家入は珍しく焦っていたようでポカンとしている。夏油も驚きを隠せていない。五条は──。

「、おはよ、ございます」
「〜〜〜マ、ジで!ざけんな!クソガキ!」

開口一番怒鳴られた。まず初めに呑気な挨拶が出た紅花が悪いのかもしれないが、重症なのである。傷に響くので今はやめて欲しい、などと考えているところで漸く今の自分の状態に気付いた。あの戦いで負った傷が跡形もなく治っていた。呪霊に開けられ更に自分で抉った腹の傷も、バキバキに握り潰された腕も、足の傷も痛みすらも残っていない。横でやいやい憤慨する五条をスルーして紅花は手をぐっぱぐっぱする。

「驚いた。反転術式が使えるようになったのか」
「多分、でも自分でもさっぱり…そもそも硝子に聞いてたのと少し違うような…」
「ひゅーひょい、?」
「うん、ひゅーひょい」
「いや分かんねえよ」

五条がすっとぼけてるとしか思えない会話の女子二人にツッコんだ。夏油は、ふむ、と顎に手を当てて少し考える。
呪霊が反転術式で身体を再生することは難しいことではない。対して人間のそれは限られた人間しか出来ない高等技術、更に家入の様に他人の怪我を治せる程の使い手なんてそうそういない。呪霊と人間とで、反転術式の難易度は大きく変わる。先祖返りである紅花は人間より呪霊に近い存在だ。人間を治す家入の反転術式とは相性が悪いのかもしれない。恐らくだが紅花の場合は呪霊が身体を修復する時のそれに近いと夏油は推測する。

「実は硝子の反転術式が紅花には効かなくてね。だから本当に死んだかと」
「え、うそ。そうなの?」
「そ。やー、マジ焦ったよ」
「いや軽いわ」

またもや五条のツッコミが入る。だがこれら全て、こうして紅花が無事だったからこその軽口というものだ。紅花がごしごしと目を擦る。起きてから元気に話していたが、一度は生死をさ迷った身だ。反転術式による自己治癒も前例がない紅花には、どんなリスクがあるか分からない。

「私は夜蛾先生に報告してくるよ。紅花はとりあえず休んだ方がいい」
「夏油、私も行くわ。紅花の治癒が出来ないことも言っとかないと。紅花起きたら検査するから」
「うん、」

重たい鉄の扉をさっさと出ていく二人を見送り、紅花は深い深い息を吐く。「ため息吐きてえのはこっちなんだけど、」静かだが確かに怒りを含んだ声に、紅花はあぁやっぱり怒ってる、とその美しい顔を見上げた。

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