あなたの夜が明けるまで


話すことは全部で三つある。

まず一つ目、五条と口付けを交わしたあの後、紅花の食欲は僅かながらに解消された。互いに酩酊状態に近かった為にあんな行為に及んでしまったが、口付けで摂取できる量には限りがある、とどのつまり非効率だ。そして、解消はされたが消えた訳ではなく、さっき程ではないにしろ苦しむので、一定量の人肉──は無理がある為、志願した五条の血液を採取して摂取した。その時完全になりを潜めた食欲はあれから一度も出てきていない。その事からおそらく、呪力を著しく消費した時のみ表れるものだろうと推測した。
この時実は、自分以外の血を飲む紅花を見たくないし想像したくもない、という五条の独占欲があったのだが、紅花は悲しみと羞恥の狭間にいた為、知る由もない。閑話休題。
ともあれ、推測は正しかった。今回の事が事だった為に療養期間を三日ほど設け、復帰後の任務で負った軽傷を紅花が自力で治した時にも、軽い食人衝動が見られた。どうやら自力で傷を癒せると言ってもかなりの呪力を消費するらしく、それは五条の六眼で見るに「ぼったくりもいい所、」な呪力消費量らしい。先祖返りである紅花は酒呑童子そのもの、その呪力量は到底枯渇するようなものでは無い。今のところは反転術式を使った時のみだ。一過性のものであること、起こる条件がハッキリしていること、そして対策法が分かっていること。これらの要素を鑑みて、大した問題にはならなかった。紅花は今まで通りの活動を許されている。
次に二つ目、昇級の合否だが──当然、合格である。紅花は今回一級呪霊を祓ってみせたのだ。この結果には何ら驚くことは無い。
そして三つ目、話が戻ったような気がしなくもないが、口付けの後の五条と紅花の関係である。結論から言うと、あまり変化はない。ただそれは関係は依然クラスメイトである、という意味であって、二人は互いに少し変わった。五条は態度こそ変わらないものの、誰の目から見ても以前より紅花を気にかけるようになっていたし、何なら以前より少し距離が近い、不意に頭や指に触れたりなどのスキンシップも増えた。その明らかに恋してます、な五条の態度たるや家入に「似合わねー」と顰め面させるほどで。夏油は温かく見守っていたけれど。逆に紅花はそんな五条の一挙手一投足にいつ自分の恋心が伝わってしまうのかと、ドキドキヒヤヒヤさせられる日々である。今まで通り、にと努めて振る舞うも五条のせいで気の抜けない日々である。こちらも家入、夏油は温かく見守るだけで、紅花が少し困っていようが助けてはくれない。面白がってるのか、面倒なのか、理由は定かではない。余談だが、五条は紅花に半ば強制的にある約束を取りつけた。それは、食人衝動が出たら必ず五条を頼ること。理由は前述の通りである。それは、紅花には軽い生き地獄だ。好きな人の血を吸うおぞましい自分を、事もあろうに好きな人に強制される。五条が誰よりも、その化け物を愛していることを、紅花はまだ知らない。


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「悟、紅花に何かしたのかい?」
「あー…キスした」

巣食う呪霊を片手で祓いながら雑談を交わす。夏油の問いかけに、五条は後ろ頭に触れながら答えた。夏油は、さして驚く様子もなく「そうか、」とだけ返す。五条が紅花に惚れていることは誰もが何となく察していた事だから。

「伝えないのか?」
「今伝えても、多分ダメだろ」

上手く隠してはいるが、まだまだ年齢は初心な中学生である。紅花の五条への思いは、努力の甲斐もなく周りには筒抜けだった。夏油が気付いていることは五条も気付いている。ならばさくっと伝えて収まるところに収まればいいものを、五条はそうしない。夏油には珍しく、五条の意図が読めなかった。

「キスした事は後悔はしてねえよ。でも、泣いたんだよ。何に負い目感じてんのか知らねえけど」
「いつもなら聞くだろ。珍しいな」
「あれは俺には分からない悩みだろ。困らせたいわけでも傷付けたい訳でもねえよ」

へぇ、と夏油は感心した。五条は元から一度懐にいれると人懐っこく、優しさを見せることも少なくはないが、紅花に対しては格別らしい。

「けど、あのままにしとく気もねえよ」
「と言うと?」
「もう時間の問題だろ。紅花がどこまで耐えられるか、てこと」

つまりこの男は、今のままじわじわとしたアプローチで紅花の本音を引きずり出そうとしているらしい。紅花の意志を尊重してるようでしていない作戦に、夏油はやれやれと笑った。

「程々にしてやれよ」
「やだね」

紅花は自分が先祖返りである事を、心のどこかで忌まわしいと思っている。彼女の性格と育ってきた環境を見れば当たり前だ。彼女の両親を見ただけで分かる。娘の正体が、鬼の始祖だろうと守ろうとした両親。そして紅花自身も、人々の呪いの中に身を浸しながら、その心は清廉そのもの。あくまで顔も名前も知らない誰かの為に呪いを祓うことを掲げている。呪いそのものでありながら人を呪わずに生きてきた少女、呪いそのものである自分を忌み嫌うのに誰かが生んだ呪いを哀しいと憂う少女。言葉にすれば酷く、歪で危うい。
夏油にとって、鳥居紅花は妹のような存在だ。幸せになって欲しいと思う。それが五条ならば申し分ないとも思う。愛情もひとつの呪いの形だと、誰かが言った──。夏油は待っている、紅花の心が愛の呪いにかけられる日を。

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