軽骨遊戯・弐


昔、この地には鬼が棲んでいた。人を襲い、田畑を荒らし、この地の人からそれは恐れられていた。あまりに凶暴なその鬼を鎮めようと、村人たちはある提案を鬼にもちかける。10年に一度、霊能の力の強い女を生贄として捧げる代わりに村に危害を加えないことを。霊能の力すなわち呪力──呪力を取り込み呪いはその力を増す。鬼はその条件を飲んだ。
これが、やがてこの地を訪れた呪術師が施した封印と、時間経過によって忘れ去られた悪習の全容である。


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「"鬼の嫁取り伝説"?」
「はい。関連性は低いと見て言いませんでしたが、資料にも一応記載させてもらってます。今回、五条くんと共に鳥居さんが派遣されたのもこの伝承が絡んでいた場合、何か助けになるかもという理由なんですよ」

お膳で運ばれてきた懐石料理を口に運びながら紅花は補助監督の言葉を反芻した。
あれから五条と紅花は僻地デートという名の散策を早々に切り上げた。その理由は、紅花の顔色が芳しく無かったというのが一つ、そしてあの祠のことについて情報を集める必要があったというのがもう一つだ。補助監督からの寝床を確保したという連絡を待ち、チェックインを済ませて迎えた夕飯どき、箸を動かしながら五条がおもむろに尋ねた。「古い祠見つけたんだけど、ここなんか伝承とかあんの?」と。補助監督から返ってきた答えは先の会話の通りだ。
だから紅花が惹かれたのか、と五条は納得した。酒呑童子は鬼の頭目、全ての鬼は酒呑童子の子どもと言っても過言ではない。あの祠からは確かに呪いの気配がしていた。子どもが親を呼ぶ様に、この地の鬼の呪力が酒呑童子の呪力と共鳴し、引き合った。あれはそういう事だろう。

「これって今回の変死とは無関係なのかな?」

懐石御膳を食べ終わった後、紅花が温かい湯呑みを両手で包み込んで疑問を零す。確証も根拠もない、ただ漠然とした不安から口にしてしまった言葉だった。

「経緯から考えるにその線は薄いですが…どうしてですか?」
「なんだか、偶然じゃないような気がして…」

鬼の伝説と呪詛師──一見そこに関係なんてないのに、紅花の中の不安が消えない。
しかし考えていても仕方ないのだ。今、分かっている以上のことは分かっていないのだから。これらはまた明日調査するとして今日はもう休もう。紅花は立ち上がって体を伸ばした。

「風呂!入ってきます!」
「はい、了解しました。五条くんもご一緒にどうぞ。私は経過報告もありますので今のうちにやっちゃいます」
「やっり〜」

泊まりになることも想定して持ってきておいた着替えと、部屋に備え付けの浴衣とバスタオルを抱えて部屋をでる。片手でそれらを脇に抱えた五条が横に並んだ。

「あれから呪力は」
「平気。あの時は本当に引き寄せられただけみたい」

触ってたなら分からなかったが、それは五条が止めてくれた。しかし今後あれに触れることがあっても紅花ではなく五条の方がいいだろう。

「紅花」
「ん、なに──」

覆い被さる様に屈んだ五条が、不意打ちで紅花に口付ける。ちゅ、と控えめで可愛らしい音に紅花は目を丸くした。しかし可愛らしいのは最初だけで、次にはむはむと唇を食み、次第に深く交わろうとしてくる唇に、紅花はんー!んー!と音で抗議しながら五条の胸を叩いた。

「っは、」
「はぁ、」

思ったよりすんなり離れてくれた五条の吐いた息の色気たるや。キスだけなら付き合ってから何回かしているが、何度経験してもこの時の五条には慣れない。他でもない紅花に中断させられ少し不機嫌にも関わらず色気の滲み出るその美貌に、紅花はなんだか悔しくなった。

──急にこういう事するんだから!この人は…!
「ここ!公共の場所!」
「別に良いだろ、人に見られた訳でもないんだし。風呂上がったら此処に集合な」

自分ではなく、キスをする時の五条の艶かしい表情を人に見られたくないだなんて恥ずかしくて言えるはずもなく、さっさと男湯の暖簾をくぐって消えてしまった五条の広い背中を紅花は文句の一つも言えずに見送った。今のキスで、さっきまでの不安が上塗りされたことなど、紅花は気付いていない。

時間にして約一時間、温泉を満喫し出てきた紅花を五条はもう立って待っていた。普段からその造形美に目立つ五条だが、そこに更に浴衣に湯上りがプラスされると、いつもより割り増しで心臓に悪いな、と紅花は美しい横顔を見つめた。

「何ほうけてんだよ」
「いや、浴衣似合うな、って」
「そう言うお前はちゃんと結べてないけど」
「裾が長くて踏んじゃうんだけど、上手く裾上げできなかったの」
「ふーん、やってやるよ」

「部屋戻るぞ」と言うなり五条は紅花をひょいっと抱き上げた。浮遊感に驚き、小さく悲鳴を上げる紅花を腕に座らせるように抱いて、一時間前に来た廊下を戻る。

「さ、悟!私自分で歩くから下ろして!」
「やだ」
「なんで!?」

割合にして湯上りなのに既に肌蹴かかっている浴衣に気を使ったのが半分、紅花の反応を見て楽しんでいるのが半分といった所か。部屋に戻り、襖を閉めた五条が予告も遠慮もなく紅花の帯を引き解く。

「〜〜〜っ!」
「はいはい、見てません見てません」

はらりと落ちる浴衣、声にならない声を上げながら赤面する紅花を五条はサラッと流した。ちなみにこの"見てない"は本当である。紅花の前に座り、てきぱきと浴衣を直してやる。それは決して性的な触れ方ではなく、どちらかと言うと着付け師のそれに近い。
というのも、五条の実家は呪術界における名家、畏まった集まりもそこそこに多い。その何れも次期当主である五条は参加しなければならないので、その時の正装は決まって和服、つまり着慣れているのである。閑話休題。
ものの数分で綺麗に直された浴衣に紅花は感嘆の息を吐いた。

「悟、凄い!」
「まぁな」

そこでやっと紅花を困らせる方向にシフトチェンジした五条が、すごいすごいとはしゃぐ彼女の手を引いて、胡座をかいた足の間に座らせて逃げられないように後ろから抱き込む。するとさっきまでのはしゃぎ様が嘘のように大人しくなるのだから、五条は面白くて仕方がないのだ。

「紅花、」
「う、」

赤い耳元に甘い声で名前を呼んでやれば、そろそろと見上げてくる赤い顔。五条はその愛しいかんばせにキスの雨を降らせたのだった。

[title by ユリ柩]

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