軽骨遊戯・肆


最初の酒呑童子の説明を覚えているだろうか。
酒呑童子とは、日本に伝わる古い鬼、呪術全盛の平安の頃に実在したとされる特級仮想怨霊だ。全ての鬼のイメージは酒呑童子のイメージに引っ張られる。各地に残る鬼の伝説も呪霊として顕現したものもそこに差はない。全ての鬼は酒呑童子の子といっても間違いではない。有名な鬼伝説の残るこの神社に保管されている文献にその名があったとしてもそれは不思議ではない。

「ここです」
「ありがとうございます」

紅花は宮司に連れられ、資料などを保管している離れにやってきた。一度客間のある建物から出なければならない為、距離はそこそこ。これで資料を読む時間も考えれば、五条と補助監督は十分に今後についての相談ができる。紅花は資料に手をかけた。

「呪術師ではないにしろ、ここで封印を守っている一族です。呪術界の情報も入ってくるのですよ。酒呑童子の呪力と術式をそのまま体に宿しているとは本当ですか?」
「はい。私は鬼そのものです。だから、たくさんの情報が欲しい」
「それは、素晴らしいですね」

宮司の口元が歪に歪んだのに紅花は気付かなかった。変な含みのある「素晴らしい」に不審さを感じて顔を上げる。擬音を付けるならにたり、というのが相応しい悪意の籠った笑みに紅花は初動が遅れた。

──しまった、これは罠だ!

紅花が距離を取るより先に宮司が詰めてきて、紅花に何かの液体を飲ませる。思わず飲み込んでしまった、ガラス小瓶に入っていたそれの色はどす黒い紫、瞬間、紅花を体の内側を這い回られる様な苦痛が襲った。

「あ"!ぅう"…あ、なたは一体…、」
「意識を保ってられるとは凄いですね。これは毒性を極限まだ引き上げた蠱毒だというのに」

紅花に飲まされた蠱毒は、呪いに耐性のある並の術師でも死に至る猛毒だ。酒呑童子の呪力を宿す体──やはり呪いへの耐性が他の比ではない。宮司は人が変わったように喜んだ。

「素晴らしい!蠱毒に耐えうるその体、酒呑童子の呪力!正に、鬼の器とするに相応しい!」
──鬼の、器。
「貴方の体と呪力を糧として、鬼は復活する!未だかつて無い最強の鬼として!」

ベラベラと興奮気味に演説をする宮司を紅花は苦しみの中から睨みつけた。このような状況でも尚、揺るがない紅花の胆力、それを目にして湧き上がってくる征服感と高揚感に、宮司はまた気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「さぁ、仕上げと行きましょうか」


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闇より出てて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え。
覆うように空から広がる呪力に、五条は窓に駆け寄った。どろりと降りる夜の闇に、五条はやられた、と走り出した。補助監督が遅れてそれを追う。
間に合うか?いや、後手に回ってしまった時点でかなりキツいが、帳から出られなければ紅花が危ない。五条の六眼で見るにあの帳は、さしずめ邪魔者を閉じ込める檻だ。
全力疾走には虚しく、帳は完成した。

「クソッ!」

ガンッと呪術による強固な壁を殴りつけ、五条は無理矢理でも紅花について行けばよかったと後悔した。


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体を内側から蝕む激痛に紅花は呻いた。吐く息は熱く浅い。拘束された手足は麻縄がくい込んで痛い。蠱毒によって立ち上がる力も無いというのに足まで縛るとは用心深い事だ。しかし問題はそこでは無い。

──反転術式が使えない、
「無駄だよ」

宮司の横に並び立つ、紅花の心を読み取った男、呪詛師が告げる。

「それは僕の呪術でね。蠱毒に命を吹き込んである。普通に呪いに当てられてるのとは違うんだ。巣食っている蠱毒を取り除かないと反転術式は使えないよ」

物理的に皮を剥いで蟲を取り出す、そんなこと出来ないだろ?嘲笑を交えて呪詛師は紅花を軽く蹴り転がした。足蹴にされて仰向けにさせられた紅花はギロリと呪詛師を睨む。「おぉ、怖い怖い、」口先だけで言いながら呪詛師は肩を竦めてみせた。

「さぁ、宮司。さっさと始めよう。六眼がここに来れば詰みだ。正直アレをそうは抑えておけない」
──悟はすぐには来れない。
「…目的は、なに、」

術式の開示により増した苦痛に苛まれながら、紅花が問う。呪詛師は感心した。

「君はすごいな。普通ならとっくに死んでるよ」
「思ってもない、こと…言わないで」
「そんな事ないよ、つれないな。あぁ、目的だったか。大方そこの宮司がベラベラ喋ったんじゃないか?」

鬼の復活──宮司はそう言っていた。でも何故鬼を復活させたいのか、紅花にはそれが分からない。そんな紅花の心を見透かしたように、呪詛師はくつくつと嗤った。

「理由なんてものはないよ。人を呪うのに必ずしも理由がある訳じゃない。僕は鬼の力を手に入れたい。対してこの宮司は、鬼の魅力に取りつかれた狂人だ──どうかな、中々良いコンビだと思うんだけど」
「……クズ、」

家入が夏油と五条を形容するのによく使う言葉を吐き捨てた。それはきっちり呪詛師の勘に触ったらしい。一瞬眉をぴくりと動かしはしたものの、しかし冷静さは欠かない。五条を一時的にでもまんまと閉じ込めた当たり、間違いなく手練だ。

──けど、お喋りがすぎる。

呪詛師は言った。蠱毒に命を吹き込む呪術だと。紅花の今の状態は皮膚のすぐ下で毒蟲が這い回っている状態であり、皮を直接剥げば取り除くことは可能だと。思ったより効きが悪かった為の術式開示、ひいては術式効果の底上げだろうが、こと紅花相手にそれは下策である。開示しなければ少なくとも、対処法は分からなかったのだから。

「蟲を、とりだせば…いいんでしょ」
「出来るならね」
「できるよ、」

脂汗まみれの少女が、挑発的ににやりと笑う。

「じゅばく、れいしき、」

紅花の体が内側から爆ぜた。

[title by ユリ柩]

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