懐玉・何が為の融解


命を狙われているなんて嘘のような穏やかな時間はあっという間に過ぎた。海沿いに建つリゾートホテル、空港警備に当たっていた七海と灰原も含め、それぞれ部屋をおさえた。今晩はここに泊まり、明朝に発つ段取りだ。
天内たっての希望で、紅花は彼女と同室である。風呂に入り、何時でも寝れる準備を整えた二人はそれぞれのベッドの上で向かい合って話をしていた。

「紅花は、あの男と恋人同士なのか?」
「あの男、」
「……五条悟じゃ」

心底理解できない、と天内の表情が語っていた。それもそのはず、普段の五条は少し悪ノリがすぎる一面もある。天内なんかは揶揄い甲斐があるのだろう、今日一日遊んだが、何度もイタズラをされていた。

「ど、どうしたの急に…」
「……昼に、海で話すお主らを見た」

美しい沖縄の海の真ん中で、対照的な二人が浮かぶ様はまるで一枚の絵画のようだったと天内は思った。天内には、二人の周りだけ時間が止まっていたように見えた──綺麗な表現をしているが、これは俗に言うところの二人の世界、というやつである。

──み、見られてたのかぁ、

紅花の脳裏に、五条からのキスと、自分らしからぬ大胆な行動が思い出された。あれを、見られたのかぁ…。紅花は気恥ずかしくなり、話題を逸らす。

「えっと…理子ちゃんは悟のこときらい?」
「きらいじゃ」
「そ、そっか…」
「けど、悪いやつでないことは妾にも分かるぞ」

即答するものだから、少し聞くんじゃなかったと後悔したのも一瞬のこと、その後に続いた言葉に紅花はほっとした。なんだ、"きらい"というのは建前か。

「しかし、どこがいいのじゃ?」
「うーん…ありすぎて、分からない、かも」

例えば、指は細いのに筋ばった男の人らしい大きな手のひら。例えば、自分を容易く包み込んでくれる大きな身体。例えば、自分のような半呪霊を好きだと言ってくれる変わったところ。例えば──世界のどんな"蒼"より美しい蒼い瞳。

「それほどまでに好きなのか……少し、羨ましいな」
「……理子ちゃん、」
「少し感傷的になってしまったな!明日はいよいよ同化じゃから、少し緊張してるのかもしれぬ!」

天内のそれは、どう見ても空元気だ。紅花が自分のベットを下りて、天内のベッドに上る。天内と向かい合い、枕を握るその両手を、紅花の両手が握った。

「理子ちゃん、今は私しか聞いてないから、私に教えて。できなかったこと、したかった事、全部私がするから──理子ちゃんの代わりに私がする」
「……っ、」

じわり、と天内の瞳に水の膜が張った。
きっと今まで、彼女は沢山のことを諦めてきたのだ。その定められた運命のために。彼女のことを案じていた黒井の手前、飲み込んだ言葉もきっとあっただろう。
「放課後、友達と遊びに行きたい」「うん」「遊園地にも、行ってみたい」「うん」「恋も、ほんとはしてみたかった」「…うん」──天内の口から出てくる望み、そのどれもが紅花にとっては当たり前で、天内にとってはそうではない。ぎゅう、と天内の手を握る力が強まった。

「全部、叶えるよ。理子ちゃんの代わりに」
──それが、あなたを見殺しにする贖罪になる訳ではないけれど。
「……ありがとう」

天内は泣きながら笑った。
その夜、二人は同じベッドに入り、語り合った。できなかった事、したかった事、その全てを。ようやく二人が寝入ったのは、空も白んできた頃だった。

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護衛3日目、高専結界内──天内理子の懸賞金取り下げから4時間。

「皆、お疲れさま。高専の結界内だ」
「これで一安心じゃな」
「あとは下まで送り届けて任務完了か…」

彼女次第だが、天内との別れはもうすぐだ。紅花は、二徹してさすがに疲れているらしい五条を見やった。

「悟、本当にお疲れ」
「二度とゴメンだ。ガキのお守りは」

五条が自身に張っていた無限を解いた、その一瞬を"男"は逃さなかった。

トスッ──。
「──ぇ、」

五条の腹を貫いた白刃とそれを握る若い男、瞬きの合間に行われたその襲撃に、誰一人として反応できなかった。

「アンタ、どっかで会ったか?」
「気にすんな。俺も苦手だ、男の名前覚えんのは」

夏油がすかさず手持ちの一体で男を喰らった。

──私達がいる場所は既に高専の結界内だ、奴はどうやって侵入した?いやそれよりも…!
「悟!!」

五条が刺された。夏油は膝をついた五条に駆け寄った。その後ろで、薙刀を回した紅花が、二人の前に出る。

「理子ちゃん!黒井さん!私の後ろに!絶対前に出ないで!」

どういう理屈かは分からないが、高専の結界をくぐり抜け、疲弊していたとはいえ五条の背後を取れる人間だ。どこまでできるか分からないが、自分が彼女達を死守しなければ。紅花の手に汗が滲む。
その視線は、男を飲み込んだ呪霊に定めたまま、五条等の様子を耳だけで拾う。曰く、<ニットのセーターに安全ピンを通したようなもの>らしく、問題はない。紅花は安堵した。

「天内優先。傑と紅花は天内達と天元様の所へ行ってくれ」
「分かった。油断するなよ」
「誰に言ってんだよ」

五条が六眼をセーブする為のサングラスを外した──彼は本気だ。
呪術界でも最強の術式と名高い無下限呪術、それを100%引き出せる六眼。先程彼が傷を負ったのは、奇襲されたからだ。そのアドバンテージが失われた以上、もう五条には触れられない。この条件下で五条が負ける事などありえないのに、紅花の内には不安ばかりが湧き上がる。

「紅花!理子ちゃん達を安全圏へ!」
「は、はい!」

その腹を斬り裂き、呪霊の血を浴びながら出てきた男。嫌な予感を振り払うように、紅花は頭を振り払った。

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