懐玉・永劫累々


高専結界内に入り彼等の気が緩んでいたあの時は、奇襲するには絶好のタイミングだった。そしてそのタイミングで、男は天内ではなく、敢えて五条を狙った。それは、向こうが五条を最大の障害と捉えている、ということに他ならない。男が相当に戦い慣れていることは、あの身のこなしで分かった。そんな人間が、無策で五条に近づくだろうか。答えは、否──男はおそらく対五条用の秘策を持っている。
紅花の不安はそこにある。

「傑、」
「心配なのは分かる。けど、悟なら平気だよ」

五条が最大の障害となるなら、男が彼を捨ておいて天内を追いかけることはない。こちらはその間に、本当の安全圏に入ってしまえばいいだけだ。高専の最下層──薨星宮へ。

エレベーターで下りて、踊り場に出る。そこまで揃って早足で来ていた、黒井の足が止まった。

「私はここまでです。理子様…どうか、」
「黒井、大好きだよ」

これからもずっと。
涙ながらに別れを惜しむ二人を、離れた位置から見守る。彼女達に血の繋がりはない。その根底は役目に縛られていたかもしれない。けれどしかし、彼女達は確かに家族だった。そこに絆はちゃんと存在している。

──私たちが、取り上げるんだ。
「…………」
「紅花、大丈夫かい」
「大丈夫、私が泣いていい立場じゃない」

「もう大丈夫じゃ、行こう」
「いいの、?」
「ここまで来れば安全とはいえ、長居はしない方がいいじゃろ」

ごもっともだが、気の済むまで別れの時間を確保してあげられない今の状況が恨めしい、と紅花は口を引き結んだ。気丈に振る舞う天内の促すまま、黒井を除いた三人が進む。参道と呼ぶには暗いトンネルを抜けた先に、それは存在する。
高専の地下とは思えない広大な空間、中央には注連縄の巻かれた大樹、それを囲うように長い道が渦を巻いて伸びている。

「ここが天元様の膝元、国内主要結界の基底──薨星宮、本殿」

ここに張られている結界は、高専を守るそれとは別のものだ。ここから先は、夏油と紅花にも入れない。天内は、一人で行かなければならない。

「ここは招かれた者しか入ることはできない。この先は一人でも安全だ、同化まで天元様が守ってくれる──それか引き返して、黒井さんと一緒に家に帰ろう」

天内は一瞬何を言われたか分かっていないようだった。黒井がさらわれた時以上に弱々しい声を洩らした彼女の手を紅花が握り、言う。

「同化するか、しないか…理子ちゃんが選んでいいんだよ」

最初に説明された"護衛"と"抹消"、夜蛾は敢えて"同化"ではなく"抹消"と言ったのだ。あれがあったからこそ、紅花は罪の意識を忘れずに任務にあたっているし、それは夏油も五条も常に頭にある。天内と出会うその前に、その選択肢は既に彼女に与えられていた。
天元様を敵に回しても、一般社会に影響が及ぼうと、なんとかしてみせる。なぜなら彼等は──。

「私達は、最強なんだ」

だから、生きることを望んでもいいのだと、暗にそう言っていた。紅花が天内の手を握る。昨日、向かい合わせで語り合った時のように強く、強く。

「理子ちゃん──放課後に遊びに行こう。遊園地にも行こう。恋だって、しようよ。私も理子ちゃんとしたい事沢山あるよ」
「……私は産まれた時から星漿体とくべつで、私にとっては星漿体とくべつが普通で、皆とは違うって言われ続けて、危ないことは避けてこの日の為に生きてきた」

天内は両親のことを覚えていない。悲しくも、寂しくもない。だからこそ、同化も受け容れていた。離れ離れになって辛くともそれは一瞬のこと、天元様になれば彼女の意思なんてものは消えるのだから。だから、悲しくはない。寂しくもない──どうせ、分からなくなるのだから。

──ずっと、こんな風に思って笑ってたの。
「理子ちゃん、」
「でも、やっぱり…もっと皆と一緒にいたい」

天内は人間だ。その他大勢と同じように、生きる権利がある。答えは出た、夏油が手を差し伸べた。

「帰ろう、理子ちゃん」
「……うん!」
タンッ──!

天内が晴れやかな笑顔で応えたのと、彼女の頭を銃弾が貫いたのはほぼ同時だった。
天内が倒れる様が、夏油と紅花にはひどくスローモーションで見えた。どさり、と少女の身体が地に横たわる。じわじわと広がる赤黒い池に、紅花は一瞬何が起こったのか理解できなかった。

「理子ちゃん?」
「はい、お疲れ。解散解散」

夏油の声も、男の声も遠くに聞こえる。
さっきまで笑っていた天内の瞳には既に光はない。
理子ちゃんが、死んでる。殺された。誰に?あの男だ。同じ人間に14歳の少女は殺されたのだ。

「う"っ──!」

情報を正しく理解したとき、紅花の喉には嘔吐感がせり上がった。それを無理やり戻し、涙が零れるまま、薙刀を手にする。腹の中に渦巻く強い怒り。この時紅花は、初めて人を殺したい程憎いと思った。紅花は男を、伏黒甚爾を睨みつける。
夏油が問う。

「何でお前がここにいる」
「何でって……五条悟は俺が殺した」

そうか、死ね。
冷たく返した夏油が呪霊を出したのと、紅花が地を蹴ったのはほぼ同時だった。

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