ただ誘われるままに頷いただけ


「誕生日から徐々に様子が変になっているとは思っていました…」


いつものように楽しそうに学校に行ったんです。
五条を追うでもなく地べたに項垂れ、嗚咽をもらしながら娘の異変を語る母親を支えながら夏油は耳を傾けた。

夕食時に娘の成長を家族三人で祝った。こんなふうに来年も、その先も祝ってあげられると思っていたのだ。
しかしそんな希望とは裏腹に、紅花は日に日に元気をなくしていった。決定的になったのは五条と夏油が現れる三日前、慌てて家に帰宅した紅花は、靴を脱ぎ捨て二階の自室へと駆け込み、閉じこもった。

お願いだから入らないで──!

両親にきつく言い聞かせて。
その日は結局部屋から出て来ず、次の日になっても学校も休むと言う。そして、相変わらず部屋からは出てこない。閉じこもってから丸一日、部屋からは出てこない上、食事も「いらないごめん」の一点張りに流石に心配になり、母親は無断で部屋の扉を開けた。

そこで見たものに、母親は腰を抜かしかけた。
ベッドの上、ふかふかの掛け布団に血のシミを作りながら自らの手首から肘までを、何度も、何度も噛み切っている娘の姿。血みどろの口元からは鋭い牙が覗き、今も自身の肉を傷付けている。噛み傷からは血が流れ、また布団に新しいシミを作った。だがどんなに血が流れても、どれだけ傷が増えようと、紅花は噛むのをやめない。血が止まったところをもう一度齧る。開ききった瞳孔に凶暴な衝動と恐怖と苦痛が見えた。


「理由は分かりません。人を食べたいだなんてありえないことだとも…こうして隠していて治るものでないことも分かってます…でも大切な一人娘なんです。だからあの子が抗ってるうちは、例え不正解でも、味方でいてあげたかった…守っていてあげたかった…」
「あなた方が娘さんの手によって死んでたかもしれないんですよ」
「子供を守るのは親の務めで、生きがいですから…」


父、母共に覚悟はできていた上での行動だった。
いいご両親だな、と思う。だからこそ娘がこんなことになるなんて気の毒だとも思う。
その時、頭上を渦巻いていた呪力が消えた。


/


助けてやるよ。俺らと一緒に来い──。


ぽろぽろと紅い瞳から涙がこぼれる。
噛み切った腕は痛くて、でも何より人を襲い喰うかもしれないことが一番怖かった。

たすけて。たすけて。たすけて。

差し出された手のひらに手を伸ばす。震えるか弱い手が五条の手のひらにそっと重ねられた。
瞬間、動いた五条が素早く手刀で紅花の意識を落とす。倒れ込む薄い体を片手で抱き抱えて、連れ出す。外に待機していた夏油が手を挙げた。


「彼女が受肉者か?」
「いや、普通の受肉じゃねえ」
「彼女、13歳になったばかりだそうだよ」
「! へぇ、なるほどな」

「傑、コイツ多分"先祖返り"。それも特級相当の」


五条の言葉に、夏油も合点がいったという風に頷いた。
魑魅魍魎の世界では13歳が成人とされる。成人をひとつの節目として今まで眠っていた呪力が吹き出した、そういうことだろう。
昔から"人を喰らう=鬼"というのは共通認識だ。それは両面宿儺と同じように呪術全盛の時代に実在した鬼がいるからであり、以降人々の畏怖から生まれる鬼たちはその最初の鬼のイメージに引っ張られる。その鬼の名前は──


「酒呑童子」


先祖返りというのは六眼で紅花を見ての五条の憶測。何せ今までにないケースだから、他に判断のしょうがない。だが、手持ちの情報からほぼ間違いないだろうと二人は踏んでいた。ならば呪術師の才能がある。少なくとも急に発現した酒呑童子の呪力を完全に持て余している紅花に選択肢はない。


「ご両親に説明してくるよ」
「頼んだ」


こういった相手に気を遣わなければならない説明をするのに自分は向いていないと分かっている五条は、ニヤニヤ笑いで夏油に丸投げた。そんな内心もお見通しな夏油は大きくため息を吐いて、娘の状態を気にかける両親の元へと踵を返した。


/


それから、二ヶ月後──。


「傑!おかえり!」
「ただいま、紅花」


姿を確認するなり駆け寄ってくる少女の頭を任務明けの夏油は優しく撫でる。紅花が走ってきた方では五条が騒いでおり、どうやらまた意地悪をして紅花に逃げられたらしい。


「今度はどうしたんだ?」
「悟が、怖い無理って言ってるのにホラーばっかり見せてくる」
「いや、呪力コントロールの訓練なんだから当然だろ」


心外だ、とふてぶてしい態度の五条に紅花は夏油の背後に隠れてしまった。150センチにも届かない小柄なうえ細い身体は、背の高い夏油の影にすっぽりと隠れられる。


「紅花、続き見るぞ」
「ホラー以外なら」
「ハイハイ、仕方ねぇなー」


だから行くぞ、と片手をポケットに突っ込み手招く五条に、紅花は猫のようにするりと夏油の背から抜けた。

あの任務からニヶ月──助けた少女は同級生として日々を過ごしている。

[title by 溺れる覚悟]

[ TOP ]