鬼の子・弍


「お、やっと起きた」


目を覚ました紅花が最初に見たのは見慣れない屋内と、キラキラと光る美青年だった。
寝起きで気だるい頭を抱えようとしたとき、両手が不自由なことに気付く。紅花の両手首は麻縄で縛られており、その上からお札を貼ってあった。なぜか拘束されている、それを理解したときさあっ、と紅花の顔から血の気がひいた。


「な!え、わた、私…」
人を食べてしまったんだろうか──?
だから捕まったの──?
「あー違う違う。説明してやるから落ち着け」


音にならなかった言葉を余すことなく拾って、五条は端に置いてあった椅子を引き寄せた。背もたれを前にして座り、そこに小さな顔をこてん、とのせる。
「まずは、どこまで覚えてる?」という問いに紅花は記憶を辿った。

じっと見つめてくる空より海より蒼い瞳──そうだ、この人はあの時助けにきてくれた…。


「助けてくれるって…ここ、どこですか?」
「ちゃんと覚えてるんだ。エライじゃん」


ここは、東京都立呪術高等専門学校──通称、呪術高専。
呪いを祓うために呪いを勉強する学校、同時に任務の斡旋もしてる呪術界の本拠地だよ。


「え、ここ東京なんですか!?」
「そ。お前、睡眠も取ってなかったんだろ。あれから二日経ってる」
「二日!?」


話を続けるぞ。結論から言う、お前は"先祖返り"だ。
通常、呪霊や呪物を取り込んで、器である人間の意識を乗っ取って身体を得るのを受肉──でも完全に乗っ取られる受肉、これは最悪の場合。器となる人間の精神力とか耐性とか呪霊の強さとか…まあそんな理由で、意識までは乗っ取られない場合ももちろんある。ここまでいいな。
んで、ここからがお前の話。普通、呪霊の器になったらあの手この手で乗っ取ってこようとすんだけど──お前にはそれがない。受肉のリスクを抱えない器ってとこか。
じゃあ今度はお前を豹変させたものの正体だけど、『特級仮想怨霊・酒呑童子』。大昔に実在した最初の鬼だよ、言うまでもなく大物なのは察しろ。
後天的に呪霊を取り込んで器となるのはよくある話だけど──お前は違う。先天的な器、受肉のリスクもない、その上で酒呑童子の呪力を100%ついでる。だから"先祖返り"──お前は現代に生きる呪いって言っても過言じゃない。
その人を喰いたいって衝動は、酒呑童子の呪力に当てられたせいだ。

五条はそこで区切る。紅花は分からないなりに与えられる情報を自分の中に落としていった。


「質問ある?」
「…確かに、昔から人に見えないものが見えます。それが呪霊なんでしょう。でも、今まで人を食べたいなんて思ったことはないです!私は…鬼になってしまったんですか…?」
「見る奴によってはお前は最初から、鬼だよ」


容赦のない真実が紅花の心を抉る。
俯いてしまった紅花に五条は傑も呼べば良かった、と少し後悔した。かと言って変に濁しても彼女自身のためにならないのだ。泣かれたら面倒だなとは思いつつも説明を続ける。

諸説あるけど、魑魅魍魎の間では13歳が成人ってのはよく言われる話だ。そこを節目に酒呑童子の呪力が噴き出した。人を喰いたいって衝動は、呪力にこびりついた本能みたいなもんで、いきなり噴き出した大きすぎる呪力の制御も知らないまま、その呪力に当てられた結果だ。乗っ取られたわけじゃない、さっき言ったがお前にそのリスクはねえよ。ちなみに今は、その手首の拘束でお前の呪力を抑えてる。じゃねえと最初のときみたく飢えで話どころじゃねえからな。


「お前を悩ませてるその食欲は、呪力をコントロールできるようになればなくなるよ」
「え!?」
「基礎も基礎だから感覚掴めばすぐできる。難しいもんじゃねーよ」


対処法がある。紅花の表情に光がさした。
ニヒルな笑みを浮かべた五条が続ける。


「言ったろ、助けてやるって」
「は、い」
「まあぶっちゃけ、お前に選択肢はないんだけどな。酒呑童子の先祖返りなんて野放しにできねーし」
「え、なんで聞いたんですか」
「術師なんてイカれた仕事、本人のモチベーションが必要不可欠なんだよ。あコレうちの担任の持論ね」


だから、私本人にその手を取らせたと。
紅花は見た目の美しさとは裏腹にちょっと意地の悪い人だなぁ、と困惑した。いや、きっと黙って連れてくることもできたのだ、むしろ優しさか。
どちらだっていい、紅花のこの異変は呪術師になれば改善される。やることは決まった。


/


それからは早かった。両親に連絡し、これからどうするかの報告をした。二人は心配だが呪術師の方達の話を信じる、と言って応援してくれた。学校の方は急な転校ということで処理され、彼氏や友達には手紙を書いた。特に彼氏には一方的に別れを告げるなんて、我ながらひどい仕打ちをしたと思う──だが遠距離恋愛になる上、無知な自分は今のところ人を踏み外している。紅花が出した結論は、自分を忘れてもらうことだった。

襟にラインも何もない真っ黒のセーラー服、スカーフは白、黒タイツを履いて、茶色のローファー。支給された制服に身を包んで紅花は飛び込む──恐怖、嫉妬、怒り、あらゆる"負"が渦巻く呪術の世界に。


「鳥居紅花です。酒呑童子の先祖返りです。よろしくお願いします」


緊張で狭まった視界でも、ニヤニヤ笑う綺麗な蒼はよく見えた。

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