玉折・正義の亡骸を抱いている


思えば、あの星漿体護衛任務から全てが緩やかに変わっていったのだ。だが、この時の私はまだ色々なものが瓦解していく音に気付けないでいる。

「紅花にはキツい任務だっただろう。よくやってくれた」

二度寝してからまた夜を越し、再び登校したとき、夜蛾先生にそう言われた。嬉しいはずの労りの言葉なのに、もやっとしたものが胸中に広がる。理子ちゃん達を守れなかったのに、よくやったも何もない──そんな卑屈な事を考えた。

「星漿体の任務の件は聞き及んでいます。とりあえず、無事でよかった」
「任務失敗は残念だったけどね」

健人君、無事じゃないよ。あの日確かに私の中の何かは死んだよ。雄君、お願いだから"残念だった"なんて言葉で片付けないで。
それらの本音全てを、心の奥に閉じ込めて、ただ笑った。


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翌年8月、星漿体の一件から一年の月日が流れた。
あの任務から程なくして、五条は特級術師へと昇級した。反転術式を習得したことで彼は別次元の存在へと昇華した。もう誰も彼に、傷一つだって付けることはかなわない。そういう存在に上り詰めた。難しい任務は全て五条に回される、そしてそれは決まって彼の単独──他には手に余る案件、そのどれも五条にとってはそうではない。五条はもう、夏油と紅花と同列ではない。そのせいという訳ではないが、必然的に夏油も紅花も単独で動くことが増えた。
夏油は少し痩せたように思う。本人に聞いても「夏バテだろう、大丈夫だ」としか答えない。この夏は呪霊が多く、呪術師は等級に関わらず皆忙しかった。その疲労も重なったのだろうと、誰もその言葉を疑いもしなかった。
そして最後に紅花。彼女は星漿体の一件から、以前にも増して鍛錬を積むようになった。その様相はまるで何かに追い立てられているようで、酷く危うい。
普段から治療で引っ張りだこである家入も含めて、彼等には以前のように全員で過ごす穏やかな時間はほとんど無くなっていた。

しかし、天内が死んでも日常が変わらなかったように、周りが変わろうと呪術師のやる事は変わらない。そう在るべき、と言い聞かせて紅花は以前のように、戦い祓うことを繰り返す。誰のために、何のために、"そう在るべき"か──あの日から紅花は分からないままだ。
大抵のことは時間が解決してくれると、誰かが云った。的を射ていると思う。事実、紅花の中で天内達の死は過去として消化されている。だが唯一つ、あの日紅花を嘲笑った甚爾がかけた呪い、それだけは未だ過去に出来ずにいる。

── 恨むなら弱い自分を恨むんだな。
──うるさい。

──この結果はお前等の弱さが招いたもんだ。
──うるさい!うるさい!うるさい!

「うるさい!」

夜蛾製の呪骸を怒りに任せて叩き斬る。核を破壊され、動きを停止した絶妙な可愛さのそれを、紅花は申し訳ない思いで拾い上げた。
またやってしまった。数にして三体目である。そろそろ貸し出してくれなくなるかもしれない。ため息を吐いて、見るも無惨な姿になったふかふかのぬいぐるみを撫でた。

「どうしてもと言うから特別に貸し出してるんだぞ」
「すみません、」
「何体壊せば気が済む」
「すみません、」

素直に謝りに行けば、やはりお小言を頂戴した。だが元はと言えば性懲りもなく壊す自分が悪いので、紅花は平謝りするしかない。はぁ、と深いため息を一度吐いた夜蛾が、より真剣味を帯びた声音で言う。

「熱心なのは構わないが、最近オーバーワーク気味だぞ。正直、目に余る」
「…はい、」
「休むときは休め。焦ってもすぐに強くはなれん」
「…はい、」

ここ最近の紅花は夜蛾に苦言を呈されるのも頷けるほどに酷かった。紅花は任務と座学以外の時間はほぼ鍛錬に当てていた。それだけならば問題ではないのだ、苦言を呈すに至った理由はその内容だ。彼女のそれは鍛錬とは名ばかりの、ただただ自分を虐め追い込むものだった。
あの日からどんどん強くなる五条と、最近特級に昇級が決まった夏油。紅花も着実に強くなっているはずなのに、その背は近付くどころかどんどん遠ざかっている気さえしてくる。

強くならなければ──何故?
守るために──何を?
呪術師として、非術師を──本当に?

あの日から非術師のために戦ったことなんてないのに?

そんな自問自答を繰り返して、強い虚無感に苛まれたあとは、決まって頭の隅で甚爾が嗤うのだ。これもお前の弱さが招いた結果だ、と。

夜蛾は、もうこれ以上この件で話す気はないらしい。この様子では今日はもう貸し出しはしてもらえそうにない。たった今注意されたばかりだというのに、全然懲りていない紅花はもう自分ではどうしようもないほどに、強さに取り憑かれていた。

[title by ユリ柩]

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