飛び方を知らない


その日、五条と夏油が激しい組手を繰り広げるのを家入と少し離れたところに座りながら観戦していた。その間紅花は呪力コントロールの訓練も兼ねており、夜蛾製の呪骸を膝の上に抱きかかえていた。

「紅花ほら、」
「え?ひっ──あいたっ!」

隙を見て、五条が何かを投げてよこす。それはやたらリアルなムカデの玩具で、一見すると本物にしか見えないそれを何か理解した瞬間に、紅花は飛び上がる。その時に呪力コントロールを乱したらしく、ポカッと下からぬいぐるみに殴られた。微妙な可愛さの夜蛾製呪骸、もうこれに何度殴られたか覚えていない。
呪骸を使った呪力コントロール訓練を初めて二ヶ月、訓練の成果は着実に出ており、紅花は平時にコントロールを乱すことはなくなっていた。そのため、五条は時々こうして面白半分に紅花が気を抜いたタイミングで驚かせてくるのだ。

「五条サイテー」
「しょうこぉぉ…」
「はいはい、ビビったね」

家入が紅花を手招き、隣に座らせて慰める。五条に非難も忘れないが、そこは五条悟、絶対気にしていない。案の定紅花の反応を面白がっている五条に、夏油は呆れながらも攻撃のてを緩めることはない。

「傑がんばれ!」
「ありがとう紅花」
「は、何それ当てつけ?覚えとけよ」
「いや理不尽!今!私に!何したか思い出して!」

せめてもの当てつけにと、夏油に声援を送ればこの始末。
つまり何が言いたいかと言うと、一人年下の紅花は浮くこともなく、同年代より一足先にそれなりに充実した高校生活を送っていた。

/

「任務…ですか?」
「あぁ。見たところ呪力も大分安定してきてる。傑と悟について行って一度どんなものか見てこい」


先程の夏油対五条、今回夏油に白旗が上がり、紅花はそれはもう喜んだのだが、それも束の間、選手交代し「俺が見てやるよ、」と紅花の首根っこを掴みズルズルと広い場所に引きずりだしてくる五条に紅花はそれはもう全力で抵抗した。だがしかしかたやもうすぐ190センチになろうかという男と、かたやまだまだ伸び盛りではあるが最近やっと150センチを越した少女だ。紅花の抵抗などいかほども効いてない。

──絶対さっきの当てつけの仕返しだ!だって顔がニヤニヤ笑ってる!

「傑がいい!」「あ"?いっちょ前に人選んでんなよ」そんな問答を繰り返しているとき、三人まとめて夜蛾から呼ばれ任務を言い渡されたのだ。五条は仕返しできなかったことに舌打ちしていたが、紅花にとってはラッキーである。

呪いを以て呪いとどのように戦うのか。見るだけでも学べることは多い。何より戦うイメージが沸けばそれだけ必要なものも見えてくる。
夜蛾曰く、紅花同行の理由はそういうことらしい。

「それともう一つ課題だ──鳥居、なぜお前は呪術師になるのか。
この答えを、呪力が完璧に制御できるようになるまでに見つけろ」


/


普段から二人の術式のことは聞いていた。無下限呪術と呪霊操術──高専敷地内で出すのを控えるように言われている夏油の呪霊操術は実際を見るのは初めてだが、五条の無下限呪術は割と日常的に目にしていた。その仕組みは難しすぎて紅花にはイマイチ理解しきれてないけれども。だかー、どちらもとても珍しく強力な力だと、朧気には理解していた。
だが実際目の当たりにすると、こうも一方的なものなのかと思わずにはいられない。

「すごい…」

あっという間に祓われてしまった呪霊を見下ろして、思わず呟いた。
無下限呪術と呪霊操術、どちらも強力な術式だが決してそれだけではなく、それを支える判断力と勘のよさ──つまり経験の差。

「紅花、蠅頭そっちに行ったよ」
「は、はい!」

夏油が祓いやすいタイミングでわざと討ちもらした蠅頭を二体、紅花の薙刀が祓う。
五条の六眼で見たところ、紅花の術式は呪力を核として炸裂させる、つまり呪力を爆弾にして爆発を生む、といったものらしいがまだ紅花には扱えない。今の紅花にできるのは、武器に呪力を込めることだけだ。
足りない──経験が、知識が、技術が、何もかもが紅花には足りない。

──お前はなぜ呪術師になる?
──呪力をコントロールして、"鬼"ではなく"人間"として生きたい。なら、それが叶ったら?自分は何を思い、呪いに立ち向かうのだろう。

志すら、紅花には足りていない。

滞りなく任務は完了し、補助監督が運転する帰りの車の中で、紅花は考え込んでいた。それはもう少し陰気臭いくらいには。ちなみに陰気臭いというのは五条と夏油から見た紅花の様子であって、本人は決して落ち込んでいる訳ではなく、単純に夜蛾に問われた答えと今日学んだことについて考えていただけである。

「……」
「紅花、大丈夫か?疲れた?」
「アレで疲れるとかねーだろ。あ、ちょっとコンビニ寄ってくんね?」
「疲れてはないよ!ありがとう傑」

助手席に座る五条の希望通り、車はコンビニに入る。駐車するなり、一人さっさと下りていく五条。

「私もおりるけど、紅花は何かいるかい?」
「ううん、大丈夫」

そうか、と微笑み隣の夏油も車を下りた。
補助監督も下りたため一人になり、紅花は夕暮れに差し掛かってきた空を車窓を通してぼうっと見つめた。

──とりあえず、夜蛾先生に言われた期限まではまだある。あの課題の答えは今は保留にしよう。

目を閉じる。身の危険はなかったとはいえ初任務に緊張していたのか、考えるのをやめた途端、急な眠気が紅花を襲った。着いたら起こしてくれるだろう、少し眠ろうか、と扉側に凭れて寝る体勢を取ったとき、冷たいものが首筋に触れた。

「──冷たっ!?」
「何寝てんだよ」

微睡みかけていた意識を冷気で強引に引き戻され、飛び上がりながら首筋を抑えた紅花の前、助手席に座る五条が座席越しに振り向いて棒アイスの袋を揺らしている。どうやらあれを当てられたらしい。夏油も五条と戻ってきたらしく、紅花の隣でペットボトルの蓋を開けながらクスクスと笑っている。

──人が寝ようとしてるのに、この人ときたら…!

何するんだ、と五条に文句のひとつでも言ってやろうとしたとき。

「当たりが出たからやるよ」
「…あ、りがとう…」

アイスを手渡された。当たりが出たからと言うけれど、五条はまだアイスを食べている。つまり棒に書いてある当たりなんてまだ分かるわけが無いのだ。それが意味するところは、紅花の分も買ってくれたのだろう。
何か言うのも野暮だろう。紅花はソーダ味のそれを齧る。うん、美味しい。

「悟、ありがとう」
「いつまでも陰気くせー顔してんじゃねーよ」

落ち込んでた訳じゃなく考え事してただけなんだけどな、なんて言ったら何を言われるか。このアイスは五条なりに元気付けようとしてくれた証だ。紅花にはその気持ちが嬉しい。
溶ける前にと、爽やかなソーダ味のアイスを齧る。食べ終わったあとの棒を見て、紅花が呟いた。


「あ、アタリ出た」
「はぁ!?」

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