玉折・つまりは、顛末


夏油を殺すことも追うことも、否定することもできなかった五条は高専へと戻った。
五条は知った。例え"最強"であっても、この国の人間を皆殺しにできても、全てを守れる訳ではないと。五条悟は、"最強"であっても"全能"では無い。
夜蛾が去った後の階段に座り、俯いた五条の視界に、小さなローファーが写った。顔を上げずともそれが誰かなんて分かる。家入の足はここまで小さくはない。
ひとりの朝から待ち望んだ声が、ようやく五条の耳朶を震わせた。

「悟、」
「よぉ、朝起きたらいないとか、お前ソッチは結構ドライなんだな」
「逃げられても仕方ないことしといてそれ言う?」
「……ごめん」

落ち込んでいるのを隠すのも含め、冗談めかして言えば、返ってきた紅花鋭い切り返しに五条は謝るしかなかった。
少しの静寂の後、五条が意を決して切り出した。

「お前、良かったの?」
「傑と一緒に行かなくて?」
「……」
「良いんだよ。これでいいの」


/


夏油からのメールを見てすぐ、紅花は彼の待つ中学校へと向かった。深夜のため電車は動いていない、タクシーを使って県を跨いだ。行き先を告げたときの、運転手のぎょっとした表情に少し申し訳なくなったのは余談だ。
時間帯的にも交通量は少ない。高速を使い明け方にはそこへ着くことができた。二年前に任務で訪れた時と変わらないその場所を、紅花は懐かしく感じた。
とはいえ、いつまでも懐かしんでいる訳にはいかない。紅花は此処に夏油と話をしに来たのだから。彼が敷地内のどこにいるか、なんて愚問だ。夏油が紅花を待つとしたらそこ以外には有り得ない。
立派な記念樹──丁度、少女の亡骸を埋めたそこで夏油は待っていた。

「傑」
「や、悪いねこんな所に呼び出して…」
「ううん、懐かしいね。ここ」
「そうだろ?単刀直入に言うよ──紅花、私と一緒に来ないか?」

驚きはしない。予想はついていた。
「あの日、と逆だね」紅花が切なそうに笑った。彼女の言う"あの日"が、ここで呪術師になった日を指していることは、夏油には分かっていた。

「一つだけ、聞かせて」
「何かな?」
「あの日、私に教えてくれた事は嘘だった?」

──呪いに近い私が、呪いから人を護りたいって思うの変かな?
──そんなことないさ。呪術師は人を護るものだ──呪術と呪術師は非術師の為にある。

「嘘ではなかったよ…嘘になってしまっただけで」
「そっか…傑、私はそっちには行かない」

数秒目を閉じ、再び開けたとき、紅花の瞳にはもう、彼女が嘆いた弱さはなかった。以前の彼女ように、強く清廉な紅。

「私と君は同じだと思ったんだけど、」
「違うよ、全然違う。だから行かない」

紅花は今も非術師を恨めしいと思う。だが、夏油が両親をも手にかけたと聞いた時、彼女の中で疑問が湧いたのだ。彼と同じ決断を下せば、紅花は苦悩せず生きられるだろう。それはきっと最も楽な道だ。だが、紅花に夏油と同じだけの覚悟があるのだろうか。両親を、非術師の友達を、呪う覚悟が。五条を家入を夜蛾を…仲間と呪い合う覚悟が。

「私に、大好きな人達を呪う覚悟はないよ」

「私が憎いのは…私達を傷つける非術師だけだから。都合いいでしょ、笑ってくれていいよ」

夏油は笑わなかった。
紅花が選んだのは茨の道だ。また同じことが起こるかもしれない地獄を、あえて彼女は選んだ。紅花は夏油ほどの覚悟はないと言うが、夏油からしてみれば彼女のそれもまた覚悟だ。

「私はこの矛盾の中で生きる──私は呪術師だから」
── 紅花は、呪いかもしれないけど呪術師だろう?

夏油の心に、あの日紅花にあげた言葉が響いた。夏油の心は驚くほどに穏やかだった。

「そうか、」

交渉は決裂だ。親友の五条に何を言われても夏油に曲がる気はないように、夏油に何を言われても紅花は曲がらない。
フラれたと言うのに晴れやかな顔の夏油が、紅花に歩み寄り、一つのジュエリーケースを差し出した。

「これは返すよ」

それは紅花達が夏油に送ったピアスだった。スモーキークォーツ、その黒に「不屈の精神」と「責任感」という意味を持つ石。
離反した時、夏油はこれを捨てようと思ったのだ。彼女がピッタリだと言ったこれはもう自分には相応しくないと。だが気が変わった。これは、彼女こそが持つに相応しいものだ。
ジュエリーケースを手に取り、少し力を込めて握った紅花が、夏油を見上げて最後に告げる。

「傑、あの日の傑の言葉は嘘にしないよ」

誰がなんと言おうと、あの日々に嘘はなかった。五条の親友で、紅花の憧れで、家入がクズだと言った、夏油傑は嘘ではない。夏油がそれを捨てようと、紅花は絶対に捨てない。紅花は夏油に教えてもらったものを抱えて生きていく。そうすれば、彼らの友人だった夏油傑は嘘にはならない。

「き、みは…本当にいつも想像を超えてくるね」

短い言葉でも伝わった真意。それは夏油が想像していたよりも深く、気高く、彼女の中にあったのだ。

「いつか傑が目指した呪術師になって、傑を殺しに行くよ」

こんなに嬉しい殺人予告を、夏油は今生で二度と聞くことはないだろう。

[title by 失青]

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