花を持つ手で呼んでほしい


大人達はよく言う。<歳をとると時間が経つのが早いわ>と。確かに、と思う。今年20歳を迎える五条はともかく、紅花はまだ大人になりきれていないが、鍛錬、任務と多忙な日々の中で、昔大人が言ったそれを実感せずにはいられない。

「紅花〜、ちょっと一緒に来てくれない?」
「いいけど、何処に?」
「将来有望な子供の勧誘」

語尾に音符でもつきそうな声音だった。
呪術界の繁忙期も落ち着いてきた頃、一人称"僕"と他人を威圧しない口調がすっかり定着した五条に紅花は連れ出された。疑問形で聞いてきた癖に、既に引かれている手にももう慣れた。五条は無駄のない人間だ。こうして訊ねてはくるが、紅花に任務が入ってないのを既に確認済みである。
高専5年生のこの時期、最高学年ということで彼等は下される任務以外は進路へと時間を当てられていた。といってもこの業界、選択肢は少ないので普通の受験生ほど慌ただしくはない。一に呪術師としてやっていくか、二に補助監督としてサポートに回るか、三に呪術師を辞めるか──といった具合だ。もっと細かく言えば、呪術師として高専に所属する傍らで夜蛾のように教鞭をとる、という選択肢もある。五条の進路は言わずもがなこれである。そして紅花も、教職には進まないが高専所属で呪術師として残ることがもう決定しているため、進路のための5年生などあって無いような期間だ。閑話休題。
要するに、進路が既に決まっている人間からしてみれば、任務さえ入っていなければ割と暇な時期なのである。加えて今は繁忙期も過ぎはじめた頃、時期としては落ち着いている。特に出かけることを断る理由はない。
しかし"将来有望な子どもの勧誘"とは?車の後部座席に押し込められながら、今度は紅花が五条に訊ねた。

「子供ってどこの子供?まさか誘拐でもするつもりじゃ…」
「お前、僕のことそんなふうに見てたの。ショックなんだけど」
「冗談だって」

はっとした表情で手のひらを口元に添え、唇を戦慄かせた紅花に、五条はすかさずキレのいいツッコミを入れる。その次には面白そうにクスクスと笑う紅花に「お前ほんっと、いい性格になったよね」とごちた。五条悟にこんな軽口を叩けるのは同期である家入と恩師である夜蛾と、紅花くらいのものだ。

「でも本当にどこの子供?」
「天内を殺した術師殺しの息子」
「………今、何て?」

五条に聞き返した声は低かった。ピリついた空気が狭い車内に走る。今回、駅までの運転を買って出てくれた補助監督が緊張感に喉を鳴らしたのが聞こえたが、生憎今の紅花にそれを気遣う余裕はない。
ただ勘違いすること勿れ。紅花はあくまで事前に何も言わなかった五条に対して怒っているのであって、甚爾の息子に対してではない。過去は過去として消化した。更に言えば子供には何の罪もない。

「何でそんな大事なこと事前に…あぁもう……それで、あの術師殺しの子供を何で?家を出たとはいえ禪院家?の子なんだよね。ちょっかいかけて大丈夫?」

呪術界の名門、御三家は互いに不可侵。これはもう暗黙の了解のようなものだ。それどころか、禪院家と五条家に至っては過去の出来事から確執すら抱えている。いくら出家した人間の倅だからといって、同じ御三家の一角である五条が接触するのを良しとするだろうか。

「こっちはその保護者から好きにしろって言われてんだよね。しかも相伝を継いでる。禪院家に取られる前にこっちに引き込みたい」

そ…れは、確実に揉める奴では?思ったが言わないでおいた。
しかし、成程大体読めてきたと紅花は口元に指を当てる。トントンと一定のリズムを刻みながら、紅花は思案した。五条の目標とする呪術界のクリーニング、彼曰く"強く聡い味方"にその子供を加える気なのだろう。そこに関しては何も言うつもりは無い。その子供にとっても禪院に引き取られるよりは、五条の方が良いだろうから。
ただ、一つもの申させてもらうとすれば──。

「実の子供を売買するなんて、信じられないあのゴリラ…毒親、クソ親、」
「お前ほんとアイツのこと嫌いだよね」

当然である。甚爾は、紅花の目の前で天内を殺した張本人であり、彼女に言葉の呪いをかけた張本人でもある。過去になった今でこそ、甚爾を憎んだりはしてはいないが、正直今も嫌いだ。もし生きて目の前に立たれたら、挨拶の代わりに攻撃するくらいには。
誰にでも分け隔てなく優しい紅花には珍しい暴言の数々に、五条は「伏黒甚爾ざまぁ、」と内心で嘲笑った。


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埼玉県の某所──お世辞にもいい住まいとは言えない古めかしいアパートの一室に、その子供達は二人きりで住んでいた。

「伏黒恵くんだよね」
「アンタ誰?…ていうか、何その顔」
「いや、ソックリだなと」

黒のランドセルを背負うまだ細く小さな背。振り返ったツンツン頭の少年の甚爾によく似た面立ちに、紅花は内心かなり驚いていた。
同じく五条も苦い思い出が蘇ったらしい。自慢の美貌が台無しになるような苦々しい表情をしている。気持ちは紅花とて非常によく分かるが、分かるだけであって初対面の子供にそれは無い。
五条は軽薄な態度を崩さず、恵に語って聞かせる。

「禪院家は術式さいのう大好き。術式を自覚するのが大体4〜6歳、売買のタイミングとしてはベターだよね。恵くんはさ、君のお父さんが禪院家に対してとっておいた、最高のカードだったんだよ」

そこまで黙って成り行きを見守っていた紅花がぎょっとして、わきわきと握られる五条の手をはたいた。

「いた!も〜何すんのさ」
「小学生相手になんて事言うの!いくらなんでももうちょっと言い方考えてよ!」
「はぁ、事実は変わんないんだからどう言おうが一緒でしょ」

実の父親に金と引き換えに売られたなんて、小学生に聞かせる内容ではない。「だからって…!」と食い下がる紅花を幼い声が止めた。

「別にいい。アイツが何処で何してようと興味無い。何年も会ってないから顔も覚えてない」

義姉の母親も帰って来てないという事から、子供売って得た金で子供を捨て駆け落ちしたのだと、何ともえげつない推測を立てる目の前の子供に、紅花は呆気に取られて口をはくはくと動かすしか出来なかった。
恵に傷ついた様子はないが、だから良いということではないのだ。そもそも小学生にこんなこと言わせる時点で大問題だ。本当にあの男ありえない!紅花はまた一つ、甚爾を嫌いになった。


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