心されよ鬼の門


──鳥居紅花とは戦ってはだめだ。

開戦前、夏油様はそう言った。
その時はその意味が理解できなかったけれど、今ならわかる。

「あなた達、この間来ていた子ね」

仲間である菅田真奈美を引き摺って現れた鳥居紅花から立ち上る禍々しい呪力と鋭く細められた紅い瞳に、身体がすくんだ。
知らない、知らない!誰よこの女。高専に宣戦布告に行った時とまるで別人じゃない!

「で?お嬢さん達はどうする?戦う?」


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四方八方で蠢いている呪霊に呪爆を飛ばし、同時に爆破させる。紫やら緑の体液を撒き散らしながら粉々に吹き飛んだ呪霊に眉ひとつ動かさず、次の敵へと向かう。
走る紅花の前に、女が立ちはだかった。

「……傑の仲間、呪詛師ですね」

表情ひとつ変えぬ紅花が、静かに問う。
女、菅田真奈美は「そういうあなたは呪霊でしょ」と嘲るように吐き捨てた。

「呪霊ではありません、呪術師です」
「あ、そう。どっちでもいいのそんなことは。どっちにしたって私、あなたの事気に入らないし」
「初対面の人に嫌われるようなことした覚えはありませんけど」

全く心外である。呑気に言葉を交わしつつも、その体は戦闘態勢を取っていた。

「非術師のために戦うってだけでも気に入らないのに、そこに夏油様の名前を持ち出してくるなんて許せない」
「あなたには関係ないでしょ」
「あるわよ。夏油様は私たちの家族だもの」

菅田は、夏油本人が捨てた"彼"を未だに紅花が大切に抱えている事が許せないらしい。
背後から飛びかかってきた呪霊を、紅花は斬り捨てる。その時も視線は菅田から外さない。一呼吸置いて、紅花は口を開いた。

「やっぱりあなたには関係ないわ」

「私達が一緒に過ごした傑は私達だけの傑よ」

「私は、傑が置いていった傑を嘘にしたくないだけよ」

過去に囚われている訳ではない。決別したあの時、夏油が"嘘ではない"と言ったから紅花はそれを守っているだけだ。
人が歪むのには理由がある。夏油がああなってしまったことにもまた理由がある。夏油が辿った道は、誰にでも起こりうる出来事だ。

──一歩間違えば、それは私だった。

呪詛師・夏油の事を紅花は知らない。
だが、呪術師だった夏油の事を菅田は知らないだろう。

「元カノに牽制する今カノみたいですよ。みっともないからやめた方がいい」
「はぁ?」

挑発的な紅花の言葉に、菅田の額には青筋が浮かんだ。

「傑、10年で女の趣味悪くなったんじゃない」
「上等だよ、小娘が」
年増オバサンは引っ込んでて下さい」


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この作戦において、最大の脅威である五条悟にはミゲルを当てているため、紅花を足止めできる人間がいない。故にもし会敵したら逃げるか、ヒットアンドアウェイで時間を稼ぐこと、というのが夏油の指示だった。当然菅田もそのつもりであった──がしかし。
呪爆を避けた先、そちらに躱すことを見越して距離を詰めていた紅花に腹を蹴られる。腹にくい込む痛みに、菅田の口からは呻き声が漏れた。固いコンクリートに叩きつけられ、転がる。上半身だけ起き上がった菅田が、ゲホゲホと咳き込んだ。

「っ、化け物」
「よく言われます」

実力差がありすぎる。ヒットアンドアウェイに徹するどころかやられっぱなしだ。菅田は苦虫を噛み潰したような表情で、紅花を睨んだ。
対する紅花には傷一つなく、余裕の表情だ。

「悪いけど、憂太のところに行かないといけないから」

「急がせてもらいます」紅花が印を組む。
まず、周囲の温度が上がった。次にぬるりと周囲に広がる呪力に、菅田はまずいと思うが時すでに遅し、紅花の世界は完成された。

「<領域展開・ 羅生爆鎖らじょうばくさ>」

音のない白い空間に、黒い羅生門とそこかしこに立ち上る黒炎。あたかも、水墨画の中に入り込んだように思わせるその領域に、菅田はしまったと思った。
呪術戦の極致、領域展開。紅花の<羅生爆鎖>、その効果は触れたものを爆弾にする<呪爆・零式>を領域内にいる人間に与え続けることが出来る。五条同様に引き入れた時点で勝ちが確定する領域である。
当然、菅田にこれを破る力はない。

「爆」

音のない領域に響く静謐な声音と同時に、凄まじい音を立てて菅田の身体が爆ぜた。


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「で?お嬢さん達はどうする?戦う?」

伊地知を庇うように双子の間に割って入った紅花が、菅田を双子の元へと放り投げ、無表情に問うた。美々子、菜々子は目の前の女が放つ特級の呪力に身を竦ませ、思わず生唾を飲んだ。
固いコンクリートに叩きつけられた菅田の動かない身体を見やる。菅田は正直気に食わないが、夏油の言いつけを破るような人間ではない。にも関わらずここまで痛めつけられているということは、逃げる隙すら与えてくれなかったということだ。菅田でこれならば、碌に実戦を経験したことの無い自分たちには荷が重すぎる。ボロボロの菅田に、自分達の行く末を見た双子は、背筋に冷たいものを感じた。
と、丁度そこに五条に吹っ飛ばされたミゲルが突っ込んでくる。

「はぁ!?ミゲル!アンタ何やってんの!?」

彼はもっと遠くで五条悟の足止めに当たっていたはずだ。

「見テ分カレ!」
「しぶといな」

焦りも何もない、テノール。
術式を使い背後をとった五条に、ミゲルが攻撃するも涼しい顔で防がれる。ビルの隙間から現れた大型の呪霊を、術式反転<赫>でいとも容易く消し飛ばすその光景に、双子は紅花に感じたよりも大きな恐怖に身体を強ばらせた。

「何怯えてるの。こんなこと分かってた事でしょう?」

咎めるような紅花の声。

「まさか、殺される覚悟もなしに戦場に出てきたなんて言わないよね」
「はぁ?殺される覚悟なんかする訳ないじゃん。夏油様が勝つんだから!」
「じゃあ聞くけど、今傑はあなた達を助けに来てくれるの?」

双子の動きが止まった。夏油は今高専にいる。ここで双子が命の危機に瀕したとしても絶対に間に合う事はない。
戦場に出るのなら人を殺す覚悟をしなければならない。そして同時に、殺される覚悟も。

「そんな事も分からない子供が来ていい場所じゃない」
「説教とかウザいんですけど」
「吊るす、」

「……分からないならもういいよ」

双子が泣こうが喚こうが、紅花には止めてやるつもりは無い。その命を背負う覚悟はもうとっくにできている。


[title by ユリ柩]

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