不死の花たむけ


程なくして敵の呪詛師達が引いた。
どういう理由で引いたのかは不明だが、彼等は放たれた数多の異形に紛れて全員逃げおおせた。恐らく元々その手筈だったのだろう。京都の方も同様だと、連絡が入った。

引いたということは傑の作戦が失敗したのだろうか。真希は、棘は、パンダは、憂太は無事だろうか。今すぐに確認しに行きたいが、その前に、私たちにはやることがある。

血の跡と呪力を辿り、人目につかない路地に辿り着く。そこで苦しそうに座り込んでいる、その人の名前をそっと呼んだ。

「傑、」
「まさか、君たちで詰むとはな…家族達は無事かい?」

仰々しかった五条袈裟は見るも無残な布切れに成り下がり、露出した右半身の肩から先は無い。なのに、そんな状態でもあなたは仲間の心配をするんだね。
優しい、優しい人だった──否、今でも傑は優しいんだろう。

「揃いも揃って逃げおおせたよ。京都の方もお前の指示だな」
「まぁね。私は君と違って優しいんだ。あの二人を私にやられる前提で乙骨の起爆剤として送り込んだな」
「! 悟、」
「お前、紅花の前で言うなよ…」

なんて危険なことを!一歩間違えば全員死んでたかもしれないのに!思わず非難の視線を悟に送る。悟は、ごめんの意を込めて、私の肩を撫でた。

「でも、信用したから送った。お前のような主義の人間は、若い術師を訳もなく殺さないと」
「信用か、まだ私にそんなものを残していたのか」
「当たり前でしょ、」

「なんで自分は違うみたいに言うの」

脳裏に、四人で笑い合った日々が駆け巡った。
全てが過去だと思っているのは傑だけだ。今でも傑は、悟にとってはたった一人の親友、そして紅花にとっては憧れの呪術師だ。
その時が来ても絶対泣かない、と決めていたのに現実はそうもいかない。泣くな、泣くな、と思う心に反比例して視界は歪んでいった。「ねぇ、傑、」少々詰まった声で、ずっと聞きたかった事を訊ねる。

「約束、覚えてる?」
──いつか傑が目指した呪術師になって、傑を殺しに行くよ。

ふっ、と傑は血塗れの顔であの頃のように笑った。

「もちろん──会いたかったよ紅花」
「っ、」

ずっとずっとこの日を待っていた。でもね、傑。本当は来なければいいと思っていたんだよ。傑を殺す未来なんて、傑がいない世界なんて、来なければいいのにって。例え敵でもどこかで生きている。いつか立派になった自分を見せるんだと、どれほど力をもらったか。
だから、会いたかったなんて言わないで欲しい。

「ねぇ、もし、私が一緒に「だめだよ」

もし私が傑と一緒に行ってたら。皆まで言う前に、全てを察した傑に止められる。そしてゆっくりと首を横に振った。

「それはだめだ。そんなのは君じゃないよ」

「紅花、私はね、他でもない君が言ってくれたから嬉しかったんだ」

「私と同じ思いを感じて、それを捨てないでいてくれた君だから、嬉しかったんだよ」

我慢していた涙がとうとう溢れた。一度決壊してしまえばもう止まらない。久しくしていない子どものような泣き方だった。「だから、」と傑が続ける。

「もう私を追いかけなくていい」
「ひっく、ぅ、」
「紅花は紅花だ──幸せになってくれ」

泣いて、泣いて、回らない頭で、傑はいつから呪言を使えるようになったのかと馬鹿な事を考えた。<愛ほど歪んだ呪いはない>というのは悟の持論だ。私もそう思う。私たちの場合、親愛だが傑が最後に私にかけたそれも、間違いなく呪いだった。

「そうだ、悟。これ返しといてくれ」

思い出したように、傑がカードのようなものを悟に投げ渡した。それは憂太が「無くした」と言っていた生徒証だ。小学校の一件も傑が関与していたという事実に「呆れた奴だな」とそれをポケットにしまった。

「何か言い残すことはあるか?」
「誰がなんと言おうと、非術師さるどもは嫌いだ。だが、別に高専の連中まで憎かった訳じゃない──ただこの世界では、私は心の底から笑えなかった」

最後の最後でようやく見えたような気がした傑の本音に、ぐ、と唇を噛んだ。
悟が静かに口を開く。

「傑、────」

「は、最期くらい呪いの言葉を吐けよ」
「お前みたいに?」
「そうだよ──あぁ、やっぱりピアスそれは紅花にこそ良く似合う」

本当にこれで最後だ。前を見ろ、約束を守れ。待ってたと言ってくれた傑を裏切ることだけはしない──そんな思いで自分を奮い立たせて顔を上げる。
メイクは涙で崩れてぐちゃぐちゃ、目は腫れているし、充血もしている。だというのに、そんな私を見て眩しそうに目を細めた傑の言葉を最後に、私たちはこの10年の悲劇に幕を下ろしたのである。

終わってしまえばもう我慢などできなかった。
いや、途中から我慢などできてなかったのだが。
たった今私たちの手で終わらせた傑の亡骸を前に、跪いて泣きじゃくる私を背中から悟がすっぽりと抱き締める。
たった今級友の血で汚した手に安心するだなんて、全く馬鹿な話だ。悟の黒い服の袖に顔を埋めながら泣いた。

「紅花、結婚しよう」

ぎゅ、と私を抱きしめる腕の力が強まった。
私はというと、一瞬何を言われているのか理解できなかった。たっぷり数秒使い、何を言われたのか理解したとき、私が最初に思ったのは、何故このタイミングで告げたのかという疑問だった。
級友を殺した血濡れの手で、その亡骸の前で、プロポーズするなんて正気じゃない。イカレている。
だが、私のそんな困惑も悲しみも丸ごと包み込んでくれるのが五条悟という男だ。

「いずれはって思ってたけど止めた」

「傑がお前に呪いをかけたなら、好都合だ」

「僕に叶えさせてよ。傑の呪いを叶えるのも、お前を幸せにするのも、僕がいい」

きっと傑は悟がこう言い出すことも予想して、言葉という呪いを私にかけたのだろう。10年もブランクがあるというのに、最後の最後にそんなチームワークを見せるなんて。
私が殺したのは傑だけではない。今までに沢山の呪詛師を殺した。救えなかった命だって沢山ある。本当なら私にその資格はないというのに、片や呪いをかけ、片やそれをその手で叶えようという。

「ひっどいプロポーズ…」
「嫌だ?」
「…ううん、嬉しい──ありがとう」

最高の置き土産だ──。
腫れぼったい瞼に唇を降らす悟を受け入れながら、笑えている私もきっとイカレているんだろう。


[title by ユリ柩]

[ TOP ]