逢魔が時に逢いましょう
10年に渡る後悔と約束にケリをつけて、高専に戻った五条と紅花を迎えたのは可愛い生徒達だった。全員それぞれ怪我はあるものの、乙骨のおかげで軽傷程度、パンダに至っては核さえ無事なら千切れた腕くらいどうということはない。
無事を喜ぶも、彼らは知らない。乙骨が、夏油を倒すために自らの命を差し出したことを。呪術において最も簡単に能力を底上げする方法、命による"縛り"──である。
対価を払う時間だ。「憂太、」と少し離れて乙骨を呼ぶ里香に彼は「今行くよ」と立ち上がった。それを不審に思い真希が問い出せば、乙骨はバツが悪そうに里香と交わした縛りを口にする。
「お前それ死ぬってことじゃねーか!何考えてんだバカ!」
何と言われようと乙骨に後悔はない。ああしなければ負けていた。あれはあの時乙骨に打てる最善手だった。
その時だった。乙骨の襟首や袖を引く彼等の目の前で里香が朽ち、その中からワンピースに身を包む可憐な少女が現れた。生前の里香だ。
困惑する乙骨に、一連の流れを見守っていた五条が動いた。紅花もその後に続く。
「おめでとう。解呪達成だね」
パチパチと拍手を送りながら五条は言う。
初めて見る五条の素顔に、「誰?」というボケを間に挟み、五条は続けた。
以前、乙骨が立てた仮説に着目し家系調査を行ったこと。結果、乙骨は菅原道真の子孫であったことが分かった。といっても、乙骨は術師の家系ではない。彼はいわゆる隔世遺伝というやつである。
ともあれ、これにより乙骨が立てた仮説が説得力を持ったわけである。
「憂太が正しかった。里香が君に呪いをかけたんじゃない、君が里香に呪いをかけたんだ」
<愛ほど歪んだ呪いはない>──とは全く的を射た言葉だ。乙骨は里香が目の前で轢き潰された幼い日に、自分でも分からぬまま彼女を呪ってしまった。愛するが故に、少年は少女を現世へと縛りつけてしまったのだ。
「呪いをかけた側が主従制約を破棄したんだ。かけられた側が罰を望んでないのであれば、解呪は完了だ──ま、その姿を見れば分かりきったことだよね」
里香は乙骨に罰を望まなかった。
自分のせいだと蹲って泣く乙骨を、里香は細い体で抱きしめた。
「憂太、ありがとう」
乙骨は驚きに目を見開いた。なぜなら自分は恨まれこそすれ、感謝されるようなことはしていない。
「時間もくれて、ずっと側に置いてくれて」
「里香はこの6年が生きてるときより幸せだったよ」
乙骨を抱きしめる腕を解き、涙でぐちゃぐちゃの顔を困ったように覗き込む。
光が里香の体を透かしていった。
「ばいばい、元気でね。あんまり早くこっちに来ちゃダメだよ」
「うん、またね」
光となり、澄み渡った空に上っていく里香を全員で見上げる。哀しくも、幻想的な光景だった。
黙って成り行きを見守っていた紅花の横で五条がしんみりという。
「愛だねぇ」
「やだ、年寄りくさい──でも、そうだね」
空を見上げる紅花の横顔は微笑んでいた。
特級呪詛師・夏油傑による呪術テロ<新宿・京都百鬼夜行>はこうして幕を下ろしたのである。
/
その後のことを少し話そうと思う。
百鬼夜行の後、事後処理に各員奔走し落ち着いた頃に、私達は結婚する旨を近しい人達へと報告した。恩師である夜蛾学長をはじめ、硝子、健人君、歌姫先輩や冥さん、生徒達。驚いたり、心配したり、その時は色んな反応が返ってきたがどれもようやくか、といった感じのニュアンスで、とどのつまり全員喜んでくれた。
次に実家への挨拶。最初は五条家がごねるかと予想されたが、元々五条家は悟のワンマンチームだ、そこまでもめなかったというのが実際のところだ。
もちろん半呪霊の女を家系に加えるなど、という反対意見も出たがそこは当主である五条の決定だ。それを覆せるものはいない。もっと言うなら、私の普段の模範的な呪術師としての在り方も後押しになったとかなってないとか。
そんな前段階を踏んで、私達は翌年の6月頭に式を挙げた。
そして今、私の左手薬指には"永遠の愛"なんて、この世で一番歪んだ呪いがかけられている。
「ん〜んぅ!?」
「おはよ。僕の可愛い奥さん」
昨夜も散々鳴かされたというのに、朝から体をなぞってくる大きな手のひらを掴んで止めた。
「ちょ、ちょっと!どこ触って…!」
「そりゃあ…」
「ん、ゃ!きょ、今日から仙台出張でしょ!?遅れちゃう」
ちゅ、ちゅ、と鎖骨あたりに吸いつく新雪のように柔らかい頭を雑に掴んだ。性欲底なしか、この男!いや、知ってたけども!心なしか、同棲の頃より盛んになっている気がする。
「恵に頼んだから大丈夫」
しれっと返された言葉の意味を理解したとき、私は悟の髪を痛みを感じるほど強く引っ張っていた。
「いだだだだ!」
「宿儺の指よ!?なにかあったらどうするの!」
あんな危ない物の回収を恵一人に押し付けて良いわけがないだろう!
「いいから早く仙台に行って!」
「えぇぇ!僕のコレどうすんの!」
恥ずかしげもなく自らの元気になった性器を指差す悟に、カッと顔の温度が上がるのが分かった。
「最っ低!知らない!というか、これで恵が大怪我でもしてたら、しばらくしないから」
「すぐ行きます」
この時の切り替えの早さと言ったら、もう。
てきぱきと身支度を始める悟にならい、私もベッドを下りた。
身支度を終え、二人揃って家を出る。騒がしい都心を抜けて、郊外へ。東京に珍しく緑が並ぶ山の上、10年間何も変わらない呪術高専の荘厳な門の前で、悟は私の腰を突然抱き寄せた。
ちゅっ、と可愛らしいリップ音を立てて唇が重なり、それはすぐに離された。目隠しの向こう側で海より空より美しい蒼が微笑む。
10年前から何ひとつ変わらない。隠れていたって、それは今も変わらず私の世界を蒼く色付ける。
「紅花、好きだよ」
「私は愛してる」
世界は呪いに満ちている。
今日も私達は、呪い呪われ、祓いながら、
<逢魔が時に逢いましょう・完>