手の鳴る方へ


長編3

先程までの土砂降りの雨は嘘のように止み、今ではすっかり晴れた夜の静けさを携え、屋敷の中は静まり返っている。

「本当に何も手がかりはないのか?」

茂上の妹を捜してほしい。
その依頼を受けることになったはいいものの、流石に情報量が少なすぎる。少しでもきっかけや情報があれば、一先ずどこを目星に捜索すればいいのかぐらいは分かりそうなものだが。
真下が茂上に尋ねると、彼女は少し悩んでから鞄の中から何かを取り出した。

「実は……妹の部屋のなかに、こんなものがあって」

そう言って彼女が取り出したのは、数枚の写真だった。だが、写真といっても何の変哲もない、旅行先で快活な笑顔を見せる茂上の妹の様子が写っているだけである。

「でも、これだけじゃ手がかりになるわけがないって上司からは突っぱねられてしまったんです」
「だろうな。だが、貴様がそれを持ってきたということは……何か心当たりがあるんじゃないのか」
「写真の裏を見てみてください」

写真の裏には、その写真を撮った日付が印刷されているはずだ。八敷が写真の裏をめくると、全ての写真に年こそ違えど「8月15日」の日付が記されていた。

「今日は9月1日です。妹がいなくなったのは、今から半月ほど前のことで……」
「つまり、君の妹は今年の8月15日に旅行に行き、その先で何か事件に巻き込まれたんじゃないか、と」

茂上は頷く。
だが、それにしても彼女の妹が一体どこに向かったのか、八敷には皆目見当もつかない。写真に写っているのは、山、トンネル、湖のほとり、海など。場所はどれもまばらで共通点も一瞥しただけでは分からない。今年の8月15日に彼女の妹がどこに向かったかなど、どうやって分かれと言うのだろう。
すると、真下が「おい」と二人に声をかける。

「茂上、地図を出せ」
「地図……ですか?」
「休職中だろうが警察官なら一枚や二枚持ってるだろう。出せ」

相変わらず有無を言わさない真下に、茂上はあわてて鞄から手帳を取り出して地図を開く。真下はそれを受け取ると、写真と地図を睨むように見比べ始めた。

「……なるほど、少し分かったかもしれんぞ」
「え、そうなんですか!?」
「八敷。貴様も分かるはずだ」

そう言われて、八敷はもう一度写真と地図をまじまじと見る。不思議なことに、どこもそれとなく見覚えがある。しかもまだ記憶に新しいものも少なくない。
真下は二本目の煙草を取り出すと、口にくわえて火をつけながら茂上に尋ねた。

「俺の探偵事務所のなかでも多い依頼……それが何か分かるか?」
「え……やっぱり人探し、とかですか?」
「そうだ。他のところは知らんが、俺の事務所は少々特殊だからな。まあ……あの婆さんのせい、というところも多いが」

珍しく勿体ぶって話す真下は、何かを躊躇っているようだった。そのとき、八敷もやっと真相に辿り着き、ハッと息を呑む。

「貴様のように、警察ではアテにならん捜索の残りカスが俺のところに流れついてくる。つまり、どれだけ探しても見つからない行方不明者というわけだ。どれだけ探しても見つからない理由の一つ……貴様に分かるか?」

茂上は首を横に振る。真下は吸った煙を深く吐くと、より低い声で忌々しげに呟いた。

「自殺者だ。……ここに写ってる場所は、どこも自殺の名所だ」

茂上が目を見開く。思わず手に持っていた鞄がどさりと床に落ちた。

「……じゃあ、妹は自殺を……?」
「……そう結論を急ぐな。貴様の妹が自殺を目論んでいたとしたら、むしろこれらの写真は一体なんなんだ」

茂上は写真に写る妹を見る。どれも笑顔で写りこんでいる彼女は、到底自殺をするようには見えない。いや、そもそも自殺をするのならば、どうして毎年8月15日に自殺の名所で写真など撮る意味があろうか。
目的は、恐らくもっと別にあると考えるのが妥当だろう。

「はっきり言って、貴様の妹は悪趣味だな。自殺の名所に毎年喜んで写真を撮りに行く……常人では考えつかん」
「ま、待ってください!そもそも妹は、自殺の名所だなんて知らずに行ってた可能性だってあるじゃないですか……!」
「だが、それが今考えられる唯一の手がかりだろう。これを否定すれば、貴様の妹の捜索はまた何も分からない振り出しに戻るだけだ」

茂上は唇を噛む。妹が何を考えて自殺の名所巡りなんてしたのか、想像するだけで酷い頭痛がした。
だが、茂上は暫くぎゅっと固く目を閉じて思考を巡らせると、やがて目を開けて深く息を吸う。

「……わかりました。『何も分からず立ち止まるよりは、間違った方向でもいいからとにかく前に進んでみろ』……警察官になったばかりの頃、よく言われましたから」
「…………」
「誰の言葉だ?」

八敷の質問に真下は答えてはくれない。その代わり、茂上が「私たちの先輩の言葉です」と答える。
先輩……そう言えば、真下が前に一度だけ似たような話をしていたことを思い出す。
森のシミ男と対峙したことも、今となっては懐かしい思い出だ。とは言っても、それも今から半年ほど前のことだろうか……時間が経つのは早いようで遅い。

「でも、自殺の名所といってもどこに向かえばいいのか……私には全然わかりません。八敷さんは、何か心当たりがあるんですか?」
「……自殺の名所、か」

写真には、あのT尾山も写っている。少なくとも、茂上の妹が今年向かったのはこの場所ではなさそうだ。ならば、もう少し外れたところにある場所がめぼしいだろう。
すると、真下が持っていたペンを地図のとある一点に突き立てる。

「ここだ」
「……ここは、B山?」

真下が指したのは、東京から外れて千葉の方面にあるB山という山だった。「またどうしてそんなところを」と、思わず八敷も尋ねずにはいられない。

「近頃、依頼で妙な話を聞いたことがある。何でも……黄泉がえりができるといった、あくまで噂にしか過ぎない話だがな」
「黄泉がえり?……真下さん、正気ですか?」

茂上は瞠目する。彼女にとっては、あの真下悟という人間が、そのような非科学的な話を持ち出すとは思えなかったのだ。
だが、彼女がそんなリアクションをするのも無理はない。八敷と真下は、半年前に身をもって怪異と接してきたため、非科学的……つまり霊的な存在を認めていたが、未経験の茂上にとっては到底信じられる話ではないのだから。

「真下さん……セクハラでクビになったからって、スピリチュアルな方面に走ろうとしていませんかあばぶっ」
「貴様、その口二度と聞けなくしてやろうか」

真下の平手が茂上の頭に飛んでくると、屋敷の中に軽快な音が響く。茂上は久しぶりの真下の平手に、思わず懐かしい気持ちで「すみません」と謝った。対して、八敷は茂上を「大丈夫か?」と真面目に心配するものの、真下の「コイツの頭は岩より硬い、心配はいらん」という言葉に一層心配を募らせるばかりだ。
いくら後輩といえど、女性に手を挙げるなんてパワハラやセクハラだと言われても仕方がないのではないか。八敷はそう思ったものの、茂上は気にも留めていないどころか「相変わらずスナップがきいてますね」なんて言うものだから、やはり自分が口を出すことではないのかもしれない。

「貴様の方から頼ってきたんだぞ、茂上。嫌なら金だけ置いてさっさと帰れ」
「それ、どう考えても私が損するばかりじゃないですか……。分かりましたよ、話の続き……聞かせてください」

真下は冗談を言う男ではない。何か根拠があるのか、はたまた本当にスピリチュアルな方面に走りかけているのか。未だどちらにも確信が持てない茂上は、場合によっては真下を今すぐ連れ帰ろうと腹に決めながら彼の話を聞くことにする。
真下が言うには、近頃黄泉がえりというオカルト的な噂が巷で流行っているらしい。なんでも、自殺の名所を9箇所巡ってとある儀礼をすると、死者と話すことができる、とか。B山はその噂の一つであるようだ。
茂上は話を聞いても、やはり納得がいかない。そんな見え透いた嘘を、一体誰が信じると言うのだろう。だが、真下は「それが普通の人間の考え方だ」と茂上を肯定しつつ、話を続ける。

「だが……追い詰められた人間はそうも行かない。何でもいいから藁にもすがる思いで、そんな馬鹿げた噂を信じたりするもんだ」
「でも、妹にそこまでして生き返らせたい人なんて……」

そこまで言って、茂上は言葉に詰まった。どうやら心当たりがあるようだ。「……まさか、」と呟いた彼女の瞳が、恐怖の色で揺れる。

「……とにかく、まずはそのB山に向かってみましょう」

茂上の額にじんわりと汗が滲んでいる。真下が「決まりだな」と言って車の鍵を取り出した。
九条館を出ると、まだ空気が微かに濡れている気配がする。この湿った空気に乗って、何か良からぬ事が起こらなければいいが、と八敷は思わずにはいられない。なぜなら、そのジメッとした空気は……かつてあの人形と対峙したときの空気と、よく似ていたのだから。