Let's pray tag

お昼休みに購買にやって来ると、見慣れた金髪の頭。背が高いからすぐ分かる。奴だ、宮侑だ。その存在が遠目で分かった瞬間、購買に向かっていた筈の足はぴたりと急ブレーキを掛けた。お昼ご飯のパンを買いに来たというのに、私は突如方向転換をして、元来た道を戻る。数分前、『そうだパンでも買いに行こう』と気紛れに思い立った自分を呪いたい。そうまでして、一刻も早くここから離れたいのには、理由があった。

宮侑。稲荷崎高校バレー部の正セッター。その整った容姿は女子の視線を釘付けにし、生意気にファンクラブまで存在するような男である。彼とは学年も一緒で、クラスも一緒で、部活も一緒で。お陰様で、大人気の宮侑様とは平日から休日までほぼずっと共にいるような感覚だ。なのに女子のやっかみや虐めを受けた事が無いのは、彼のファンの質がいいのか、それとも私にも彼にもその気が全く無いことが滲み出ているからなのか。

自慢ではないが、私は彼を一度もかっこいいと思ったことがない。女子たちはなぜこんな男にキャーキャーと騒ぐのか理解に苦しむ。マネージャーとして入部したばかりの頃、初対面で突然『自分、俺のこと好きやろ』なんて言ってきた事は、未だに忘れてはいない。誰がこんな軽そうな男、私の好みなんかじゃない。そうはっきり返してやった時、彼は豆鉄砲を食らったかの様に驚いた顔をしていた。あの顔は今思い出しても少し笑ってしまう。

「名無し!」
「ひっ…!」

私を記憶の彼方から引きずり戻したその声。思わず悲鳴が漏れてしまったのは、その声の主が紛れも無い、宮侑自身だからだ。反射的に走り出した私を、彼は目を光らせながら見つめる。「フッフ、逃さへんで」と呟かれていた事など、私は知る余地も無い。

賑わう廊下、人の間を縫っていくように走り、階段を駆け上がっていく。来る、絶対に来る、早く撒かなきゃ。そう焦る私の腰に伸びた手。後ろからお腹に回ったその筋肉質な腕は、簡単に私を捕らえて動きを封じた。そのまま呆気なく引き寄せられて、私は彼の温もりに包まれる。力強い抱擁には、どんな抵抗もビクともしなかった。

「捕まえた。今日も俺の勝ちや」
「侑!離して!!」
「相変わらず往生際の悪い奴やな。自分鬼ごっこのルール知らんのか」
「あなたと鬼ごっこしてるつもりはこれっぽっちもありません!!」

鬼ごっこ。こんなくだらない遊びがいつから始まったのかと聞かれると、答えは1週間程前に遡る。いつもと同じように部活を終えたみんなは、部室で帰り支度を進めていた。その中で、何故か話題は私のプライベートや恋愛遍歴へと移り、部活がない日は何してんの、とか、彼氏おったことあるんか、とか、色んな事を根掘り葉掘り聞かれた。当然答える義理は無いので、適当に流したり上手く誤魔化したりしてその場をやり過ごしたのだが、それが面白くなかった侑は、いつもの如く、私に突っかかってくるのだった。

「何誤魔化しとんねん。彼氏なんておったことないやろ、正直に答えろや」
「はぁ!?何でアンタにそんな事言われなきゃなんないのよ!余計なお世話です!」
「本当の事を言ったまでや。俺に惚れない女が他の男に惚れる訳ないやろ。つまり、彼氏無し」
「だから…その自信どっから湧いてくるのよ!」
「やって、俺以上にかっこいい男なんて、存在せんやろ?」

キラキラと眩しいくらいに輝く笑顔。普通の女子だったら、きゃー!って叫んで気絶する位の破壊力だろうが、私には一切通用しない。ただ無言で冷めた目を向ける私に、侑はぴくりとコメカミを痙攣させて、「なんや、なんか言いたそうやんか」と怒りのオーラを滲ませている。言いたいことなんて山程ある。聞きたいというのなら、存分に聞かせてやろうではないか。またいつもの喧嘩が始まったと溜息をつく周りを他所に、私は思った事をそのまま言葉に乗せた。

「あのね、アンタよりもかっこいい人はこの世にいーっぱいいるから。大体、侑は私の好みとは真逆だし」
「ほぉ」
「だったら治の方がまだマシよ」
「すまんなツム、俺の勝ちや」
「黙っとれサム!」

控え目に勝ち誇った笑みを浮かべる治に、侑が噛み付いている。こんな自信満々で、意地悪で、口喧しい男、全然私の好みじゃない。私が好きなのは、

「恋愛鬼ごっこの主演をやってるあの俳優さんが好きなの!」
「はぁ?恋愛鬼ごっこ?」
「今流行ってるドラマでしょ」

エナメルバックに着替えを詰め込む角名が、疑問符を浮かべた侑に補足した。今クラスの女子たちの間で流行っている恋愛ドラマの事だ。主演の俳優演じる男が、大好きな幼馴染に想いを伝えるものの、振られてしまうところから物語は始まる。男は諦めきれずに幼馴染を追いかけては、何度も熱く想いを告げ、幼馴染も徐々に絆されていく…という内容のもの。主人公の胸がキュンとするような台詞や情熱的なアタックに、最近の女子たちはみんな虜になっていた。そして私も、そんな女子の内の一人。

「なんやその俳優。ただ台本読んでるだけやん、俺のが絶対かっこええわ」
「侑には全然ときめかないもん」
「その男にはときめくんか」
「うん。毎週欠かさず見てる、私もあんな風にされたい」

追いかけられて、腕掴まれて、熱く抱きしめられて、好きだって囁かれて…。女子なら誰もが憧れるシチュエーションではないだろうか。私もかっこいい王子様に、そんな風に思われたい。今週観たそのドラマのワンシーンを思い浮かべながら、はあ、と悦の入った吐息を漏らしていると、侑はそんな私に一言、

「そんなん楽勝やん、俺がやったるわ」
「は…?」
「追いかけて好きやって言えばええんやろ?簡単やん」

にんまりと笑った彼が近づいてくる。何を言ってるんだコイツは、と訝し気な表情の私を前にして、侑は影を落とした。え、え、と戸惑っている内にどんどん近づいてくるその顔は、ついに私の目と鼻の先までやってきて。もう少しで唇がぶつかるその瞬間に、二人の間を割くように入ってきたのは我らがキャプテン、北さんだった。

「侑。マネにちょっかい掛けてる暇あったらはよ着替えんかい」
「…北さん。ええとこやったのに、邪魔しないでください」
「あんまマネいじめんなや」

未だに固まったままの私は、完全に思考が停止していた。何今の、何されそうだったの私、侑は何をしようとしていたの。初めて見る彼の熱っぽい表情と視線、私を追い詰める大きな男の体。それらは全て、ドラマで見たあのシーンと全く同じだった。侑なんて眼中になかった筈なのに…、こんな男、私の好みじゃなかった筈なのに…、

(なんで私、こんな心臓がどきどきしてるの……)

バクバクと煩く跳ねる心臓を抑えて、離れて行った侑を見つめた。今まで一度も異性として意識してなかった彼を、この時初めて、『男』として認識したのだ。

「マネ、大丈夫か」
「…………」
「マネ?」
「あ、は、はい!大丈夫です!ありがとうございます北さん!助かりました!」
「…………」

明らかに動揺しつつ、私はそれを誤魔化すように、再び部室の片付けを始めた。しかし完全に調子を狂わされてしまったせいで、何をやってもうまくいかない。片付けようとして逆に散らかして、治や角名が心配してくる始末。そんな私を楽しそうに見つめる侑と、無言で意味深な視線を向けてくる北さん。その二つの視線に気付かぬまま、私は逃げるように家へと帰ったのである。




その日から、侑の暇つぶしのお遊びは、一週間経つ現在までずっと継続されていた。私を見かけるなり追いかけてきては、当然足の速さに敵う筈もなく捕まって抱きしめられる。そして、人気のない場所へと引きずられていく。今も購買から4階へと逃げてきた私を懲りずに追いかけてきて、呆気なく捕まって彼の腕の中。夢中で走っていたので気付かなかったが、ここ4階は移動教室しかないフロアなので、昼休みの現在は全く人気が無く、助けも望めなかった。最悪な状況だ。早く逃げなきゃともがいても、状況は全く変わらない。それどころか、彼は私の髪を耳に掛けて囁いてきた。

「…好きやで、名無し」
「……っ!」

本気で言ってる訳じゃない事なんて、頭では理解している。なのに私は、その言葉にいつも体が熱くなった。惑わされてはダメだ、コイツに遊ばれてはダメだ、と言い聞かせれば言い聞かせる程、どんどんドツボにハマっていくような感覚。顔は赤くなって、心臓は早くなって、抵抗していた指先が震える。耳にフー、と息を吹きかけられると、体の力が抜けて、後ろの侑に全身を預けた。

「な、芸能人なんかより、俺のがええやろ」
「あ…、つむ……」
「テレビの向こうの男は、お前をこんな風には抱きしめられへんやんか」
「は、離し、」
「好き」

最後の理性を振り絞って紡いだ言葉も、彼の好きに塞がれて、飲み込まれていく。まただ、あの時のあの目が、今目の前にある。熱の篭った、情熱的な視線。その目に射抜かれると、私は一歩も動けなくなってしまうのだった。近付いてくる顔、かかる吐息、感じる体温。この世界に二人だけしかいないような錯覚に陥る程、辺りは静まり返っている。ああ、私はこのまま、侑と……、



二つの唇が重なる寸前。タイミングを見計らったかのようになったチャイムに、私の体は大袈裟な程跳ね上がった。一気に現実に引き戻されて、私はありったけの力で侑を突き飛ばす。あれだけ抵抗してもびくともしなかった侑の体は、呆気なく離れた。余裕なく短い呼吸を繰り返す私とは対照的に、侑は楽しそうな笑みを口元に湛えている。その表情がより私の神経を逆撫でするのだった。

「侑の馬鹿!!!」

小学生みたいな言葉を残して、私はその場を走り去った。階段を駆け下りて、自分の教室へ向かう。もう侑が追ってくる気配はなく、ようやく鬼から逃げ出せた安堵に息を吐く。なんで私、こんなにもアイツに心を乱されているのだろう。侑だけは絶対にない、そう言いきっていた今までの自分がまるで嘘のようだ。侑の手の平に転がされて、いい玩具になってしまっている自分自身に苛つく。別にときめいてなんかない、好きでもない、赤くなってもない!何度もそう言い聞かせて、私は足音荒く席に着いた。もうすぐ午後の授業が始まる。気持ちを切り替えて、勉強に集中しよう。アイツのことは忘れるんだ。



後から戻って来た侑は、何事も無く平然とクラスメートと言葉を交わしている。意識しているのは私の方ばかりで、益々気に喰わない。やっぱりアイツは、本気であんな事を言っている訳ではないんだ。彼にとっては、暇つぶしの1つ。そんなものにいちいち本気になってたまるか。本気になったら負ける。これは私とアイツの、本気の鬼ごっこなんだ。



絶対に落ちるもんか、勝つのは私だ。

絶対に落としてやる、勝つのは俺や。


二人の意地は、どんどん大きくなっていって、更に鬼ごっこは甘くて熱いものになっていくのだった。