Continue

「大変やな、マネも」
「え?」
「侑のことや」

ある日の放課後。部活も終えて、後は片付けて帰るだけという頃に、器具を片付けるために体育倉庫に入っていた私は、北さんとそこで鉢合わせした。黙々と片付け作業を進めていた私たちだったが、唐突に、北さんはこちらに背を向けたまま冒頭の台詞を口にしたのだ。一体何の事だと首を捻っていると、侑の名が出てきて一気に顔が赤くなる。そんな私の顔を横目で見た北さんは、少し驚いたような顔をして、こちらに振り向いた。

「……意外やな。そんな顔するとは思わへんかった」
「え!?か、顔!?」
「満更でも無さそうな顔しとるよ」

言われて、慌てて頬を抑える。満更でもない顔って、一体どんな顔だろう。恥ずかしくて、顔を隠すように北さんに背を向けると、すぐ背後に彼が迫ってくる気配がした。ゆっくり振り返るのと同時に、北さんの手が後ろから伸びてきて、扉をがしゃんと閉められる。一気に真っ暗になった体育倉庫の中で、北さんと二人きり。予想外の展開に、私の頭は追いつかない。

「き…、北さん?」
「残念やわ。侑はほんまに名無しの心を捕まえたんやな」
「え…」
「俺かてずっと、名無しのこと、」

小さな窓から差し込む夕日が、ぼんやりと北さんの顔を照らしている。その表情は切なげで、心なしかほんのり赤く染まって見えるのは、この夕日のせいだろうか。扉に背をつけながら、なんの冗談ですかと北さんの肩をやんわり押し返す。しかしこれまた彼も、全くビクともしなかった。男の人なんだ、と当たり前のことを改めて実感する。どうしよう、この状況。どうすればいいんだろう。

「ほんの少しだけ、夢見させてや」
「んっ……、」

囁かれたその言葉と共に、耳に息を吹きかけられた。ちゅ、と口付けられて、そのままおでこや頬にも軽いキスを落とす。北さんが、私のことを好き?そんな馬鹿な、と信じられずにいる私に、彼はどんどん感情をぶつける様にキスをする。やがて、至近距離で私を見つめた後、ゆっくりと吸い寄せられるように唇同士をくっ付けた。ぎゅっと絡まる指と指。優しく握りしめられて、まるで恋人同士みたいだ。侑のような強引なキスではない。優しくて、北さんらしいキス。

(……私、なんでまた侑のこと……)

比べて初めて、無意識のうちに侑のことを思い浮かべている自分に気付く。そんなんじゃないと慌ててそれを振り払って、北さんの温もりに身を預けた。ああ、私の想い人がこの人だったら、素直に好きだと言えただろうに。真面目な北さんの事だから、きっと何の心配もなく、恋人を幸せにできるだろう。

「き、北さ………、」
「好きや、名無し」

再び重なろうとする唇。しかしそれは、未遂に終わる。凭れ掛かっていた後ろの扉が、急にガラリと開かれたからだ。ぐらりと倒れた体は、誰かの手によって抱きとめられて、状況がいまいち把握できぬまま背後を見上げる。そこには、怒りを露わにした侑が立っていて、睨むように私を見下ろしていた。蛇に睨まれた蛙のように、恐怖で縮こまる。

「………何してんねんお前」
「あ……つむ…」
「他の男に尻尾振りおって」
「な……!そんなんじゃ、」
「俺が強引に迫ったんや」

否定する私の言葉を遮って、北さんははっきり言った。まるで私を庇うように、全て俺がやったんだと侑を前にして堂々と言い放つ。私に注がれていた侑の鋭い視線は、今度は北さんに向けられた。普段は北さんの事を怖がって、滅多に逆らわない侑なのに、こんな風に威圧しているなんて珍しい。一触即発な雰囲気に、私はただおどおどと見守る事しか出来なかった。

「北さんには、こんな女似合いませんよ」
「どんな人を選ぼうと、俺の勝手やろ。それに、名無しは十分素敵な良い子や」
「……そんなん言われなくたって俺が一番分かってます」
「そうか。いらん事言ったならすまんかったな。安心せぇ、俺は誰かさんみたいに、名無しを追いかけ回す真似はせぇへんよ」
「……誰のこと言ってるんですか」
「さぁ、誰やろな」

侑の横を通り過ぎていく北さんは、そのまま体育倉庫を後にして、すれ違い様に言い残した。

「回りくどい子供遊びなんかしたって、想いは伝わらへんで、侑」
「………!」
「ええ加減、子供みたいな事してマネ困らせるのやめや。もう高校生やろ。それとも、」



振られるの怖くて本気になれへんのか?



ぴく、と反応した侑は、それ以降何も言うことは無かった。颯爽と去っていく北さんを見送って、私は再び侑に向き直る。俯いたままのその顔を恐る恐る覗き込むと、怖いくらいの険しい表情を浮かべていて。思わず息を飲んで固まる。その目はまた私に注がれて、やがて彼は言った。

「悪かったな。追いかけ回して」
「侑、私は、」
「もうせえへんから安心しいや」

吐き捨てるようにその言葉を残した後、彼は北さんの後を追うようにして、この場から去って行った。伸ばしかけた手は、何を掴む事もなく空振りに終わり、ダランと垂れ下がる。何してるんだろう、私。先程北さんが言っていた言葉を頭の中で反復しながら、足元を見つめた。

振られるのが怖くて本気になれないのは、私の方なのに。

本当は、とっくに好きだった。だけど彼は人気者で、いつも囲まれていて、クラスで一番可愛い子も、学年で一番可愛い子も、スタイルがいいあの子も、みんな侑の事が好きだと言っていた。連絡先が聞きたいとか、彼女いるのか教えて欲しいとか、私はよくそんなお使いを頼まれては侑の元へ聞きに行っていたから知っている。だから、目を逸らし続けた。私なんかが侑の彼女になれる訳ないって。鉄の女を装って、ずっと、ずっと、気付いてないフリをした。

少し前から始まった、私と侑の追いかけっこ。この時だけは、侑の頭の中は私で一杯になる。バレーよりも何よりも、私のことに夢中になってくれる。だから必死に逃げ続けた。捕まったら終わってしまう。侑が飽きたら、きっとこんな暇つぶしのゲームは終了する。その時が来るのが怖くて、ずっと、逃げ続けていたんだ。

そんな風に狡いことばかりしていたら、気付けば彼はもう私の元から去ろうとしている。本当にこのまま終わりでいいの?本音に蓋をしたままで…臆病な私のままでいいの?


(……そんなの、絶対に嫌)


ぎゅっと握った拳。覚悟は決めた。侑が本気なのか遊びなのかは分からないけれど、誤解されたまま終わるのは嫌だ。


今度は、私が追いかける番だ。




大好きなドラマ。幼馴染の男の人が、片思いの相手に何度あしらわれても、めげずに追い続けて思いを伝える、胸キュンのストーリー。その女性側の人も、最後に自分の本当の気持ちに気付いた時には、男の人が離れ掛けているところだった。逆に追いかけて、想いを伝えて、結ばれて…。そんな結末を辿ったそのドラマ。私は果たして、どんな結果を迎えるのだろうか。