Game over

「侑!」
「…すまん、ちょっと用があるから」

まただ。また適当な理由を付けられて、避けられる。数日前のあの北さんの一件以来、侑はあからさまに私を避けるようになった。少し前まで、嫌だと言ってもあれだけ追いかけてきていたのが嘘のようだ。この変わり様には流石に治や角名も驚いていて、何かあったのかと心配して声をかけてくれたものの、本当の事を言う気にはなれなかった。

このまま逃げ続けられたら、本当の気持ちを言う事なんて一生できない。折角覚悟を決めたって、向こうに聞く気がないのなら無駄だ。最初こそ頑張って追いかけていた私も、既に心が折れ掛けている。拒まれるのって、こんなにしんどいんだ。今まで侑を拒んできた自分を思い返して、罪悪感に蝕まれた。

「侑に避けられてる?」
「はい……」

いよいよ辛くなった私は、昼休みに三年の教室を訪れ、北さんに相談をしていた。しょぼんと肩を落とす私をじっと見つめながら、北さんは言う。

「…どうして俺のところに来たん」
「え?」
「何で俺に相談しようと思ったん」
「それは……」

唐突な質問に、私は俯いた。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった。どうしてかと言われると、どうしてだろう。困っている今、ふと頭に浮かんだのが北さんだったから…、では、答えになってないだろうか。

「北さんが、頭に思い浮かんだんです」
「俺が?」
「はい。北さんなら、力になってくれるんじゃないかって」

迷惑だったならごめんなさい、と深々と頭を下げると、その頭にぽんと乗った温かい手。見上げると、北さんは私を見下ろしながら無言で頭を撫でてくれている。謎の質問、謎の行動に、私の中には疑問が広がっていくばかり。

「…名無しは、今困ってるんか」
「はい。悩んでて、自分じゃどうしたらいいのか分からなくて…」
「そんな時に思い浮かんだのが、俺だったんか」
「え?は、はい……」
「そうか」

北さんの表情は相変わらず変わらない。いつもの涼しげな表情のままで、こちらからは、どういう感情でいるのかが分からない。きょとんとする私に、彼は続けた。

「やっぱ俺じゃあかんのか」
「え……」
「悩んでる時に、真っ先に浮かんだのが俺なんやろ。だったら、俺じゃあかんの」
「き、北さん、それは……、」

本気で言ってるんですか、と聞こうとして、やめた。北さんの表情は真剣そのものだったからだ。それに、この人はこんな事を、軽々しく冗談で言うような人ではない。北さんの想いを知って、ぶわりと全身が熱くなっていく。と同時に、脳裏にはやはり侑の姿が蘇った。やっぱり、私が恋愛として好きなのは、侑なんだ。そう再認識させられる。北さんが、真剣にぶつかってきてくれている。だったら私も、この気持ちを正直に伝えるのが、相手への礼儀というものだろう。

「ごめんなさい、北さん」
「…………」
「私、北さんのこと尊敬してるし大好きだけど、それは、先輩への好きという感情で、」
「…………」
「恋愛として好きなのは、侑なんです。今更遅いかもしれないんですけど」

儚く笑いながらそう告げると、しばらくずっと無言で聞いていた北さんも、ふと口元を緩めて微笑んでくれた。その笑顔は、とても綺麗で見惚れるような笑顔。釘付けになる私の頬に、北さんは優しく触れて。

「……知っとる。お前ら結構バレバレやで」
「へ!?」
「今のは少し試しただけや。意地悪してごめんな」
「そ、そんな、北さん…!」
「でも、それだけ本気やったら、後は全力で伝えるしかないんちゃう」

北さんのその言葉に、私ははっと気付かされた。そうだ。想いを伝える方法なんて、1つしかない。諦めずに本人に伝える。ただそれだけ。本当に諦められないのなら、ここでクヨクヨしている場合じゃない。

気付かされた様に顔を上げた私を、北さんが優しげな笑みで見守ってくれている。どこまでも優しくて、頼りになるキャプテンだ。ありがとうございます、と深々と頭を下げると、「早よ行きや」と背中を押してくれた。私は、そんな北さんの微笑みをいつまでも名残惜しそうに振り返った後、ようやく侑の元へと走り出したのである。教室にいるであろう、侑の元へ。今度こそ、この気持ちを伝える為に。





しかし私のこの決意は、脆くも崩れ去る事となった。






「ほんまに好きなんや」

教室に戻る途中。不意に階段の陰から聞こえてきた声。聞き逃す筈がなかった。その声は、紛れも無く侑の声だったからだ。いけないとは分かりつつも、私はその声がした方を覗き込んだ。そこにいるのは、侑と、可愛いで有名な隣のクラスの女子。二人してこんな物陰に潜んで交わす会話など、1つしかない。バクバクと嫌な音を立てる心臓を抑えて、私はぐっと耳を澄ませた。

「好きなんや」

再び聞こえてきた、そのワード。侑の口から紡がれる、告白めいた台詞。聞き間違いなんかじゃ無かった。二度も聞けば流石に分かる。侑は、あの女の子に告白している。逃げてばかりの私に痺れを切らして、別の女の子の元へと行ってしまったんだ。私の決意は、もう遅かった。侑は既に、どんなに追いかけても届かない場所へと行ってしまっていた。

(……なんだ。やっぱり誰でも良かったんだ)

私に飽きて、もう別のターゲットを狙うなんて。思った通りだ、アイツはそういう男だったのだ。まあ、別にショックなんて受けてない。最初からこの男のことなんて分かり切っていたのだから。きっと本気じゃない。私なんか、侑にとっては暇潰しに過ぎないのだろうって。なのに私は、それを本気にして…。馬鹿みたい。

必死に頭の中で並べる、負け惜しみ。自分で自分を慰めていく内に、どんどん惨めになって涙が溢れた。ぽたぽたと滴る雫が、制服に染みを作る。あんな男の為に泣くなんて、本当に悔しい。北さんにもあんなに背中を押してもらったのに。

止まることを知らない涙を流して、私はそこに呆然と立ち尽くしていた。盗み聞きをしているという自分の立場を忘れて、その場でぼろぼろと泣いて。やがて、侑の告白相手の女子が私の存在に気付いて目を見開いた。その様子を見ていた侑も、こちらに振り返る。そこで初めて、侑は涙を流す私の姿を捉えたのだ。

「な…、おま…、名無し…!?」
「ばっかみたい。私ばっかり」
「は…?ってか、お前今の聞いて…!」
「さよなら」

状況がイマイチ掴めていない侑を置いて、私は一方的に別れを告げた。とは言ったって、高校を卒業するまではほぼ毎日顔を合わせる訳だし、部活も一緒だから、サヨナラする方が無理なのだが。自分のこの気持ちにケリを付けるという意味でも、私には必要な言葉だったのだ。

「あ、おい!名無し!」

呼び止める声も無視して、私は走り出した。特に行く先などない。ただ兎に角あの光景を見たくなかった。侑が、他の女子に告白してるところなんて。

「おい待てや!名無し!」
「来ないで!」

それは、つい最近まで頻繁に行っていたあの遊びと同じ。私が逃げて、侑が追いかける。ただ違うのは、片方は泣いていて、片方は柄にもなく必死な顔をしているというところだけだ。やがて私は階段を駆け上がり、使用禁止の札が掲げられた屋上の扉を開いた。鍵を開ける時にもたついて、そこで距離を縮めた侑が私の腕を掴む。離して!と拒む私の体を、強引に引き寄せて抱き締めた。包まれる侑の温もりと匂いに一気に絆されて、私はぴたりと固まる。ぎゅう、と私を抱く手に力を込める彼は、髪に顔を埋めて切なげに漏らした。

「そんなに俺のこと嫌いか」
「え……」
「いっつも俺から逃げるやん」

侑の好きな人は、私じゃなくてさっきのあの女の子なのに、どうしてそんなにも苦しそうなんだろう。私の気持ちも知らないで、気紛れに追いかけたり避けたりして、それに振り回されるのはもう懲り懲りだ。

「……人の気も知らないで、勝手なこと言わないでよ!」
「名無し……」
「とっくに好きだった、侑のこと。でも侑は本気じゃなくて、只の暇潰しだったんでしょ?だから期待しそうになっても、いつも自分で否定してた。侑は私のこと好きなんかじゃないって」
「は……!?違っ…、」
「もう私のこと振り回すのやめてよ!」

悲痛に叫んだ私の手が、侑の胸板を押し返す。二人の間にできた、僅かな距離。それは、心の距離も表しているかのよう。侑の温もりが離れて、少しだけ肌寒く感じたのも束の間だった。彼は再び私の肩を掴み、強引に自分の腕の中に引きずり戻したのだ。呆気に取られる私は、抵抗することも忘れて動けずにいる。ここまで言っても尚、私のことをからかおうと言うのか。抗議の声を上げるべく顔を上げると、そこにはいつになく真剣な顔をした侑が、私を見下ろしていた。

「好きや」
「え?」
「ほんまに好きや。お前のこと」

その瞬間、雑音は全て消え、侑の言葉だけが頭に響いていた。はっきり聞こえた筈なのに、今なんて、と聞き返したくなるのは、これが夢なのか現実なのかを確認したいからなのかもしれない。あの侑が、私なんかの事を好きなはず無い。そう心の中で否定しつつも、でもコイツのこの表情は、決して悪ふざけなんかじゃないものだから、頭の中はパニックだ。やっと絞り出した声は、か細く震えていた。

「……うそ」
「おい。人の告白を嘘扱いすんのか」
「だ、だって。さっきあの女の子に…」
「ああ、あれか」

先程の出来事を思い出すように、侑の視線は宙を彷徨った。

「呼び出されて、告られたから振った。好きな奴おるからって」
「え……」
「そしたら、名無しのことですか、って言われたから、そうやって」
「じゃあ、あの時好きって言ってたのは…」

驚く私を見つめる侑の顔は、柄にもなく赤く染まっていた。ぎこちなくじっとりとこちらを睨むその目には、確かに彼の本気の思いが込められていて。私はそれをヒシヒシと感じた。嘘じゃない。夢でもない。これは、現実なんだ。

「お前のことや、アホ」
「あ……つむ……」
「本気で好きや。追いかけっこだって、あわよくばってずっと思っとった」

なのにお前は逃げよるし、と不貞腐れて唇を尖らせる侑。この俺が失恋なんて有り得へん、とも言っていて、本当にその自信はどこから込み上がってくるのか。だが確かに、私は彼にすっかりハマって、完全に捕まってしまっていた。もう降参だ。侑には敵いそうにない。ぶつぶつと文句を垂れるその口に、背伸びをしてちゅっと重ねた、私の唇。ぽかんと立ち尽くす侑に照れ隠しではにかんで。

「…これで、許してくれるかな」
「な……、」
「好きだよ、侑」

ああ、頬が熱い。侑も真っ赤になったまま、私の体を引き寄せて笑った。少しだけ遠回りした、素直になれない二人の恋は、あのドラマと同じように…。ようやく1つに重なったのだ。



「やっと捕まえた」




小指に繋がる赤い糸は、確かに二人を結んでいた。