離島戦記

 第1章 隔離された島

5th「沢山の食い違い」01
*前しおり次#

 空気がひんやりとしている。周囲に温かさを感じるものはない。
 おもむろに担ぎ方を変えられて、タトスは身を一瞬硬くした。叩きつけるように冷たく硬い床に投げ置かれて、タトスは呻く。
「大人しくしているんだな。どうせ目は見えないだろうがな」
「いったあ……くそっ、船に乗ってた、人たちに……ひどいことしないでよ!」
「まだ言ってるのか? 無駄だ、無駄。隊長の下で奴隷として使われるか、軍事都市に兵力として送られるかのどっちかだろうさ」
 奴隷? 今奴隷って言った?
 タトスは頭が混乱して、なんとか冷たい床から頭だけでも持ち上げる。
「奴隷って、何……?」
「はっ!? いったいどこの田舎暮らしだ、奴隷も知らないのか!」
 兵士の声は煉瓦造りだろうどこかの中でよく響いた。多分牢屋だと思うのは、床が冷たいからだ。手足も縛られたままで、遠くからガラの悪そうなドラ声が笑っている。
「し、知らないよ……いたっ……いったいなんなの、いいものに聞こえないけど」
「そりゃそうだ。人族であっても奴隷になったら人としては見られない。お前も多分、そのうちどこかに売られるだろうさ」
 売られる?
 耳を疑って、タトスは息を吸い込んだ瞬間埃に咽る。相当掃除も何もされてないところに放り込まれたようだ。タトスはなんとか身をよじって、体を起こす。
 兵士は――まだ足音はしていない。タトスのことを見ているのだろうか。
「なんでそんなのがあるの……この島は人を人として見てないの!?」
「本当にどこの田舎からやってきたんだ、このガキ……奴隷が人として見られる? いいや、あいつらは道具だよ。あいつらを家畜として飼うことができる奴らの財力だ」
「そんなのおかしいよ、あの船の人たちも僕らも人だよ! 奴隷なんかじゃない、平民って身分をちゃんと与えられてるんだから、道具になんかなるはずない!」
「身の上もしっかり明かせないような奴が偉そうに吠えるな。安心しろ、お前戦士だろう。軍事都市に送られるだろうさ。奴隷の中でも適した土地に行けるんならまだマシなほうだ」
「どこが? この街おかしいよ! 戦争がどうだって言って小さい子は中に入れないし、魔法の力を使えない人は奴隷だなんだって言うし! 僕を助けてくれた人はこんなひどい街だなんて一言も言ってなかった! いったいどうしてこうなってるの!?」
 しんと、煉瓦の質感の建物の中が静かになった。笑っていた声もいつの間にか静まり返っていて、タトスは荒くなりかけた呼吸をなんとか落ち着かせる。
「そんなの我々が知るわけないだろう。七百年以上昔から奴隷制はある。戦争の気配がある以上、我々の代わりにその場に出るのも奴隷民の役目だ」
「そんなの酷過ぎる!」
「じゃあお前が戦争に出るか?」
 喉元が圧迫されたようだった。それでも許せないその身分の有りようを、タトスは歯を食いしばることで訴えるしかできない。
 どうしよう。今は戦争がない時代だってことを伝えたくても、ルヴァと名乗っていた恩人もリュナムもそれを控えろと言っていた。
 それ以外で引き止める方法は自分には……いや、ある。
 諦めなければきっと、出てくるはず。
「そういうことだ。わかったら黙っていろ。どうせ嫌でもお前はその役目につかされるんだからな」
「だったら船に乗ってた人たちは解放して」
 踵を返そうとした音が止まった。
 なんとか音が聞こえている方角を見ようと、布を巻かれた視界の中顔を向ける。
「……お前正気か?」
「正気だよ。あの船の人たちは僕らを乗せてきただけだから。あの大きなタコに襲われなかったら、本当ならこの港に寄ることもなかったんだ。あんな目に遭わされるためにこの島に来たんじゃない。家族がいる故郷に帰してあげてほしいんだ」
「ば、バカなこと――」
「ああ、バカに聞こえるだろな」
 聞き覚えのある青年の声に、タトスははっと顔を上げた。驚いた声を上げる兵士が、姿勢を正したのか金属の擦れ合う音が非常に短く耳に届く。
「市長!」
 市長……? 村の総代みたいな、偉い人のこと?
 短いやりとりが聞き慣れた青年と行われている。声が聞こえたとわかる方向へと目を向けようとして、タトスは急いて口を開く。
「リュナム? リュナム、いるの!?」
「安心しろ、今出してもらう。――リヴィンとティファに感謝しろよ」
「え……? うん」
 鉄格子の開く音だろうか。ちょっと耳障りな金属音が開いて、タトスの視界を覆っていた目隠しがやっととれた。途端に魔術の明かりが目に飛び込んできて、タトスはうっと瞬きを繰り返す。
 おぼろげに見え始めたリュナムらしきローブの人影の隣は――見覚えのないシルエットだ。さっき声をかけられていた市長という人物だろうか。細い体にローブともとれる、ドレープたっぷりの服がよく揺れて動く。
「拘束を命じた者がいたとのこと、大変失礼いたしました」
 男の声だ。それにしてはリュナムみたいに細い人だなと、タトスは内心呟くも、市長は檻らしい黒い棒の向こうから声をかけてくる。
「他に捕縛されている者に心当たりはございませんか」
「あ、あの、僕らを乗せてくれた船の人たちが! 奴隷にされるだろうってさっき」
「奴隷!? どういうことですか市長!」
 リュナムが鋭く声を浴びせている。市長らしい人物も言葉を濁しているではないか。
「私はそんな命令は下しておりません。いったい誰が」
「噂を聞いた、ってだけだけど……僕も後ろから襲われて、するんだろうって人までは見てないんです……いだっ」
「怪我してるのか? クラーケンにやられたのか、お前」
「ああ、うん。助けてくれた人がいたから、添え木してここまで来れたんだけど……そうだ、その人も追うって、僕を捕まえた人が言ってたんだ! 助けないと! その人に返す荷物もとられちゃったし!」
 解放された手足を確認するより早く、タトスは目を何度も瞬かせて目を慣れさせた。立ち上がろうとするタトスを制止する声は、リュナムからのものだ。
「落ち着け、順を追って話を纏める必要がある。――市長、この街の内政を包み隠さずお話しいただけませんか。我々の船員まで手を入れられているのは甚だ遺憾です」
 やっとまともに見ることができた相手は、やはり想像通り細身の男だった。恐らく人間だろう。タトスは市長が顔をしかめている様に、首を捻る。
「どういうことですか……?」
「それは、彼にも聞いたほうがよさそうです」
 牢を見張っていた兵士が、檻の脇に控えて身を固くしているようだ。タトスはリュナムに助け起こされるように立ち上がり、檻の外に出た。
「リヴィンやティファに診てもらわねーとな。ミティスのほうがいいか……」
「え、ミティス?」
「お前が押し入りに間違われた部屋の仲間だよ」
「あ、ああ……」
 こんなところで古傷を抉られる羽目になるとは。タトスは肩を落としたい思いで、足に走る鈍い痛みに顔をしかめた。
「骨にヒビが入ってると思う。それより、船の人たちはここにいないの?」
「いたらとっくに市長に説明を求めてるぜ。港で暴れた張本人がここに捕えられてるって話を聞いたから、市長と確認に来たんだ。まさか一番暴れられねー怪我したお前がいるなんて思わなかったけどな」
 リュナムの青い目も難しそうな眉間のしわと共につり上がっている。市長もまた兵士を見やっている目が険しくて、兵士が身を固くしている様子はタトスにとって手に取るようにわかった。
「わ、私は港で反国意志を持つ、妄言で市民を惑わせようとしている者を拘留すると伝えられておりました。それ以上は何も……!」
「誰からの指示です」
「ウォーグ隊長です。奴隷としての労働源の話も、その際に……」
 そんな名前だったんだと、タトスは今さら口を半開きにする。リュナムの細腕に下手に体重を預けられず、歩調を合わせてくれる彼に礼を言いながら移動するのがやっとだ。タトスは苦い顔をする市長を見上げた。
「お願いします、船の人たちは何も悪くないのに、船を壊されたし奴隷にするなんて言われたんだ。奴隷にはしないで」
「する理由がそもそもありません。が、ウォーグのことです。恐らく私兵として利用する腹でしょう。――申し訳ありません。あなた方の訪れた時期が知識神の戯れでないとしたら、とんだ風の思し召しだったとしか言いようがありません。私たちの都市はそもそも、あなた方の世のように一枚岩ではないのですよ」
 この人は風を象徴とする知識神フォリドを崇拝している人だったんだ。タトスは首を傾げながらも、市長が先頭に立って案内してくれるままに、リュナムと共に歩く。
「あの、どういうことですか……?」
「周囲にでかい声出して言えねーんだ。オレらが来たことも、オレらが《《陛下の名代》》だってことも」
 小さな囁きで伝えてくれる幼馴染に、タトスは息を呑んだ。煉瓦造りの通路は音を反響させることなく静かで、人の通りもさほどない。あちこちに魔法を仕掛けられているのか、脱走囚のことを考えていない造りに見えた。
 ただ、ルヴァがタトスに忠告してくれたように、リュナムが船内にいた時話してくれたように、恐れていたことが起きたのだけはわかった。
「みんなが、混乱するから……?」
「ええ、平たく言えばそうです」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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