離島戦記

 第1章 隔離された島

4th 02
*前しおり次#

 もしかして、ルヴァと名乗ったあの青年と間違えているのだろうか。
 同じ灰色の髪だし、目の色や目つきは違っても、タトスだって自分が目の前にいるような感覚だった。兵士である彼が街を出る人をまじまじと見ることはないだろう。
「あの……僕とそっくりな人、ここに来てた?」
「ん? そっくり? ――本当に別人か?」
 おずおずと頷くタトスに、兵士は訝しげにタトスへと腰をかがめてまで見てきた。苦笑いを浮かべて頷いてくる兵士は、やがて面頬を下げて、甲冑を正しく着こなした。
「なるほど。その男の知り合いか……仕方ない。クラーケンに襲われた船ならこの街に寄港している。市長と話し合いの席を設けられているはずだ。通っていい」
「本当!? ありがとう、おじさん!」
 戦争を知らんような田舎者めと、兵士は小さく笑い声を響かせていた。立ち上がるタトスを介助してくれた彼が、小さく溜息を溢している。
「俺の子供もお前みたいに、のびのび育ってくれていればいいが……」
 タトスは驚いて――口を噤んだ。
 この島は、五百年どこかに消えていた。彼の子供がレドゥ島に住んでいないとしたら……見た目通り、彼が人間ならば。この世界に彼の子供はもういないかもしれない。ハーフエルフだとしても、ハーフドワーフだとしても。
 五百年も生きる人族なんて、タトスの知る限りいないのだ。エルフ族だって寿命は三百年だから、きっと彼の子供は――いや、妻でさえも、もうこの世界にいないかもしれない。
「いや、しっかりさせないと戦争を生き延びれないか。お前も少しはしっかりしろ。船から落ちるなんて、とんだ間抜けはもうするなよ」
「う、うん」
 かける言葉を見失ってしまった。
 タトスは、平和になった時代に生きている。戦争を目前に控えてもなお、子供と重ねてくれる兵士のようには、温かい言葉が思いつかなかった。
「ほら、門を潜れ。市長にお前が直接会いに行くことはできないだろう。その足では酷だろうが、港に向かって仲間の情報を集めたほうがいい」
「ううん、入れてくれただけでも助かったよ。ずっとここで、干しエビを食べて待ったほうがいいのかな、って考えてたから」
 途端に、兵士が面頬の向こう側で声を途切れさせた。
 破裂したような笑い声に、タトスは曖昧に笑んで、新たな松葉杖を手に門扉を潜る。
 白かったのだろう煉瓦が、空を高く区切っている。
 空を支える円柱にも見える塔が、太く何本もそそり立つ。途中で橋が渡されて、いくつもの塔を地上に下りずに渡れるようになっているようだ。少なくともこんなに見上げるほどの街なんて、タトスは初めて見た。
 後ろで扉が重たく閉められた。身を竦めたくなる風圧に、タトスはすごすごと街の中へと逃げるように進む。
 あの何本も立つ背の高い塔が異色なだけで、街の風景そのものは王都グラッディアのような様相だ。人の雰囲気は少し硬さや刺々しさこそあれ、活気があるし、見たことのない魔法道具さえここには見受けられる。
 魔法素を産み出す苗木、魔法素を供給し続ける割れない魔石――そんなものまで売られてるなんて、まるでおとぎ話みたいだ。
 皆が皆、夢みたいな商品に飛びつくこともない。子供受けがいいだけのおもちゃのようなものらしい。大人が買い求めるのは鮮度のよさそうな魚や野菜で、その指に嵌まる指輪や手首のブレスレットは、複雑な模様が彫り込まれている。
 街の大部分の人々は、ローブや動きやすい皮鎧ばかり。街の入口を護る兵士のような重装備は見当たらない。
『戦争における生き延び方』、『どんな魔法攻撃でも耐えるシェルターを作る』、『戦場における魔法の重要性』なんてタイトルの本を見つけた時には、タトスは身震いすら感じた。
「やあそこの変な格好の坊や! 怪我をたちまち治す薬なんてどうだい!」
「あ、ううん。持ち合わせそんなにないから、いいよ」
 部分鎧も得物もない槍使いなんて、そんな風に見えるのだろうか。田舎者と言われるならわかるけれど。
 タトスはやんわりと断りつつ、ルヴァからもらった金貨も銀貨もちらつかせないようにした。出来合いのサンドイッチを買う時だって銅貨を少しかき集めて出したし、胃が満たされるとすぐ、店を後にする。情報を集めるにも、武器を買うにも、とにかくリュナムたちと合流するほうが先だ。
 じゃないと自分がこの財布から使った金の計算をまともにできる気がしない。
 それにしても。
 活気はあるのに、なんだか薄暗く感じる街だ。陽は差し込むし、あの神が槍を下ろしたと言われる塔みたいな山だってくっきり見えるほどなのに、どこか――何か、欠けて見える。
 空はこんなに晴れてるのに、誰も見上げようとしないなんて――ああ。
「見上げる人もいないんだ……」
 気ぜわしく歩いていく人。必要なものを買ってすぐに踵を返す人。
 子供と手を繋いでいる親はいても、その子がどこかに興味を示したところで、その方向へと目を向けることなく連れて去ってしまう。
 商人たちが上げる声に活気があるだけで、街の全体の印象が暗く見えるのはそのせいだったのだろう。
 港を探して歩くうち、人々の噂する声がいやでも耳に入るようになった。中にはタトスを見て胡散臭そうに陰口を叩く人もいる。
「またよそ者ね」
「今度は陸からかしら?」
「戦争の号令が出るって時に、怪我なんて情けない」
「寄港した船だってクラーケンにやられていたな。船の木材も細くて弱かったし、材料の無駄使いだよ」
 言いたい放題だなあ。
 気になる言葉も聞こえてはきたけれど、どうにも彼らに尋ねたところで、必要な情報を聞き出せる自信はない。港が近いことは磯の香りでわかったので、そのまま歩を進める。
 帆柱を折られたままの船が見えてきて、タトスははっとした。杖をつく速さを変えてまで急いで、到着する頃には腕の骨がギシギシと疲れを訴え始めていた。
 港の開けた土地に出た瞬間、見覚えのある船にタトスはほっとする。船体のあちこちに穴を修復した跡が見られ、へこんだ船体と突き刺さったままの磯貝に、タトスは口を引き結んだ。夜の海に飛び込む形となった自分を助けてくれた人がいなかったら、本当に死んでしまっていたのではないだろうか。
 船員の姿もいくつか見られて、タトスは松葉杖を持ち上げて大きく振った。
「おーい! みんな大丈夫だった!?」
 ぎょっと、数人が振り返ってくる。船の上にいた何人かが縁に近づいてきて、タトスを見つけるなり悲鳴を上げた。
「タトスか!? お化けじゃないよな!?」
「ひどっ!? ちゃんと人間だよ、|彷徨う亡者《アンデッド》じゃないよ!? ……あ、ルヴァさんにひどいこと言っちゃったなあ……」
 今さら気づいても後の祭りというものだ。急いで船から降りようとする船員に、タトスも船へと近づく。あと半分で船に行きつくその時、あちこちから向けられた視線にはっとした。
 船員たちが船から出る――
「ま、待って止まって!」
 慌てて船員が足を止めた。タトスや船員の足元に巻き起こるエネルギーの爆発に、タトスは顔を庇ったも吹っ飛ばされた。派手に地面に叩きつけられ、思わず呻く。
「貴様、何用でこの船に来た。この船は現在調べがついていない。仲間だというならお前も拘束する」
 後ろからかけられた冷ややかな声に、タトスは身を固めた。振り返る余裕なんて絶対くれない男の声だ。タトスは舌を巻いて、そろりと両手を上げた。
「あ、あの……うん、僕あの船に乗ってたんだ。夜、海に落ちちゃって、それから……なんとか岸に着いたから、あの船を探してたんだけど。なんで拘束なの?」
「なるほど。おい、こいつを拘留しろ」
「えっ、ちょっと!?」
 ローブのすれる音が響く。タトスが慌てて振り返ろうとしたその時、見えない縄のようなものがタトスの体を縛り上げた。バランスを崩して倒れる少年には目もくれず、荷物を持ち上げる様にタトスはぞっとする。
 あの中にはルヴァがくれたものが――!
「ちょっと待ってよ、それは人からもらったものなんだ! その人に返すために持ってきてるだけで……! お願いだから取らないで!」
「お前を援助した者がいると? なるほど――おい、持ち主を洗い出して捕まえろ。ホーリアやルインズの間者かもしれん」
 ホーリア? ルインズ?
 聞き覚えのない名前だ。それより、今の話――さっきの門番も、ルヴァも危ない。ルヴァからもらった荷物を取り上げられた上に探られて、タトスの背中に冷や汗が滲んだ。
「返して!」
「これは証拠品になり得るようだ。没収しよう」
 そんな。
 ルヴァが食料を含めて、身を削って譲ってくれたものなのに。ローブの男に平然と奪われる理由なんて、どこにもないのに。
 大切なものだ。タトスたちが帰るための手がかりだって残せるようにとしてくれていたそれを、こんな――!
「お前たち、連行しろ。それから――あの船の連中は取り調べでなんと言っていた?」
「このレドゥ島が突然現れたと。この近海には今まで何もなかったと吐きました」
「ほう――なるほど、報告通りか」
 ぎょっとして、身をなんとかよじって船のほうを見やった。船乗りたちがタトスに強張った顔を向けている。
「表向き捕虜にしろ。船は破壊せよ」
「なっ――!?」
「はっ。|純力の矢弾《エナジーアロー》」
 見えない力が船へと容赦なく走る。
 船員たちが叫んで、散開したその時。船に槍か何かがいくつも刺さったように見えた。
 爆発。
 仮であってもやっと修復したその跡が、跡形もなく粉砕される。甲板に残っていた船員たちは海に落ち、仲間たちが慌てて手を差し伸べていた。
「くそ、冗談じゃねえ! なんてことしやがる!」
「船が……戻れないぞ、これじゃあ……っ」
「戻る? なんてことを?」
 冷たい声が、煉瓦の街に降り積もるようだ。タトスは歯を食いしばる。
「この島が今いかなる厳戒態勢に敷かれているかも把握しない愚か者が、|雁首《がんくび》揃えてのこのことやってくるほうが悪いのだよ」
 頭が真っ白になりそうだった。それよりも先に満たされたのは怒りのほうだ。
「さあ、連れていけ。労働力は確保された」
「やめてよ、あの人たちは関係ないだろ! 僕を助けてくれた人も、ホーリアとかルインズとかそんなの僕はわかんないけど、同じ人族だから助けてくれたんだ! それのどこがいけないの? 溺れかけた人を助けただけで、優しい人が追われるなんておかしいよ!」
「連れていけ」
 聞く耳持ってよ――!
 屈強な体格の兵士数人に抱えられた。暴れようとしたも、足がまだ痛む上に完治してすらない。逆らえないまま、タトスは目隠しをされて誰かに抱え上げられたのだった。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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