離島戦記

 第1章 隔離された島

7th 03
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 槍へと届く前に、矢が弾かれた。
 タトスが目を丸くするより早く、オルファに声をかけられてすぐ、丘を駆け上がる。容易くリュナムたちへと追いつくと、彼はにやにやと笑っている。
「見えない盾を作ったの!?」
「ああ。ついでに言うならあいつら、しばらく足進ませるの躊躇うぜ。何せ|無色の防壁《パントマイム》はどっからどこまで見えない壁があるか、手探りで追わなきゃいけねえからな」
「そうなの?」
「強度は石垣や石壁レベル、なのに見えないんだからな。矢を無駄撃ちしたくなけりゃ見えない壁にぶち当たるまで歩くしかねえってこと。しかも終わりはどこまでかわかるか?」
 タトスは思わず乾いた笑みを浮かべた。リュナムが自信満々に笑うわけだ。
「僕なら砂粒だろうが木の枝だろうが投げるけど……」
「それを拾っちゃ投げる兵士たちの体力を労うとこだな。魔術も視認されるものは通すんだ、あいつらなら純力の矢弾でオレたちを妨害するほうに回るはずだぜ。けど――」
「詠唱するためにも壁がどこにあるか測らなければならないわけか。あの手の術は距離の問題があるはずだな」
 そういうことと、リュナムはオルファに指を向ける。
「ってわけで次。頼んだぜ、召喚術師団員殿」
「はい」
 広げられた一枚の布。獣の足型だろうか。魔法陣の上に日陰の土のような色の体毛が落とされる。
「地よ、我らの声を聴け。汝に不変たる絆があれど、我が友との血盟を超えしものなりうるか=v
「他は万が一の連中の到達を阻止、頼むぜ!」
「りょうかーい」
「まったく、荒い仕事だな」
 ティフィーアとオルファが前で構える。オルファに一度下がるよう手で押されたタトスは目を丸くした。
「オルファさん!?」
「まだ怪我が治りきってないだろう。後ろから攻められないとも限らない、退路の見張りを頼んだぞ」
「空よ、我らの姿を記せ。汝に流動せし道があれど、我が友との歌声を超えしものなりうるか=v
 街道を見下ろす。軍事都市までの道に異変はなくとも、タトスはオルファへとしっかり頷いた。
「わかった!」
 後ろで詠唱とともに光が集う。自分の影が濃くなって行く。
 人影はそこにない。足元にも空にも敵の気配は――
 なんだ、あの|畝《うね》。
 剣劇が聞こえる。タトスは周囲を確認して、道端に見つけた小さな畝に用心深く近づいた。
「|連結《むすび》、|集結《つどい》、|締結《かたどれ》。我が友は大地の強者にして俊足の四肢。その名と影をここに。光の血と我が|絆契《ばんけい》に因りて力となれ=v
 鷹のような鳴き声が響く。リヴィンがすぐに背にまたがる姿に、オルファが驚いて声をあげていた。その間にも、リュナムは新たに術を紡ぐべく手を持ち上げている。
「リヴィンそのまま、上空を一回旋回して戻ってきてくれ!」
「はい、ヒポグリフ、お願いします!」
 力強い羽ばたき。その間にもリュナムの詠唱が響く。タトスの目は足元に覗いた地面の違和感に目を向けたままだ。
 |鍬《くわ》で耕された? 違う。土竜や土ネズミなんかが掘り進めた跡に似ている。
 トンネル状に盛り上がったそれを慎重に、槍の先端でつついた。硬い感触に訝しんだタトスは、周囲をもう一度確認して、そっと畝の土を払う。
 硬い突起――黒い金属質の輝きに目を奪われて、さらに土を払った。
「リュナム、ここに何かある!」
「|幻想劇場《ミラージュクオリア》――はっ?」
 タトスが示した畝の下、黒光りする金属に目を見張るリュナム。ティフィーアも引き返してきて、ミティスがオルファと共に追っ手を警戒しているも、追っ手の魔術は丘の向こうからあらぬ方向へと飛んでいくばかりだ。
「なんだそりゃ……」
 金属が途切れた。拳大の大きさが露になり、板上の金属を持ち上げたタトスは、叩き払うように金属片を捨てさせたティフィーアに目を丸くする。
「え、ティファ!?」
「それ、邪教のだよぉ……」
「なんだと?」
 オルファまで驚いて振り返ってきた。リュナムが顔をしかめ、弾き飛ばされた金属片を持ち上げる。リヴィンがヒポグリフに命じて近くに着地を試みているようだ。
「――邪教印か。普通捨てるはずもねえのに。ここで邪教徒がやられたってことだな」
「その聖印、どこの宗派のものなんだ? それだけ確かめてさっさと戦線を離れたほうがいいぞ」
「女の子が心臓持ってる悪趣味な聖印なんて、邪教印で十分だよぉ? 復讐の女神リベリア。一番ポピュラーな邪神だよぉ」
 舌打ちが混じりそうなくらい、ティフィーアの声は嫌悪を剥き出している。タトスは苦い顔になったも、リュナムが立ち上がって彼女に同意を示している以上、深く周囲を見ることは叶わなさそうだ。
 それに今一番必要なことは、ここで油を売ることじゃない。
「だな。タトス、リヴィンのヒポグリフに乗せてもらえよ。先に丘の向こうの様子探ってきてくれ。敵襲に注意しろ」
「わかった。みんなも気をつけて」
 リヴィンが手を貸してくれ、ヒポグリフの背へとまたがる。少女にしがみつくのはなんだか申し訳なさもあったが、片腕に槍を持つ以上仕方がない。
「行きましょう! 離脱します」
「うん!」
 目の前で羽ばたく大きな翼。地面すれすれに飛ぶ姿に驚いたタトスは、ヒポグリフが心配になる。羽ばたかせる度に土埃を舞い上げる鳥獣は、翼が地面に接しないギリギリの高度だけを維持しているのだ。
 高く飛べない理由があるのかと周囲に目を配ったタトスは、追撃がない理由をやっと知った。
 リュナムが作り上げたリヴィンとヒポグリフの幻影が、敵兵たちの魔術と矢から遠く離れた空を飛んでいる。大きく旋回してはいるが、行き先はタトスたちと同じ方角だ。幻影劇場という魔術の効果で敵を欺く幻を作り上げたのだろう。
「この高度を保つの、鳥じゃないヒポグリフにはきついんじゃない!?」
「ほとんどギリギリだと思います。ですが――今私たちに気づかれたら、リュナムさんが作ってくださった壁が壊されてしまいますから」
 後ろに土煙が大きく立つ。リュナムたちが森へと入っていく。もうもうと沸き立つベージュの幕が、丘の向こうの空を遮っていく。
 前方の丘を二つ越えた向こうに、確かに見えた街。円形の外壁の上に煌めく光は冷たい色で、海に面しているとはっきりわかった。タトスは身を引き締める。
「あれが軍事都市……!?」
「はい。軍事都市バティク……もしかしたら、あそこになら……」
 あそこになら?
 タトスはリヴィンを見下ろしたも、彼女はヒポグリフの背中を掴む手に力を入れていた。
「あそこに何かあるの?」
「あ……いえ……船員の皆さんがいらっしゃるんじゃないかって思って……」
 それだけに見えない。
 ずっとだ。思い詰めているような、自らの感情を誤魔化しているような顔。
 自分はリュナムやリヴィンみたいに、必要な場面とか、黙って様子を見るとか、時機を窺うのは得意じゃない。それでつらい誰かを見過ごしてしまうなら……。
「リヴィン、何か隠してない? つらくないならいいけど……この島のこと聞いてから、時々思い詰めてるよね?」
 リヴィンが押し黙った。微かに伏せられた黒髪がタトスの顔に当たる中、やがて前を向いた彼女は丘の向こうへとヒポグリフを着地させる。
 これ以上は街に近づきすぎるからだろう。三十分ほど歩く必要がある場所で、タトスはヒポグリフから降りた。リヴィンも降りてすぐ、幻獣を元の土地へと送還する彼女は、落ちた茶色の羽根を拾い上げてタトスへと向き直る。
 焦げ茶色の目が、優しさよりも憂いを帯びているように見えた。
「隠すつもりはありませんよ。……でも、そうですね。ちょっと長話になりますから、先に周囲の安全とリュナムさんたちへ合図を送りましょう」
「わかった。あのさ、リヴィン」
 張り詰めたような表情。
 覚悟をした目は、とてもあの初対面のおとなしそうな少女のものではない。
 ヒポグリフという味方が残した羽根を握る少女は、手が震えている。
「リヴィンが抱えてつらいままなのは、仲間だから見たくない。だけど、話すことが怖いって思うぐらいなら、話さないって手もとっていんだよ。ただこれだけは覚えてて。誰もリヴィンがつらいままでいてくれなんて思ってないよ」
 リヴィンの目が丸く見開かれた。
 タトスは周囲に異変がないことを確かめて、リュナムに手を振る。幼馴染から手を振り返されて確認を得たタトスは、リヴィンへとはにかむように笑んだ。
「みんな笑ってるリヴィンが好きだよ。ティファみたいにリヴィンのこと詳しく知らなくても、たった数日しか付き合いがなくっても。不安なことは海に流しちゃおうよ、みんなでさ」
 目を丸くしたまま。
 リヴィンがぼうっとする姿に、タトスは大丈夫だと頷いて、周囲を見渡す。
 静かに腕を掴まれた。タトスが少女を見やる間もなく、肩に黒髪がかかる。重さがそっと触れてくる。
 震えている肩を前にして、真っ赤になったり慌てたりなんて、タトスには到底できなかったのだ。
「ありがとう……」
 こんな時だけれど、ちょっとだけ。
 ちょっとだけ――僕も役に立てたかな。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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