離島戦記

 第1章 隔離された島

8th「少女が歩んだ道」01
*前しおり次#

「私も神子族なんです。この島が消える前から王家に仕えていました」
 リュナムたちに追っ手はまだかからない。リュナムが作った幻影は敵にとっくにバレてしまっているも、最初に仕掛けられた透明な壁に苦戦している様子が遠くに見えていた。
 リュナムたちは二つ目の丘を登っている最中だ。あの壁を突破されたらもう敵の魔法の射程圏内は覚悟しなければいけないだろう。タトスはリヴィンを守るべく前に立ったまま、リヴィンの話を聞いていた。
「そっか、だからティファとも知り合いだったんだね。『王の目』ってだけじゃなかったんだ」
「はい。『王の目』の任の前から、ティファちゃんとはずっと同じ仲間だったんです。城に仕えるようになってからはご無沙汰していましたけれど、その任の中で、この島で研究をするようになったんです。……そのせいで、島が」
「えっ?」
 地面を見つめる少女は表情を曇らせたまま。それでも自分の役割を果たそうと、周囲を見渡して、召喚陣を記した巻物を新たに広げている。一部ずつ描かれているのだろう。六巻ほどの巻物が地面に継ぎ目がないように、紙が落ち、地面の上を転がっていく。
「私の携わっていた研究は、|奈落の崖《ガイアフォール》に関するものでした」
 生き物も大地も消え去っている、あの崖に関する研究? そんなものが五百年前にあったんだ。
「当時はゲイル国どころか、海の向こう側の大陸だって、飲み込まれていなかったんです。どうやったら止められるか、どうすれば奈落の崖に消された世界を取り戻せるか……でも、実験は失敗に終わってしまって。奈落の崖をゲイル国内に侵食させないための巨大な《《結界》》で覆って、国を守ることはできても、外の海も、陸も、この島も消失してしまいました」
「そうだったんだ……けど、それって……僕はリヴィンだけが悪いわけじゃないと思うよ」
 少女はゆるゆると首を振る。拒絶の意味ではないのだろうけれど、タトスは後ろを振り返りつつ、顔をしかめた。
「私が主導していた実験のせいで、この島は時空が歪んだのだと思います。当時行っていた実験は、そういったものでしたから。……ゲイル国を救うことを言い訳にした、大量殺戮を行ったのは、ほかでもない私です」
「そう、なんだ……うん、人を殺すことは悪いこと、と思う。たださ、ちょっとだけ、リヴィンの考えとは違うと思う」
 綺麗事に聞こえることだけは嫌で、タトスは慣れない思考を巡らせた。
「リヴィンがやったことは事実かもしれない。だからずっと、五百年とか、それ以上償って来たのもわかる。リヴィンの性格でやらないわけないよ。一生かけて償う、ってことも、一つのやり方とは思うよ。でもそれって、寿命が長い神子族はいつまでやるの?」
 一瞬にして、少女の瞳がぶれた。ただでさえ、立つ以外できないほどの小さな足場で踏ん張っていたところを、急に崩されて崖から落ちたような顔だ。
「それは……」
「責任の取り方ってそれだけしかないの? 償うって、誰に向けてなの? 僕はむしろ、そこまで真剣に向き合ってきたリヴィンに、その責任のために足を止めてほしくないな」
「足を、止める……?」
 例え方がおかしかっただろうか。タトスはうーんと長く唸って、リュナムたちが二つ目の丘を越えたところを確かめて、ああと手槌を手の平に置いた。
 足止めされている兵士たちを指で示す。
 透明な壁はもう、砂埃すら浴びて磨り硝子のようにわかりやすくなってしまった。風に流された砂埃は壁にしがみついてまだ主張をしているらしい。頑丈な壁に兵士たちが武器や魔法で傷をつけようと躍起になる姿が見える。
「壁壊してほしくないけど、止まるだけじゃあの人たちは自分たちの責任を果たしてないって思ってるから動くんだよね。前に進むことだって責任の果たし方じゃない? 苦しい出来事を知ってるリヴィンなら、この島も、世界も、きっといい方向に変えるやり方を探せるんじゃないかな」
「過去を繰り返さないために……責任を、行動にするということ、ですか……?」
「あ、うん、それだ! 今牢屋に入れ、なんて言われてないんでしょ? じゃあリヴィンが世界を救うことだってできるよ。ヴァリエス陛下だって信頼してる『王の目』なんだから。それもきっと、責任を果たすってことじゃないかな」
 少女の口がつぐまれた。少し持ち上がった唇が、優しく弧を描く。
「私の夫が聞いたら、『夢物語だ、どこぞの昔の天然と似たようなこと言うな』って……ううん、きっと、タトスさんと同じこと、言ってくれる気がします。――ありがとうございます」
「え、どういたしまして? 怖そうだなあそのひ……」
 今、なんて。
 夫、って。え。
 衝撃に固まる間に、リヴィンはくすくすと笑って、タトスに頭を下げた。新たに広げた召喚陣から少し離れて、踊るように手を動かしていく。
 光が彼女の周囲に集まっていく。敵兵たちがリュナムの作った魔法壁を壊したのか、ついに最初の丘を下り始めた。はっとしたタトスはこの丘を登り始めたリュナムたちを見下ろす。
「壁を突破されたよ!」
「お、随分遅いな。多分準備含めて壁削りに時間かかったんだろうけど!」
「多分そうだと思う! ……夫かあ……」
「え? た、タトスさんどうしたんです?」
「ううん、なんでも……」
 ショックが大きいなんて、口が裂けても言えない。子供っぽいと言うつもりはないが、リヴィンはどうも、それだけの年月を重ねた女性には到底見えなかったのだ。
 もしかしたら、相手にとっての自分かもしれないし、深くは言えない。けれどリヴィンは優しく笑んできて、タトスの足にそっと手を添えて、精霊術で痛みを緩和してくれる。
「――もしかしたら、この島と一緒に生きてくれているかもしれないんですけど……もしそうだったら、謝りたいです」
「夫さんに?」
「はい。会ったらきっと、タトスさんびっくりなさると思います」
「え? 怖くて?」
 違いますと微笑む少女は、周囲を漂う青白い光へと命令したようだ。空に昇った光が、光の矢となって中間の丘の山頂で輝きを爆発させる。再び足を止めた敵兵たちを見据える目は凛々しさすら感じられる。
 敵兵が追ってくるより断然早く、リュナムたちは丘を登りきった。その時にはリヴィンが新たな召喚陣から馬車を呼び出していて、タトスは召喚術が無機物でも移動させられることに舌を巻いていた。
 その車を引くのは馬ではなく、またもヒポグリフだから驚きだ。
「みなさん乗ってください。この子ならこの丘を下りきるまではお願いできます」
「助かったぜ……! 強行するもんじゃ、ねえなこりゃ……!」
「もう少し体力を鍛えたほうがいいわ。あなた、机仕事を中心にしすぎよ」
 リュナムの背中に槍が刺さったように見えた。それでも彼はミティスやティフィーアを先に乗せている。ティフィーアは軽やかに馬車の上に居座っていて、リヴィンもヒポグリフの背を優しく撫でている。
「もう一度お願いしますね。いざとなったら空へ逃がしますから、安心して」
 鷲の|嘴《くちばし》を撫でる手に、ヒポグリフは目を閉じて見せた。手綱をつけられても嫌がる素振りはない。リュナムが馬車に乗り込みながら目を丸くしていた。
「ヒポグリフは知能そんなに高いわけじゃねえのに、よく手なずけてるな……」
「この子、天招の階梯にいる子なんですよ。お友達なんです」
 リュナムがなるほどと失笑していた。彼はリヴィンが神子族だととっくに気づいていたようで、タトスも笑って馬車に乗りこんだ。質素な造りだけれど、例え狭くとも四人乗り込めるスペースがあれば十分だ。
 オルファがリヴィンと共に御者台につく。馬車が動き出した。タトスは窓から外を覗いたが、ティフィーアの警戒する様子が見える以外は特に何もない。追いかけてくる音も聞こえず、タトスは顔を引っこめた。
「大丈夫そうだよ。あれだけ距離も離れてたから、こっちが馬車になったって気づく頃には随分引き離せそう」
「一安心ってとこか。しかしよく馬車なんて都合よく持ってたな、リヴィン」
「昔から色々と頑張ってたから、そのおかげなんじゃないかな」
「へえ――お前二人きりの間に距離縮めたか? どんな手使ったよ?」
 またリュナムが嬉々として聞いてくるものだから、タトスは少し神妙な顔になった。顔つきを変えたせいか、幼馴染は一瞬浮かせていた腰を、馬車のバウンドと共に座席へ戻している。
「人妻に手を出そうなんて外道じゃないよ、僕」
「……………………………………は? ひ?」
「人妻だって」
「…………り?」
「うん、リヴィンが」
「そんなに衝撃を受けるなんて失礼よ」
 ミティスに釘を刺されても、リュナムに聞こえていればまだ違っていたのだろうなあと、タトスは溜息を溢した。
 ……恋心は、抱いてなかったと思う。
 ただ、本当にただ、自分より年下だと思っていた過去の自分に竹槍を通された気分になっただけだ。切れ味のいい穂先を持つ槍より、断然むごい槍だけれど、それだけだ。
「で、リヴィンの話はオレが聞いても問題ねーの?」
「どうだろ……そんなに危ない話とかじゃなかったよ。ちょっと思い詰めてたみたいだったから。リュナム、どうせリヴィンが神子族ってわかってたんだろ?」
 当然、とリュナムは頷いている。砂利道を下る振動にも慣れてきたタトスは、堅い木の背もたれが背中を叩いてくる乗り心地に、ちょっと痛みを覚えてきた。
 足の怪我を癒してもらって本当によかった。そうでなければ今頃痛みで悲鳴を上げていただろう。
「ティファの知り合いってこと含めて、『王の目』として動いてる点でもな。わざわざ国の組織内部に下っ端で入る理由がないのに入ってた。内部監査はリヴィンがやってたんだろ。陛下のことも姉みたいに叱ってたっていうし、そうじゃねえかなって薄々は感じてたぜ」
「だよね。そのことで、リヴィン色々と苦労してたみたい。責任が絡んできたことも多くて悩んでたって話を聞いてただけだよ。ほかは特になかったから、リュナムが心配するようなことはないと思うよ」
「そか。なら安心だな。……もしかして島の話に深く触れれば触れるほど、具合よろしくない顔してたってのも、それが原因か?」
「うーん、それもあるんだろうけど、夫さんこの島と一緒に消えてたんだって」
「それ言うなら旦那さんな……まじかよ」
 顔色を変えたのはリュナムだけではない。ミティスも緑の目を微かに見開いている。
 車輪と道端の石が激しく出会い続ける外をちらりと見やったリュナムは、苦い思いをして呻いた。
「……もし見つけられたんなら、できればリヴィンは任務外れたほうがいいかもな」
「えっ!? どうし――」
「大声は出すなよ? そりゃ、五百年以上は離れ離れだったんだろ。今その旦那にどういう感情持ってるかわからねえけど、傍にいられるなら、いたほうが互いのためだろ」
 それは、確かにそうだ。夫がいるかもしれないと言いかけたのだろう言葉も聞いている。リヴィンの気がかりが減るなら、タトスもそのほうがいい。
 一方で、リュナムは少し苦い表情だ。
「ただな。今回オレらの船で、五百年前の人物を島から連れ出していいかも迷ってるとこだ。身を隠してでも、しばらく一緒にいられる方法があるほうがいい」
「歴史を知られることがどこまでいいことか、まだ迷っているのね」
「ああ。しかも本土との通信手段を切られてる以上、なおさらな。オレの使い魔が今頃城に着いてりゃいいけど……手紙も届けられなかった場合の具合が超悪い。もしリヴィンの旦那に会ったとして、オレらに私情が一度でも入ったら、その時点であのウォーグって奴が利用しかねないのも懸念してる」
「使い魔、ハトなの?」
「んな平和なとこ選ぶかよ。鷹だよ鷹。かっこいいから」
「理由が子供すぎるわよ」
「本当お前手厳しすぎるぜ。ちょっとは心開いてくれんのかと思ってんのに。美人がもったいねえよ」
 ミティスがふいと顔を逸らした。タトスはぽかんとして、無表情に近い物静かな少女を見やる。
 少し顔に赤みがさしたような。
 小さな変化でも、タトスは嬉しくて笑みがこぼれた。




ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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