馬車が速度を緩めて停まる。即座に下りたタトスたちを確認したリヴィンが、即座に馬車を送還していた。瞬時に出たり消えたりする生き物や道具に、タトスはぽかんと口を開ける。
リヴィンが一息つく隣、リュナムが苦い顔で「助かった、強行させたな」と労っていて、リヴィンは優しく笑んで首を振っている。少し顔が青い様子に、タトスははっとした。
「リヴィン疲れてるんじゃ……!」
「大丈夫です。これ以上呼び出さずにいれば問題ありませんから」
「本当に?」
タトスの顔を見上げた、少女にしか見えない女性は心から嬉しそうな顔で笑っていた。
「はい。本当です」
「召喚術は出してる間中力使うからな。自分たちの足で歩けばまだ負担は少ねえよ。ってわけだ、オルファの旦那、手貸してやってくれ」
「おれでいいのか? 年頃の娘にそんな真似すると、色々と|顰蹙《ひんしゅく》を買いそうなんだが」
「わたし、体力あるから」
すっと、ミティスがリヴィンの荷物を取り上げている。彼女が慌てる暇もなく、ミティスは街道を何もなかったように進んでいく。
ティフィーアのにまにまとした顔が通り過ぎた。
「荷物持ってくれるミティス姉やっさしーい」
「できることをしているだけよ」
「かっこいーぃ! こういう人がモテるんだよぉーっ」
「や、やめて。そういうつもりじゃないから」
「……」
タトスもリュナムも、オルファですらも、ちょっと申し訳なさが立っていたのである。
随分と歩き、日が暮れ始めてきた。軍事都市の外壁そのものはもう眼前だ。影法師が長く延びていると確認したリュナムは後ろを振り返り、追っ手がないことに顔をしかめている。
「すんなりあいつらが諦めたとは思いづらいな。……船員を人質に脅す真似もしなかった。指揮官はいたが本命はいなかった――この先に連絡が済んでるか、必要ないかだな」
「連絡が済んでいるのはありえることだな……だが連絡らしい信号は、後ろからは上がっていないが」
「そんなもん、煙でも光や音でなくても出せるだろ。軍事都市とここまでの地形を考えりゃな」
丘がある。砦がある。城壁ともとれるあそこにはきっと兵が上で見張っている……
……兵。
「物見をしてる兵が、丘の戦闘を見てたら……ってこと?」
リュナムが頷いている。
「単純な魔物や動物との戦いならあんな派手な規模の戦闘にはならない。見張りしてた奴があんな長い時間の戦闘と集団を見落としてるなんて、俺らの時代が平和ボケって言われたとしてもありえないぜ。じゃあそれを伝令に伝えてみろ。城塞と化した都市は何を警戒する?」
「戦闘が起こった原因を探り、それらが都市にまで危害を及ぼすか否かを確かめる、だな」
オルファは指摘をした上で、城壁のように都市を包む積石の幕を見上げている。
「分が悪いな。おれたちが相手をしたのは仮にも学術都市の正規軍だ。ウォーグの私兵が扮装したものだろうが、相手には関係ないか」
「ああ。ウォーグって奴がもう潜入してるなら、オレらの扱いは立派な逆賊だ。けど、だ。ここまで近づいて矢の一つも射ってこないってことは、事情が変わってくる。まずは門を見て、それから抜け穴使うかどうかだな」
タトスは首を傾げた。オルファはミティスからリヴィンの荷物をさりげなく取り上げて担ぎ、疲れたような唸り声をあげている。
「魔術師様の言い回しは大抵理解できないが、それにしたって今回は難題だな」
「そうか? 割とオレが考えてるのは冒険者思考だぜ。実家からそういう店だったしな」
「ああ、袖の下か」
「そうそう」
「な、なんか、本当正規軍って感じじゃないね……」
「この島の時代にいなけりゃ正規じゃねえって考えの、相手の馬の尻に乗っかるだけだぜ。邪法も通りゃ正攻法ってな」
大丈夫かとリヴィンに目をやる。彼女の居たたまれないと言いたそうな、切なそうな目がリュナムを見やっていた。
……国王からの命を受けたという点では、やっぱりやってほしくないようだ。
日が落ちたせいか、森に光を遮られた中では篝火もほしくなる。けれどそれが追っ手を抱える自分たちにとってはどれだけ危険かは把握しているので、|夜鷹の視界《ナイトビジョン》を唱えたリュナムのおかげで、夜目が利かない数名の移動を補助して動くことになった。
タトスには、今回術が効かなかった。リュナムが久々に失敗したとこぼしていたけれど、タトスは真っ暗闇の中でも視界が通るので気にせず笑っておいた。
篝火がなければ、暗闇が基本になるのだ。陰と暗闇の違いはなんとなく感じられる。さすがに足下の大きな石までは見えないので、夜目が通るようになったオルファが教えてくれた。
時折、ティフィーアが後ろを振り返ってはすがめるように空を睨んでいる。
「神子もエルフも少なかったもんねぇ。あっちは進軍は止めてるみたいだよぉ」
「――なあ、もしかして学術都市と軍事都市って仲悪いのか?」
「えー、どうだろぉ。あたしが知ってる時代はギスギスだったけど、五百年前はどうだったかなぁ……」
ティフィーアが途方に暮れた声を上げる中、リヴィンも夕刻頃より随分と張りの戻った声で「もうそれぐらい前のことですもんね……」と呟いた。オルファが疑問を持った声を上げていたが、すぐに流したようだ。
「そろそろ外壁だ。情報をもらってるなら厳戒態勢のはずだが」
「まずは正規交渉、それでだめってなら裏で行く――っと」
厳戒態勢、の文字はない。戦争直下の物々しさが見えず、篝火に照らされた門は重く閉ざされていても、その周囲の人影は衛兵が数名だ。
リュナムがリヴィンとともに説明をしに向かっていく。相手も足音で聞きつけたか、「止まれ!」と鋭い声を浴びせていた。
タトスたちも後ろから歩いていたが、リュナムに合図されて止まることにする。
「何者だ。この都市は限られた者以外の入場を許さん」
「務めご苦労だな。ゲイル国宮廷魔術師、リュナム・インブラだ」
「宮廷魔術師殿!? 大変失礼いたしました!」
「いや待て。申し訳ございませんが、証となぜお越しになられたかのご説明を。この度我らは宮廷魔術師殿のお越しを|言付《ことづ》かっておりません」
「証はここにある」
ローブの下に納められたゲイル国の紋章を見せたのだろうか。タトスの位置からでは見えなかったけれど、リュナムが少ししてローブのずれを直したのはわかった。
「極秘の用件だ。職務に差し障りを出してしまい悪いが、通過の許可を急ぎ貰いたい」
「この件をドミトニス総督には?」
「いや、こちらから赴く。貴公らの手を煩わせるのは忍びない」
門番たちが驚いた顔をしていたことに、タトスは首を傾げそうになった。変な顔をしたらそれこそリュナムの説得が無意味になりそうで、後ろで黙ったままにしておく。
「了解いたしました。この門に詰める我らへのご配慮痛み入ります。――では、一名案内をお付けいたしましょう。貴殿はこの街に足をお運びいただくのは初めてのご様子。お手間をとらせるわけには参りません」
「よく記録を熟知しているな。有り難いことだが、兵が供にいては任の主旨に反する。念のため方角を教えてくれ」
リュナムじゃないみたいだ。
魔術都市での出来事でも感じたが、そこにいる幼馴染は随分遠くの人のように感じられた。兵士二人は初めて目にする宮廷魔術師に疑念を持ったままのようだ。立場にしては対等に扱ってくれるリュナムを珍しい官職者だと思ったのか。ただ、疑いの色は決してこちらに悪い風を吹かせているようには見えない。
「はっ。この門より延びる街道は螺旋状に都市を巡っております。その螺旋の流れとは反対方向へお進みください。一見外に向かうように錯覚されるよう設計してあります。宿も多くが一般兵の集まる宿舎ですので、官庁のほうがよろしいかと」
「――なるほど、把握した。オレたちの通行は守秘に徹してくれ。貴公らを見込んでの頼みだ。説明の時間が惜しい状況なものでな」
「我らには勿体ないお言葉です。どうぞ中へ」
「わかった。ああ、それと一件――」
話をした彼がしばし黙考し、首を振る。何度かやりとりがあり、リュナムが眉をひそめた後に暗闇に包まれた街の中に進むよう合図するリュナムについていく。ティファがリュナムへと生温かい笑みを向けた。
「袖の下使うんじゃなかったのぉー?」
「なんかあの反応された後で使ったら、心象悪くねえかと思ってやめた」
「リュナム……」
「でも、正しいかもしれないわ。正々堂々とした様子のほうが、賊はどちらか。そう考えた相手の天秤はこちらに動くはず」
ミティスの静かな肯定に、オルファはなるほどなと腕を組んでいる。それが正しく機能するかはともかく、タトスも後ろの門番たちを振り返らないように気をつけた。
裏がありそうな人ほど、後ろめたい人ほど振り返りがちだと聞いたことがある。騙して申し訳なさもあったが、今は街道を右手に折れ、外へ外へと歩くことにした。
繁華街だろうか。夜になっても賑やかな喧噪が、道ばたのあちこちから響く。
本当に中枢となる建物に向かっているのかも定かではないが、リュナムが歩きながら「すげえな」と呟いている。
「さっきの道といい、街の造りが面白いぜ。登り坂が町の中心に向かってるのに、建物の高さは殆ど均一。――中枢の建物を守る為に敵の目を欺く造りだな」
「今のゲイル城と造りは真逆だな。あっちは丘の上に開けた造りをしていたが」
「違いねえな。あっちは人を入れる城だが、こっちは人を入らせない城ってことだ」
人を入らせない城……。
リュナムみたいに面白いと感じるまでに至らない。最初から人の侵入を警戒するということは、ある種の備えだし、同時に相手を疑っているようにも感じられるのだ。
ゲイル国城のほうが好きだ。立派で城壁もあるけれど、開かれた造りになっているあちらのほうが、断然。
坂を下るうち、両脇にそびえる建物の屋根が、首を後ろに倒さなければならないほどに高くなってきた。そうこうするうちに、建物を繋ぐ連絡橋を見つけたタトスは目を丸くする。
「あの橋、なんのためにあるのかな」
「――へえ、そういう造りか。この街は例えるなら蜘蛛の巣だな」
目を眇めたリュナムが、暗闇にぼうっと浮かんで見えるいくつもの橋に視点を定めたようだ。
「連絡橋を使って、土地勘のある兵士なら上から策を実行できる。兵を守って敵を落とすには都合がいい。オレたち地に足をつけてる生き物にとって、上からの攻撃ほど面倒なものはねえもんな。守りも攻めも考えるのは楽じゃねえが、よく作ってあるよ」
空を見上げる。
橋の向かう先は、街の中心へ向けて集中しているように見える。でも街の中心には心臓部の建物はないのか。
「なんていうか、建物からひねくれた街なんだなあ」
「ぶっ」
オルファが唐突に肩を震わせた。ティフィーアが意外そうに彼を見上げて、リヴィンは苦笑いを浮かべている。
「そう、ですね……ひねくれ……」
「確かにひねくれてたし俺様要素強かったしぃ、お嫁さん以外には攻めの姿勢しかなかったけどぉ」
「てぃ、ティファちゃん!」
タトスもリュナムも、途中まで納得していた顔からすんと表情が消えた。
誰の夫か察した。
「えー? でも本当のことでしょぉ?」
「ご本人の名誉が傷ついてしまいます……!」
「お嫁さんに微塵切りにされてたしぃ、勇ましさもお嫁さんにとられてたのにぃ?」
「そ、それは……」
あれ、リヴィンの旦那さんじゃなかったんだ。
「うん? ちょっと待ってくれ」
オルファの上げた声に、ミティスが顔をしかめた。
「節度を持って頂戴」
「……まだ何も言ってないんだが?」
「どうせ年齢とかそういった話でしょう。それより荒くれ者が街にいないとも限らないんだから、そちらに意識を集中してほしいのだけれど。仕事中でしょう」
「……手厳しいな。はいはいわかったよ」
オルファが諦めて顔を前に向け直した。タトスはぽかんとして、ミティスの背中を見つめる。もしかして、リヴィンが神子族だということが触れられないように、守ってくれたのだろうか。
さすがに自分の思い違いかもしれないけれど、タトスは気の抜けた笑みを浮かべた。
「うん、僕も気をつける」
「あなたは自分の体を治すほうを心掛けて」
「は、はい……」
オルファが神妙な顔でミティスを振り返り、物憂げに眉尻を下げた。
「あんたみたいな女、仲間って意味じゃ有り難いが、家族としてならごめん被るよ」
「そうか? 温いより気が引き締まっていいぜ」
「オルファ兄はしっかりした奥さん苦手そうだよねぇーっ。尻に敷かれそう」
「……や、やめて。そういう話、巷でするものでもないでしょう」
「そうです、年頃の子にそんな言い方、ちょっと失礼ですよ?」
「いや、そのつもりはなかったんだが……これはおれが悪いのか?」
ついにオルファが折れた。不憫さが滲んで見えた気がして、タトスはそっと同情する。
男と女は違う生き物だ。理解し合うにはまだまだ高い壁がありそうだし、自分も気をつけよう。
外周部を随分と歩いた気がする。港が見えて、さらに街の外壁に沿って進もうとして、リュナムがふと声をかけた。
「……みんなちょっと足止めてくれ」
リュナムに言われるままに足を止める。港への入口を右手に、まだまだ暗い水平線を見やったタトスは、船の周囲にも町にも人気がないことに首を捻った。
どうして誰も通らないんだろう――。
「おやあ、こっちが声をかける前に。そこの新顔っぽい魔術師様ご一行さん、ちょっといいかな?」
リュナムが驚いて振り返った。そのために止まったわけではないとわかったタトスは苦笑いをして、全く足音が立たない相手に怪訝な思いを持ったまま振り返る。
自分たちが通ってきた道の角に、貼りつけたような笑みを浮かべた男が立っている。キシキシと、聞き慣れない笑い声を上げる男は、しわが深い手でつるりときめ細やかな顔を撫でながら、そこらの狩人の格好で通りへと出てきた。
「どうやら当たりのようだ。はてさて、珍しいお客人だ。学術都市ならばいざ知らず、軍事都市にやってくるとは。何やら情報をお探しかな?」
「え? ……あの、誰ですか?」
「おや、この島じゃあ名が知れていると自負していたんだが。『ちぐはぐのチーグ』。しがない街角の情報屋だよ」
「情報屋がどうして私たちに声をかけるのかしら。家業を考えれば自分からの接触は愚かと聞くけれど」
ちぐはぐのチーグと名乗った男は、若々しい柔和な顔で「怖い怖い」と骨ばった肩を震わせる。
「理論はルールに則った者に何かしらの保証はするだろう。だが必ず皆ルールに則るとは限らない。神官のお嬢さん、ちぐはぐは嫌いかな?」
「へえ、情報屋ってのも嘘じゃなさそうだな。てっきり物取りの類かと思ってたが」
オルファの警戒心を抜かない声音に、チーグはキシシと笑う。
「怖い怖い。傭兵らしからぬ武勇で屠られそうだ」
「色々と差し金が動いてるみたいだな。何が望みだ?」
チーグの笑みが際立った。
「ここじゃあ、人目を引く。今に始まったことじゃないがね。みんなピリピリしてるのさ。塀の上を歩く猫になる気はあるかい?」
「蛇の道は入り慣れてるぜ」
「ほう。いい鴉の目だ。青い目の鴉は魔の使い。楽しい話が聞けそうだ」
村で昔観覧した、子供向けの人形劇に出てきそうな人だった。