離島戦記

 第1章 隔離された島

9th「手をこまねく者」01
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 やや古い看板が軒を連ねる連絡橋の袂。港を通り過ぎてさらに街の外周部へと向けて歩く男は、行き止まりにすら見えるこの橋の袂に案内していた。リヴィンとティファが警戒の目を光らせるように慎重な面差しを向けていて、タトスは二人の知り合いでないことを感じて内心不安が過ぎる。
 ちぐはぐのチーグ。そう名乗った男はキシキシと笑いながら、壁に手をついて、ゆっくりと腰を屈めた。
 がこんと、男の足元から撥ね戸が持ち上がる。石畳を綺麗に偽装したタイルの下に階段が見え、男は中へと入っていった。リュナムが一瞬思案を巡らせていたようだが、すぐに自ら先頭を切って中に入ろうとして、オルファに止められる。
「さすがにあんたが最初は躊躇うな。もっと危機感を持ってくれ」
「この街の構造を利用して後ろを刺さなかった。それで十分信用はある」
「――あんたはタトスを超えてバカなのか?」
 ざっくりと身を切られたようなタトスの前で、リュナムはけらけらと笑った。
「そうか? 疑心も立派な武器だ。ただ、使い時を間違えたらナイフ振り回す子どもと変わらねえんじゃねーか? 今はあんたが代わりに警戒してくれてる。十分だぜ」
 オルファの渋面を気にしていないのか、リュナムは気兼ねなく彼の肩を叩く。下りていく背中を見た彼が心配そうな表情をしていて、タトスはオルファを見上げた。
「リュナム、ああ見えて警戒してるから大丈夫だと思います」
「うん? ――ああ、そうなんだろうな。不倶戴天と言いたいところなんだが。自信家は得てして盲目だからな」
「リュナムは自信家じゃないよ」
 オルファが驚いてこちらを見てきた。ミティスが背後へと目を向ける。
「出入りを見られるほうが危険よ。早く入って」
「――そうだな、悪かった。タトス、|殿《しんがり》を任せた」
「うん」
 鎧に包まれた背中が降りていく。リヴィンとミティスが続き、タトスはティファを先に行かせて、最後に自分が下りた。
 撥ね戸は、簡単に閉めることができた。
 薄暗い通路が広がる。比較的最近も、それも何度となく使われている形跡があり、埃は隅に少し積もっている程度だ。通路を歩く背中を後ろから見ていたオルファが、剣の鞘に手をかけたのが見えた。
 音は鎧同士のぶつかる音程度にしか立たなかったのに、情報屋を名乗る男はぴたりと足を止めている。
「おやおや、このチーグよりちぐはぐな動きだ。その位置だと雇い主も切ってしまうぞ」
「――ほう。ただの情報屋とは思えないな。あんた何者だ」
 油断なく見据えるオルファに、タトスは困惑した。リュナムも彼を振り返り、長身の男を窘めるように見上げている。
「オルファの旦那」
「悪いが、俺はどうしても警戒心を捨てきれないものでね。こんな八方塞にできる道に連れてこられては、安心して寛げないんでな」
「まあ、そう威嚇するな。ここはお偉いさんしか通せない通路だ。安全はある程度保障しよう。この道を外れた先での保証はできかねるがね」
「その保証が見えないから警戒してるんだ」
「見えなくて当然だ。ちぐはぐのチーグはわかりやすく見せるのが嫌いでね。上得意客の頼みじゃなけりゃ、ぼくもお断りしてたとこだ」
 上得意客? 頼み?
 リュナムが一瞬にして顔をしかめた。やがて合点が行ったのか、青い目を丸く見開いている。
「おいおいまさか、タトスの恩人が手を引いてくれたってのか?」
 タトスがえっと目を丸くした。チーグはにやりと笑う。
「恩人か。聞いたら眉の間に何本皺ができるかな」
 ルヴァさんだ……!
 顔を綻ばせるタトスに、リュナムはこちらを振り向いて、苦笑いを浮かべた。
「間違いなさそうだな」
「どうせ特徴も言うなと言われてるんだろう。ぼくたちもそうだ、安心するといいよ。用心深い顧客は嫌いじゃあない。ここに連れてきたのは、ちょっとばかり厄介な事情が関わってるからだ」
「厄介な事情だと?」
「まあついてきてくれ。態度までちぐはぐにはしないさ」
 道を進む。オルファもこれ以上警戒するのは野暮だと考えたのか、最低限他からの敵襲がないかに意識を向けるようにしたようだ。
 通路を随分と進んだ。そう感じた頃だった。
 人の話し声が聞こえてくる。タトスたちが身を強張らせた時、チーグはにやりと笑って口元に指を一本当てている。もう少し近づくよう合図されて、慎重に歩みを進めた。
 男の声が――二人分だ。聞いたことのない、威厳に満ち、余裕のある音運びの低い声。そしてもう一つは――聞き覚えのある、少し含みを感じる弦楽器の低い音階みたいな声。
「よく考えたものだ。にわかには信じがたいがな……だが事実として、島は未来に現れたと」
「は。奴らの技術は我らより劣っていますが、ゲイル国の旗を掲げております。にもかかわらず、奴隷を知らない市民がいることが証拠と言えましょう。我らとは異なる時代の俗民です」
 やっぱりウォーグだ……!
 じゃあもしかして、あの威厳のある声はこの街の総代なのだろうか。確か門番はドミトニス総督と言っていたけれど、その人かもしれない。
「なるほど。果たして亡霊はどちらか。――この場合は、世界から見れば我々であろうな」
「いいえ、我らは亡霊ではありません。奴らに都合よく転移させられ、利用された、犠牲者です」
 リヴィンの顔色が一瞬にして青ざめた。タトスは彼女へとそっと首を振り、背中を優しく叩く。
「物は取り様と言うだけの話よ。全く皮肉なものだ。調査船が来ているならば、生きて返さねば我らの意は戦火と知らしめるつもりと取られるわけだな。学術都市市長はどのような手を打ったのだ」
「奴らと手を組むつもりでしょう。私からすれば下策です」
「飼い犬が手を噛んでも放置できる情の深さもあるのだ。そう言ってやるな」
「総督閣下の温情痛み入ります」
「よい。――が、如何様にしてくれようか。現国王の名は?」
「ヴァリエス六世と聞き及んでおります」
 リュナムたちが顔色をさっと変えた。呻くリュナムに怪訝な眼差しを向けると、チーグが声を抑えて笑い声を上げている。
「なあるほど。いったいどこに内通者がいるのかな」
「えっ? どういうこと?」
「こっちの声が大きくなければ聞こえないんだな? ――オレたちは現国王陛下の名も含めて、市長にしか話してない。側近にも席外してもらってたんだ。市長があいつに漏らすとは思えねえ……第三者が情報を入手できる状況があったってことだ」
 第三者が入手できる状況の一つに、内通者の可能性がある?
 森の中で獣に聞かれるのとは訳が違うはずだ。なのに、そんなことありえるのだろうか。
「王政は健在か。よりにもよってあの若造の名を継ぐとは。つくづく腐れておる」
「その王ですが、黒髪に蒼の目。威厳とは程遠い若々しい青年のようです。多少遊び人を装っているらしいも、治世そのものは切れ者の様子。――フォシディム王の若き頃を描いた肖像画と、似た面立ちだそうです」
 フォシディムというのは、きっと昔のゲイル国の王の名前なのだろう。ただ、タトスが気になったのは別のところだった。
 ウォーグがヴァリエス王の特徴を並べる内容に対し、ティファが危機感を露わにしているのだ。その間にも総督らしい男がふむと唸った。
「どういうことだ? 我らが王と特徴が類似しているな。よもや王家も神子族か」
 五百年前の王が遊び人と言われていたのだろうかと、一瞬遠い目になった。
「ありえぬ話ではないでしょう。長らく行き届いた治世を行うのも、手腕を持つ王が納めたならば道理。随分と裏切られたものですがな」
「――よほど恨みがあると見える。が、我も|吝《やぶさ》かではない」
 なんだかまずい。二人とも同じ風向きに歩いているような気がする。手を組む流れに聞こえて、タトスは苦い思いで聞き耳を立てた。
「起爆剤はこの事実であろう? 戦争で上げるはずの武勲が、よもや亡霊騒ぎとはな。実に面白い」
「我らが命を弄んだ国を|蹂躙《じゅうりん》し、元の時代へと戻りましょう」
 リュナムが慎重な面持ちで耳を傍立てている。今は情報を逃さないようにしよう。
「ふむ……戻る手立てはあるのか?」
「恐らくは。我らがこの時代に送られたのももしかすれば、歴史を変えるためとも取れます。他国どころかゲイル国の外の陸地すら、例の何もない空間に飲み込まれ、消失している様子」
「なんと、ゲイル国のみが生き残ったのか! ははははは! ははは、ははははははははは!!」
 高笑いが、哄笑が木霊する。リヴィンが耐えかねたのか、顔を逸らして片耳に手を当てていた。
「奴らは消え失せたか! 古き民と同様に? なんと無様な、やはり我が国が神々の寵愛を受けておったということだ!」
「仰る通り。そして同時にそれは、この国の資源が外から調達できなくなったとも考えられましょう」
「確かに。滅びるならば他国のみであり、資源は我らの手になければなるまい。この街の者もまた武勲を立てた後の世に、自らの領土がなくば得るものも得られぬ。暴動を向ける先を王都に向けるのは賛同しよう。だが元の時代に帰る手立てを得るならば、王都を瓦解させるのは交渉次第と取るべきだな」
「――心得ました。まずは連中を捕え、迅速に手札を整えましょう。ゲイル国に繁栄を!」
「繁栄を」
 足音が一つ、去っていく。扉を潜り、どこかへと行ってしまった。タトスはぞっとしたまま、リュナムへと目を向けた。
「船の人たち、ここにいないんじゃない? それに街の人を煽るみたいな言い方してたよ……」
「ああ。最悪だな……この街の総代とウォーグは手を組む考えかよ……」
「風色が悪いな。その気になれば、戦争に備えて実力をつけてきた連中と、王都が直接やり合うわけだろう? あの防備では危険だぞ」
「ああ、軍事技術なんてここ五百年は研鑽する必要なかったんだ。しかも大昔の技術はこの島に集約してた。オレたちの時代じゃ相手の船には太刀打ちできねえな」
 リュナムが自らの口を覆うように、拳を持ち上げている。
「ましてや自国同士でやり合うなんて最悪だぜ。予想してたより事態が早く動くな……」
「私たちが正規の調査隊だと示し、総督と対談に向かっても、敵の網に囚われに行くようなものでしょうね。ただ、あの様子であれば、船員たちは無事と思われます」
「そうなの?」
 推測を報告するように述べたリヴィンへと尋ねれば、彼女は一つ静かに頷いた。ウォーグたちの会話で青ざめた顔色は、少し落ち着いて見えた。
「彼らは私たちとの交渉材料のために、船員を一人でも殺すことはできないはずです。人質としてのカードは人質が生きていなければ成立しませんから」
「だが、生きていると思わせて先に殺したり、数人殺したところで残りが生きていれば、なんて考える為政者もいておかしくないだろう。あえて数人殺すことで、現実味を帯びさせることだってできるぞ」
「オルファ兄にあたしも賛成かなあ……反吐が出る考えだけどぉ」
 ティファの苦々しい言葉に、リヴィンも俯く。ティファは「貴族だから、なんて穿った見方してないよぉ」と付け加えた。
「相手は戦争を考えてたんだよぉ。今の時代より殺伐としてたんだから。戦争が武勲になった時代だって考えたら、あれは普通の考え。当時の普通があの人たちの常識だよぉ」
「そう、ですね……ですが、一つ気がかりがあります。本当に、総督たちに市民が賛同したとして……教会の神官たちは、動くと思いますか?」
「それはずっと気になってたわ。教会が神に現状を尋ねなかったとは思えないもの」
 ミティスが肯定すると、チーグも「ふむ」と口を開く。
「神官たちも神の声は聞いちゃいるようだ。が、まだ時代を超えた事実は知らない。知ってたとしても緘口令を敷かれてるってとこだろうな」
「あなたも驚かないのね。時代を超えてこの島が現れたこと」
 タトスはあっと目を丸くした。チーグはキシシと笑って、「そりゃあそうだ」と笑んでいる。
「情報屋の命は手に入れた情報と交渉にかかってる。未来じゃ情報屋はいないのかな?」
「……いやに親切ね」
「リップサービスだ。未来のゲイル国に投資をするのはぼくにとっても益がある。事実は事実だ、早く受け入れたほうが得ってものだろう? ぼくの常識なんて結局は過去の情報なんだからな」
「オレたちの情報をあいつらに売る気は?」
「まさか。そんなことをすれば、ぼくはそこの槍使いの恩人に首を撥ねられるだろうよ」
「そ、そんなことする人に見えなかったけど……」
 キシキシと、男はただ笑う。リュナムがしばらく考えて、男へと鋭く目を向けた。
「あんた、その恩人と連絡を取る手段があるんだな?」
「いいや、残念ながら」
「じゃあ、向こうから接触があった時伝えてくれ。タトスの救出感謝する。荷物を全て取られた。そちらからの接触を待つ」
「へえ。見返りは?」
「城とのコネクトがオレになる。現段階であんたにそれ以上何かいるか?」
 男がにぃっと笑った。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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